子供の頃、母親がいなかった男たちがいる。
ヒット大地もそうだが、
タモリ、ジョン・レノンなども、そうだ。
こういう男たちは、共通した感情がある。
「母は、私を所有したが、私は母を所有しなかった」
という空虚な気持ちである。
この空虚な気持ちを埋めるためだろうか?
ヒット大地、タモリ、ジョン・レノン・・・に共通していることがある。
それは「自分自身が、自分の母親になろう!」
としていることである。
具体的には、
ヒット大地は、よく料理をする。
和洋中、全部できる。
鮨も握れるし、ホワイトソースも作れる。
マヨネーズも作れるし、そばを打つこともできる。
パンもお菓子も作れる。
また、裁縫も自分でする。
家事は全部、自分でする。
・・・こういうことは、若い頃は考えなかったが、
「自分自身が自分の母になろう」・・・という無意識的な気持ちの表れじゃないだろうか?
タモリ、ジョン・レノンも、同じだ。
自分で料理を作る。
特に、タモリは、プロ顔負けだ。
タモリの母親は三度結婚している。
行く先々で、男と女の子を産んだそうだ。
ちなみにタモリは、子供が嫌いだ。
その気持ち、すごく、わかる。
タモリがモノマネがうまいのも、そのせいだろう。
母親の家族のことを思うと、
せずにいられないのか。
(ただしヒット大地は、子供はかわいいとも思う)
ちなみにヒット大地も、モノマネが得意だ。
ジョン・レノンはどうだろう?
ジョン・レノンは、歌手を中断して、
主夫になった。
これも母になりたい気持ちの表れだろうか?
ヒット大地、タモリ、ジョン・レノン・・・に共通していることが、まだある。
多面性を有していることだ。
優しさ、冷酷さ、礼儀正しさ、独立心・・・
そういうものを三人は、共通して持っている。
母がいないことで、独立心は当然としても、
どこかで、甘えたいと気持ちが残っているのだろう。
それが礼儀正しさや、優しさにつながっていると思うし、
逆に、「自分は不幸だった」という気持ちがあるので、
人々に対して、冷酷で嫉妬深い面もある。
社会と完全には同調できず、世の中を冷ややかに見ている。
たまには反社会的なことをする反面、
また宇宙全体を信じている。
母なる宇宙は、すっかり信じきっているのだ。
タモリも、あれでバカではない。
早稲田大の哲学科を、首席中退だ。
・・・・こういうアンビヴァレントな心象は、すべて、
最後には、「自分自身が、自分の母親になろう!」
という悲しい気持ちの表れだろう。
41歳ころ、だろうか?
ヒット大地は、歌を作った。
ズバリ、タイトルは「私は私の母になりたい」。
この歌、YouTubeでは発表していないが、
ヒット大地の好きな曲で、
今でも、何かの折に、口ずさむ。
ふと気づくと、
自然と口ずさんでいる。
単純な歌だ。
歌詞の1番は4行詩・・・大体、こんな感じだ。
・・・・・・・・・・
私は私の母になりたい。
私の悲しみを、癒してくれるから・・・
私の心を、慰めてくれるから・・・
私は私の母になりたい。
・・・・・・・・・・
ヒット大地は4歳で、母を失い、その後、55年間、
いろいろな女性に、母を求めてきたが、
ついに理想の母は現れなかった。
恋人にも、母的なものを求めたが、
それも、むなしく裏切られた。
ヒット大地が神を愛するのは、
父的なものと同時に、母的なものを、
神に求めているからなのかもしれない。
とすれば、母を失ったことは、
これはこれで、良かったのかもしれない。
たとえ母が存在したとしても、
その母は、ヒット大地の心を、完全には、
満足させてくれなかっただろうから。
確かに世の中を見渡してみると、
合格点を上げられる母親は、少ない。
子供を溺愛するのが、母親の役割ではない。
自分の「誠実な生き様」を見せるのが、母親の真の役割なのだ。
それを見せれば、子供は黙っていても、
まっすぐに育つであろう。