世の中の人がカン違いをしていることがある。
子供に親は必要だ・・・これだ。
もちろん、性格が立派で経済力のある親は、
存在した方がいい。
しかし、現状を見ると、
悲惨だ。
親のエゴイズムのせいで、
いかに、純粋な子供たちの心が、
ねじ曲がっているか!
実際、我が子を虐待する親も急増だ。
そんな親なら、
いない方がいいだろう。
こんなことを言うと、
あの世の両親は、腰を抜かすかもしれないが、
ヒット大地は、思春期以降にかぎり、
親がいなかった方がいいと思っている。
もちろん、我が親には、感謝の念をたくさん持っている。
愛情も、そこここに感じた。
ヒット大地は、その恩に対しては、
十分に、報いたつもりだ。
プラスマイナス、ゼロ・・・・
両親は既に亡くなっているが、
負債もなく、すがすがしい気持ちだ。
じゃあ、なぜ、ヒット大地は思春期以降、
親がいない方が良かったかもしれない・・・と思うか?
その理由は、
早くから、「神様という、真の親にめぐり会えたかもしれない」
と思うからだ。
ヒット大地は、かなり心の広い人間だ。
言わば、ケヤキのよう大きな木だ。
ところが、ヒット大地の親は、
しばしば、ヒット大地を盆栽のように、
扱おうとした。
それも無理はない。
盆栽の方が扱いやすいし、
他人に迷惑もかけないだろう。
だから、ヒット大地と両親は、
意見が対立することも、しばしばあった。
親に感謝しつつも、
ヒット大地は、「俺は、盆栽じゃないぞ」
と、いつも思っていた。
幸い、20代で、神に出会い、
本当に、救われた。
それまでの人生が嘘のように、
心底からの、安らぎを得た。
薄暗い街角から飛び出て、
急に青空を見つけた思いだった。
そう。神様は、のびのびと生きることを教えてくれた。
ただし、これは自由気ままではない。
神様はときどき、ヒット大地に厳しい試練も与える。
また、神に愛されるためには、
社会奉仕を、常に、やり続けなければならない。
現在ヒット大地が、
様々なボランティアを行っているのは、
そのためだ。
動画を作り、人生相談を行い、
最新の健康情報を、皆に届け、
こういうブログを書いているのも、
すべて神に愛されるためだ。
神に愛されるためなら、
命も、惜しくはない。
権力者が嫌がることも、
ばんばん発言する。
しかも怖くはない。
これ、不惜身命という。
昔、40代の有名女流作家が、次々と乳がんになった。
そして、「哀哭の書」を残し、あの世に旅立った。
世間は、「かわいそうに」と言った。
子供を残して、死んでしまうのね・・・
正直言おう。
ヒット大地は、同情しなかった。
40代と言えば、子供たちは、おそらく思春期だ。
思春期の子供たちは、
親の欠点に敏感な年頃だ。
ちょうど世間がわかり、
いろいろな本を読み、
親を客観的にみることができるようになる。
小学生のころは、
「父さん、母さん、大好き」
だったのが、中学生になり、
「ちょっと、うざいんじゃない」
ということになる。
そういう時期は、子供たちは、ふと、
「両親が、道徳的に素晴らしい人間なら、いいのに」
と思うことも多いだろう。
親の小さな「ズル」が、
子供たちの心を、ひどく傷つけるのだ。
そんなとき、乳がんの母親が、
ピーピー泣き言を言わずに、
「お母さんは、乳がんで、もうすぐ死ぬの。
これも運命なんでしょう。
でも、あなたたちに出会えて、本当によかった!
お母さんには、欠点もあったけど、
その点は許してほしい。
私がいなくても、あなたたちは、立派に生きるのよ!
絶対、世間の悲しみ苦しみに負けちゃダメよ!」
と言い残せば、
子供たちは、慟哭し、母親の心の強さを尊敬し、
一生、まともな人間として、生き抜くだろう。
生きて、「門限は、7時まで」・・・とか、
「そんな恋人とつきあっちゃダメ」
などと、子供の生活に過度にこまごま干渉するより、
子供たちにとっては、ずっと大きな意味をもつだろう。
そう。
ほとんどすべての親たちは、「子離れ」ができないのである。
引きこもりや拒食症の子供の原因のほとんどは親に責任がある。
多くの親は、子供の生活や性格に、過干渉をし、
その結果、子供の人生を台無しにしている!
・・・・これが、日本の家庭の実態だ。
「親であること」のステータスに甘えているのだ。
確かに、母親の我が子に対する愛情は理屈ではない。
女性の体内には、オキシトシンというホルモンが、たっぷりある。
そのせいで、子供に対する愛情は、
父親よりも深いと言われる。
しかし、そんな母親の愛だって、
世間体などのエゴイズムに染まっている部分もある。
子供の人格を愛するのではなく、
世間体で、いい子供になってほしいから、
子供に説教するのだ。
子供の進路に口出しをするのだ。
それはかなり自己愛だと言っていい。
ヒット大地は思う。
思春期を過ぎた子供には、
基本的に、親は必要ないように思う。
強いて言えば、
親というより、「良き相談相手」であってほしい。
子供たちはむしろ、それぞれ、
本を読んだり、テレビで見た理想の人、
そして、できうれば、神様を親と考え、
その教えに、忠実に生きればいいのだ。
死んだ子供は、あの世で、指導霊に導かれ、
最高の幸福を手にする。
ところが、なまじ、現世の親が、
いつまでも、死んだ子供のことを忘れられず、
その子供の心を縛り付け、
子供は、折角の幸福を、台無しにする・・・
それが霊界の常識だ。
こうなると、子供を不幸にするのは、親だ・・・ということになる。
「4歳のころの子供の笑顔を見れば、
親はもう、それだけで、一生、満足すべきだ」
・・・という意見がある。
ヒット大地も、それに賛成だ。
ヒット大地は昔、子供と多くの交流を持った。
今でも子供を見ると、つい頭をなでたくなる。
動物たちとも、いい思い出をたくさん持っている。
ヒット大地は、人間の子供を持つことはなかった。
しかし子供の可愛さは十分にわかっている。
世間の親たちは、
「子供は束縛されることが大嫌いだ」と言うことは、
最低限、肝に銘じるべきだろう。
思春期以降は、
基本的に誠実な親であってほしいと、子供は思う。
そして、ときたま、
「ちょっとアホに見える親」の方が、
子供にとっては、精神的に、ずっと楽だろう。
今回の日記は、うまく行っている親子から見ると、
批判も多いだろう。
しかし、うまく行っていない親子も、
非常に多いのが、実情である。