皆さんは葬式や法事の時に僧侶によって唱えられるお経の意味が解りますか?
私にとっては基本的にあまり気持ちのいいものでは有りませんでしたし、唱えたからと言って何か良い事が起きたという経験も有りません。
創価学会や日蓮正宗では「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげいぎょう)」、
うちは浄土真宗でしたから「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えていました。
どういう意味でしょうか?
こちらから転載
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「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」との違いは何なのでしょうか。
先ず両方に共通しているのが「南無」という言葉です。これはサンスクリット語で「~に帰依する」という意味だそうです。
で、阿弥陀仏はもちろん「阿弥陀」という「仏様」のことで、「妙法蓮華経」というのは「法華経」のことです。
○法華経 – Wikipedia
なので、これらのお経の意味はそれぞれ「阿弥陀仏」と「法華経」をひたすら信じ、敬うから救ってほしい、ということになります。
ネットを調べてみると、「南無は感嘆詞と思えばいい」ともありましたので、「ああ、仏様。法華経」といってすがるような感じなのでしょう。
しかし、この「阿弥陀仏」や「法華経」が本物の神様であれば特に問題はないのですが、当然、これらは本物の神様ではありません。悪魔です。
先ず「阿弥陀」ですが、これは大乗仏教の如来の一つだそうで、「大乗仏教」といえばかの悪名高き「密教」も含まれています。つまり、「密教」の神様でもあるわけですね。
○大乗仏教 – Wikipedia
「密教」は悪魔教なわけです(詳しくはこちら)し、悪魔教の神が本物の神であるわけがないので、当然、この「阿弥陀」は悪魔ということになります。
なので、「南無阿弥陀仏」と唱えると、「ああ、悪魔よ。あなたを敬います。あなたに帰依します。どうぞお救いください」と呼びかけるのと同じことになります。
果たしてあなたはこんな言葉を口にしたいですか。私としては、この言葉をここに書くだけでも気分が悪くなりました。
一方の「法華経」ですが、「法華経」には「上行菩薩」という菩薩が登場します。で、この「上行菩薩」が何者なのかというと、恐ろしいことにかの「サナト・クマーラ」なのです。ウィキペディアにこう書かれてありました。
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
神智学を日本に紹介した三浦関造はサナト・クマーラと法華経に登場する上行菩薩を同一視している。
----------------(転載ここまで)
この「三浦関造」が何者なのか調べてみたところ、ウィキペディアではキリスト教の牧師となっていて、その宗派は「メソジスト派」。
○三浦関造 – Wikipedia
「メソジスト派」といえば、かの悪魔崇拝者ジェイ・ロックフェラーと同じ宗派ですね。
しかも、この三浦関造の書いた著書の中には「真理の太陽 綜合ヨガ (竜王文庫 1954年)」とか「聖シャンバラ (竜王文庫 1963年)」とか「マニ光明ヨガ (3版 竜王文庫 1974年7月)」なんてものがあります。
ヨガとかシャンバラにこうもこだわるということは、この人が悪魔崇拝者である可能性大です。つまり本物のクリスチャンではないということです。
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転載ここまで
どちらも「ああ、悪魔よ。あなたを敬います。あなたに帰依します。どうぞお救いください」と呼びかけているということです。
とんでもないことです。
皆、知らずに唱えているのです。
これだけでも、仏教が悪魔崇拝と言われても仕方がないですね。
「梵天勧請」話にしても、お経の話にしてもこれ以上関わりたくないと考えるようになりますよね。
以上
私にとっては基本的にあまり気持ちのいいものでは有りませんでしたし、唱えたからと言って何か良い事が起きたという経験も有りません。
創価学会や日蓮正宗では「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげいぎょう)」、
うちは浄土真宗でしたから「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えていました。
どういう意味でしょうか?
こちらから転載
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「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」との違いは何なのでしょうか。
先ず両方に共通しているのが「南無」という言葉です。これはサンスクリット語で「~に帰依する」という意味だそうです。
で、阿弥陀仏はもちろん「阿弥陀」という「仏様」のことで、「妙法蓮華経」というのは「法華経」のことです。
○法華経 – Wikipedia
なので、これらのお経の意味はそれぞれ「阿弥陀仏」と「法華経」をひたすら信じ、敬うから救ってほしい、ということになります。
ネットを調べてみると、「南無は感嘆詞と思えばいい」ともありましたので、「ああ、仏様。法華経」といってすがるような感じなのでしょう。
しかし、この「阿弥陀仏」や「法華経」が本物の神様であれば特に問題はないのですが、当然、これらは本物の神様ではありません。悪魔です。
先ず「阿弥陀」ですが、これは大乗仏教の如来の一つだそうで、「大乗仏教」といえばかの悪名高き「密教」も含まれています。つまり、「密教」の神様でもあるわけですね。
○大乗仏教 – Wikipedia
「密教」は悪魔教なわけです(詳しくはこちら)し、悪魔教の神が本物の神であるわけがないので、当然、この「阿弥陀」は悪魔ということになります。
なので、「南無阿弥陀仏」と唱えると、「ああ、悪魔よ。あなたを敬います。あなたに帰依します。どうぞお救いください」と呼びかけるのと同じことになります。
果たしてあなたはこんな言葉を口にしたいですか。私としては、この言葉をここに書くだけでも気分が悪くなりました。
一方の「法華経」ですが、「法華経」には「上行菩薩」という菩薩が登場します。で、この「上行菩薩」が何者なのかというと、恐ろしいことにかの「サナト・クマーラ」なのです。ウィキペディアにこう書かれてありました。
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
神智学を日本に紹介した三浦関造はサナト・クマーラと法華経に登場する上行菩薩を同一視している。
----------------(転載ここまで)
この「三浦関造」が何者なのか調べてみたところ、ウィキペディアではキリスト教の牧師となっていて、その宗派は「メソジスト派」。
○三浦関造 – Wikipedia
「メソジスト派」といえば、かの悪魔崇拝者ジェイ・ロックフェラーと同じ宗派ですね。
しかも、この三浦関造の書いた著書の中には「真理の太陽 綜合ヨガ (竜王文庫 1954年)」とか「聖シャンバラ (竜王文庫 1963年)」とか「マニ光明ヨガ (3版 竜王文庫 1974年7月)」なんてものがあります。
ヨガとかシャンバラにこうもこだわるということは、この人が悪魔崇拝者である可能性大です。つまり本物のクリスチャンではないということです。
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転載ここまで
どちらも「ああ、悪魔よ。あなたを敬います。あなたに帰依します。どうぞお救いください」と呼びかけているということです。
とんでもないことです。
皆、知らずに唱えているのです。
これだけでも、仏教が悪魔崇拝と言われても仕方がないですね。
「梵天勧請」話にしても、お経の話にしてもこれ以上関わりたくないと考えるようになりますよね。
以上
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