万葉集の始めの歌、雄略天皇の歌、『こもよみこもち』に出てくる「空に見つ」は、日本書紀にその由来が出ています。
物部氏の始祖、饒速日命(ニギハヤヒのミコト)が空飛ぶ磐船に乗り、次のように言います。
「虚空《そら》に見つ日本《やまと》」
今回は、神々が日本をどのように表現したかの続きです。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、3つの呼び名で呼んでいます。
「日本(やまと)は浦安(うらやす)の国」
「細戈(くわしほこ)の千足(ちだ)る国」
「磯輪上(しわかみ)の秀真(ほつま)の国」
島根県の出雲が本拠地の大国主のミコトは、次のように呼びます。
「玉垣(たまがき)の内(うち)つ国」
奈良盆地の大和を勢力下に置いたばかりの神武天皇は次のように呼びました。
「蜻蛉(あきづ)の臀舐(となめ)の如くあるかな」
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大国主のミコトの言葉を解読します。
「玉垣の内つ国」
「玉垣」とは何か
神社の周りの垣根です。薄い灰色の石の短い柱を間隔を空けて立てていくものを言います。
写真は、家の近所の聖徳太子を祀った聖徳宮の玉垣です。
石の玉垣の施工例です。
(なか川石材株式会社様HPより)
玉垣を木で作る場合もあります。
(株式会社飛鳥建築様HPより)
四角い柱なので、丸い「玉」の要素は一切ありません。辞書を見てもネットで検索しても、「玉」は美称だとしか書いてありません。美称だと言われるものの多くが、だいたいにおいて、分からないから逃げているだけのような気がします。
「たま」には、もう一つ意味があります。日本書紀に出てくる用法です。
高皇産霊尊(タカミムスビのミコト)のお子さんの少彦名命(スクナビコナのミコト)が高天原から落ちてくる場面でのことです。一寸法師のような小さな神様で、高皇産霊尊の手のひらからこぼれ落ちます。
「手間(タマ_手の指の間)より漏(ク)き堕ちにし(漏れ落ちた)」と表現されています。狭い指の間を通って落ちてきたという意味です。
指の間の空間を「手間(たま)」と呼びました。
私の手と玉垣を見比べてみてください。
形を見れば分るということだと思います。
玉垣は、「玉」という漢字を使っていますが、
「手間(たま)」のように間を空けた垣根という意味です。
少彦名命(スクナビコナのミコト)は、大国主命(オオクニヌシのミコト)の相棒です。神話によると、この二人で豊かな国造りを進めました。
その相棒にちなんだ言葉を使って大国主命は、何が言いたかったのでしょう。
これも「空に見つ(空から見れば分るはず)」です。
いつものように国土地理院地図の自分で作る色別標高図を使います。関東平野が海だった場所に合わせて、標高15mまで青と水色に色付けしました。
陰影起伏図の方が分かりやすいかもしれません。
昔の海岸線に垂直に長さと幅の揃った谷が並んでいます。
この谷が並んだ様子を玉垣になぞらえたのではないでしょうか。
イザナギのミコトが、
「細戈(くわしほこ)の千足(ちだ)る国」
と呼んだ地形と比べてみます。
(国土地理院地図 茨城県霞ヶ浦付近)
こちらは、海岸線に対し谷が斜めに入り込んでいて、河口が広がっているため、尾根が矛(ほこ)のような形に見えます。
「玉垣の内つ国」とは、
北側は島根半島の山地、
南側は中国山地のそれぞれにある
玉垣のような地形に挟まれた
出雲平野と宍道湖(しんじこ)
周辺の地域を指した言葉です。
ウィキペディアの宍道湖のページを見ても
緑との対比で谷の形が玉垣のようです。
大国主命は、自分の本拠地をこのように表現したのです。
イザナギのミコトとイザナミのミコトが一緒に日本列島に来た時には、北海道を除き一つの大きな島が横たわっていました。
イザナミのミコトが誘う津波を伴う海流の進入が瀬戸内海を作り、それにより大きな島が大きく3つに分かれました(本州、九州、四国)。今から一万年前のことです。
縄文海進の最盛期には、島根半島が本州から切り離されます。今から6000〜7000年前のことです。
イザナミのミコトがお亡くなりになり、縄文海進が終わると、河川による土壌の堆積あるいは、人為的な干拓により、出雲平野が現れ、本州と島根半島は再び繋がります。
その時代に活躍したのが、大国主命とその相棒の少彦名命です。
高皇産霊神の手の指をすり抜けてきた少彦名命は、ガガイモ(カガミクサ)の実の小さな鞘(さや)を船にして潮水に漂っていました。
北の島根半島の山々か南の中国山地の高い場所(高天原)から、玉垣のような谷をすり抜けて現在の宍戸湖あたり、当時はまだ海または、海辺の湿地帯だった場所にたどり着いた様子を表しているのかもしれません。
その時代に二人で国造りをしたということは、おそらく浅瀬や湿地帯の干拓を行うことで農耕のできる平野を広げていったということだと思われます。出雲平野は二人の干拓により生まれた土地なのかもしれません。
あるサイトにあった図を見ると、それは今から4000年前の出来事のようです。
(おおだwebミュージアム より)
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