「こもよみこもち」の歌に戻ります。
虚見津 |山跡乃國者
押奈戸手 |吾許曽居
師<吉>名倍手|吾己曽座
【私の訳】
伝えてほしいボクの国
空から見れば 分かるはず
どんどん広がる国だけど
ぱあっと広がる国だけど
「空から見ると、大和朝廷の影響力の及ぶ範囲がどんどん広がっている姿が分かるはず。」
と歌っています。
雄略天皇の時代に
大和朝廷の影響を及ぼす範囲が
広がっていったそうです。
「おしなべて」と「しきなべて」が
対になっているので、私の翻訳では、
押すイメージで「どんどん」、
敷くイメージで「ぱあっと」
(テーブルクロスを華麗に広げるイメージ)
と訳しました。
次の「吾許曾居」がやっかいです。
この場所は7文字のはずなので、
「われこそおれ」では足りません。
さらに、「吾」ですが、
後で出てくる「我」と
使い分けていると考えるので、
「われ」ではなく、「あ」と読みます。
すると5文字。
「こそおれ」は古文の受験文法で習う
「こそ」+「動詞の已然形」で
係り結びです。
意味はたんなる強調とならいますが、
そんなことはありません。
已然形は元々は
「ど」とか「ども」に付く形なので、
「あこそおれども」か「あこそはおれど」
と7文字にします。
勝手にそうするのではなく、
理屈があります。
今から「こそ」の係り結びの
成り立ちを解説します。
「已然形」は現代語の
「仮定形」の祖先ですが、
意味は仮定ではなく
已(すで)に起こったことを示します。
「こそ」+「動詞の已然形」
の係り結びなんて、
典型的な古典の法則と思っていましたが、
よく考えると(ネットでしらべたんですが)、
現代でもこの言い方が残っています。
(ちょっと想像してみましょう)
次の表現は、
治療をして命は救ったけれど
後遺症を残してしまい
落ち込んでいるお医者さんに、
当の患者が言う言葉です。
「感謝こそすれ。」
これは、「こそ」の係り結びですね。
現代語に生きているということは、
自分の持っている語感で解釈できるはずです。
なので、
その成り立ちまで説明できる気がします。
言い方の進化を逆にたどってみます。
「感謝こそすれ」
↑
「感謝こそすれ、恨みには思わない」
↑
「感謝こそすれども、恨みには思わない」
最後の文は、全く違和感がないのですが、
よく考えるとおかしい点があります。
「すれども」は逆接の接続のはずですが、
後節は内容的に順接になっています。
元々
「感謝もすれども、恨みにも思う」
という逆接の複文が
「感謝もすれども、恨みにも思うか(いや思わない)」
と疑問(反語)になり、
「感謝すれども、恨みには思わない」
という否定に変わっていったはずです。
前節を強調するために
「こそ」を付けて、
言う必要が薄れたことや
言わなくても分かること
を省いていった末にできたのが
「感謝こそすれ。」です。
この表現は、
「感謝」を単に強調している
だけではありません。
このケースにおいて、
後遺症が残って恨みに思っても
仕方がない状況が前提にあった上で、
それでも(逆接)「感謝」しているのです。
つまり、逆接の意味が残っています。
逆説についてもう少し考えます。
うちの小学生の息子が、
勉強しないことを怒られた時に逆ギレして
「この前のテスト良かったんですけど!」
と叫びます。
意味は、
「この前のテスト良かったんだから、
文句言うな」
で順接の関係のはずです。
なぜ、ここで
「ですけど」
と逆接の接続詞を使うかと言うと、
勉強が足りずに成績が落ちるかもしれない、
と言う状況を一部自分で認めているからです。
自信がないから逆切れして
勇ましく振舞うんです。
否定的な状況を前提に、
自信がないから強く反発する言い方は、
「こそ」単独でも見ることができます。
「今度こそ!」
と言う状況は、
「前回ダメだった」
ということです。
ずっと負けるような状況の中で、
それでも
「(だめかもしれないけれど)
今度こそ勝ちたい。」
という意味になります。
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一方で、「我こそは」と聞くと、
何か勇ましい感じがしてしまうのは、
鎌倉武士が戦場で名乗りを上げる風習を
私たちが知っているからです。
勇ましい人が名乗りを上げる風習は、
きちんと現代にも引き継がれていて、
フーテンの寅さんの前口上
「わたくし、うまれも育ちも葛飾柴又です。」
は、その名残りです。
ネットで調べてみれば分かりますが、
寅さんの前口上はとっても謙虚な内容です。
もっと謙虚なのは意外にも
若いころの高倉健さんが出ているような
任侠映画に出てくる人々です。
別の組の事務所に行って挨拶する時には、
必ず自分が先に名乗らなければいけないので、
座って聞いてください、
という意味のことを言います。
そう言われた方も、
はいそうですか、とはならず、
いやいや私の方こそ
先にご挨拶しなければいけないので、
あなた様は座って聞いてください。
というやり取りがあります。
どちらがより謙虚かという、
謙虚比べが始まり、
なかなか先に進みません。
あなた様は、座って聞いていてください、
という意味の言葉が、
「お控えなすって」です。
仁義を切るというやつです。
ネットの動画でも出てきますが、
そういう映画のはじめの方で、
A:「お控えなすって」
B:「いや、そちらさんこそ、お控えなすって」
A:「いえいえ、そちらさんこそ、お控えなすって」
B:「いやいやいや、....」
ずっとやってます。
今見ると可笑しくてしょうがないのですが、
数十年前は、真面目な場面で行われて
違和感がなかったということは、
よくある風景だったのでしょう。
万葉集や日本書紀の解説でも、
先に名乗りを上げるのは
格下の方からと書いてあるので、
任侠の世界だけの話では
なかったんだと思いますし、
ましてや、武士はその筋と
親戚のような人々だったと
思いますので、
鎌倉武士の名乗りも
謙虚さの現れと考えた方が
良いのではないでしょうか?
「我こそは」の現代語訳は、
×「俺はこんなに強いんだ」
ではなく、
〇「(他にもたくさん強い人はいるという状況で)弱い私の方からこそまず名乗らせてもらいます」
ですね。
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万葉集に戻って、
「吾許曽居」は、
「まだ地方の豪族で
権勢を誇っている人たちは
たくさんいるけれど、
自分だって負けてないんだよ」
という謙虚さを伴った自慢話です。
「あこそおれども、並ぶものも居るか(いや居ない)」の省略です。
後節は取っても意味が通じます。
「ども」も取って「あこそおれ」でも
意味が通じますが、
あっても問題ないと思います。
現代人にとっては、「ども」がないと
名乗りの謙虚さが伝わらないので、
あえて付けたいと思います。
ここでの読み方は
「あこそおれども」
になります。
それではこの部分の読みを確認しましょう。
虚見津 |そらにみつ
山跡乃國者 |やまとのくには
押奈戸手 |おしなべて
吾許曽居 |あこそおれども
師<吉>名倍手|しきなべて
吾己曽座 |あこそいれども
「こそ」のニュアンス難しいですかね。
この歌においては、
菜摘をする子に自分の凄さを伝えてほしいので、
「全国に僕の影響力が広がっているんだけど、僕以外に彼女と釣り合う人がいるだろうか?(いないよね)」
という感じです。
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