日本列島の下で鉄板焼きをしているんじゃないかと思うほど、6月にしては異常な暑さ。群馬県では40℃超えたそうな・・・・・。
山形響の東京大阪公演から帰形して、山形Qのリハーサル。明日からまた関東に行くんだけどね・・・・。時間が空き過ぎても今までの練習の積み重ねが無になるのも怖いし・・・疲れているよりも怖いのは家族サービスなしになる事か・・・・。こんな生活を続けて20年以上、頑張ります。
さて、本日はL.ボッケリーニの小弦楽三重奏曲から。
この曲、ハイドン、モーツァルトを演奏し慣れていると、自分のパート譜だけでは??が飛びまくります。(私の楽典不足からかも・・・)。兎に角掴みどころがなくて分かり辛いし、ずーと真っ裸で街中を歩かされているような、気恥ずかしさがあります。ヴァイオリンは中心的に旋律を演奏するので、少し装飾の多い楽譜のような感覚で演奏出来るような気もしますが、それに対しての伴奏が音が少なく、20年以上前にハイドンを弾き始めた時のような感覚、どう料理していいか分かり辛い曲なのです。結局L.ボッケリーニの語法に馴染みがないという事なのですが・・・・。3人で合わせてみれば「おう!」「そうなのか!」「いいねぇ!」になるのですが、一人で練習する時は、完全に他のパートを意識して練習するしか無いようです。
F.シューベルトの弦楽三重奏曲第2番〜なんて良い曲なんでしょう!若い頃には退屈に感じていたかもしれないけど、今の年齢になったらこういう曲は魅力の宝庫にしか感じません。モーツァルトやベートーヴェンには無い包み込むような優しさや楽しさ、時間をゆったり進める贅沢さなどなど毎回感じることは変わりますが、演奏していて、完成していないくせに(練習しきってないくせに)幸せを感じます。歌心や余裕、呼吸感まだまだ詰めなければならないことは山積みでも、その一つずつクリアしてゆく行程さえ愛おしく感じます。
また次回。
チラシを貼らせていただいたり、置かせてもらう活動をしています。
ただいま28箇所及び山形市内公民館