浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

台湾 日本語世代が語る真実②

2013-04-24 05:16:15 | 資料

台湾の軍艦汚職-ラファイエット事件

 1979年1月1日に、中共へ接近する米国は中華民国(台湾)へ国交断絶を通告。同年4月10日に米国議会では「台湾関係法」が成立した。その9年後に蒋経国総統が急死し、副総統であった李登輝氏が台湾総統に就任した(1988年1月)。

 外交が途絶えて米国より武器導入が出来なくなった台湾海軍部は、光華2号計画(高性能フリゲート艦導入)を進めていた。当初の計画では、韓国製フリゲート艦(蔚山級2000トン;現代社製)を20隻導入する内容だった。

 1988年頃、台湾海軍部はドイツのフリゲート艦にも興味を示したが、売り込みが熱心であったトムソン社グループ(仏)の提案に注目していた。トムソン側は、2000トンクラスよりも3000トンクラスのフリゲート艦が台湾には適している事を力説する。台湾海軍部は詳しく検討した後、翌年10月、韓国艦導入中止と決定し、仏のラファイエット艦(3200トン)を6隻導入する事となった。だが、この変更は就任直後の李登輝総統に知らされず、総統は韓国艦の導入案が継続しているものと思っていた。

 もともとフランスは、中共と仲が良い。それで台湾への輸出に反対する仏政府関係者もいたが、どうした訳かミッテラン大統領の後押しがあって、1990年1月3日に台湾へ輸出すると決定した。フランス側のコードネームでは、これを<ブラボー>計画と呼んだ。金のためには「フランスの栄光」など何処へやら、中仏友好等吹っ飛ぶのは何時もの事だ。

 ところが翌日、天安門事件後処理に苦しむ中共から強い対仏圧力があったために、鉄仮面ミッテランは輸出許可中止とした。それにも拘らず、トムソン社はリベート確保を伝えながら、台湾海軍側と建造仮契約を結ぶ。<ブラボー計画>の裏側推進だ。

 一方で、トムソン社は臆面も無く中共へ幹部3人を派遣、ラファイエット艦の技術資料(書類重量96kg)を渡す。こうしてラファイエット艦の軍事機密は中共へすっかり筒抜けになった。また、この際中共要人へもトムソン側からリベート約束がなされたと言う。

 1年半後の1991年8月、何も知らない李登輝総統は、台湾軍事委員会で「韓国から蔚山型フリゲート艦を導入する事は、友好関係を維持する上でも重要」と発言し、台湾海軍部をあわてさせる。そこで、海軍総司令は経過説明書を提出、李登輝総統は一応それを了承した。8月下旬、トムソン社と台湾海軍部は正式契約をした。結果的には、1992年8月24日、韓国による国交断絶通知により、この韓国艦導入計画は完全に消滅したのである。

 台湾海軍部は、フランス側と交渉を重ね、ラファイエットの艦体のみを購入する事にしていた。名目上、フランスは海底探測船として台湾へ輸出し、武装設備一切は中共へ渡す事に変えたのであった。これを取り仕切ったのが台湾海軍部のカク白村部長である。将に完全な売国行為である。台湾としては、総額980億元の買い物で、当初計画の2倍の価格であった。しかも、それは戦闘装備の無い空船だ。その後、650億元を追加して艦上装備を購入することになった。

 デュマ仏外相によると、リベートはフランス側が5億米ドル(44人で分配)、台湾側が3億2000万米ドルと言われ、台湾分の中から中共へ一部が渡った。

 では、台湾が購入し、結果的に中共へ渡ったフランス製の艦上装備はどうなったか。それは、トムソン社から中共に渡された96Kgに及ぶ設計資料を用いて中共が艦体建造したハルピン艦に積み込まれた。中共は艦上武装一式をフランスから購入したとしているが、実際はただで入手し、更にリベートまで貰った。台湾にしてみれば、泥棒に追い銭と言う訳だ。

 更に、台湾の空軍戦闘機導入「飛龍計画」では、1667億元でミラージュ2000-5(仏ダッソー社)を60機導入した。この時にも、リベート疑惑があった。これは、コード・ネームで<タンゴ>計画と呼ばれる。

 詳しい状況は、数年前からこの亊案に注目しているアンディ・チャン氏(台湾人)の連載論説であからさまに述べられている。昨年12月から始まったこの連載は、現在までに11回目を数え、国家間の汚辱にまみれた浅ましい姿を記述している。その第一回は、阿貴さんの「台湾関係コラム」に転載されているから、アクセス容易だ。
http://rinnkennryou.blog24.fc2.com/blog-entry-622.html

 光華2号計画に係わっていた台湾の尹清楓大佐が、1993年12月に殺された。この殺人事件では、艦上装備に絡んでドイツ企業の女性エージェント、そして尹清楓の同僚達にも疑惑の目が向けられた。つまり、ラファイエット事件が発覚したのである。そうした重要な内容を、当時の李登輝総統がどの位把握していたのか、実に興味がある。

 余談だが、事件が発覚する同じ年、1993年1月2日に司馬遼太郎氏が台湾を訪問し、李登輝総統とも懇談している。民間人の司馬氏は、平和に溢れた台湾の風景を楽しむ事は出来たが、台湾軍部が進めていた艦船導入の動き等全く分らなかったのは当然だろう。

 その後、1996年に台湾総統の民主制に基く直接選挙が行われ、李登輝氏(国民党)が総統に選ばれた。だが、国民党は2000年3月の総統選挙に負けて、民進党の陳水偏政権となり、ラファイエット事件関係の暗黒部分が徐々に掘り起こされて行く。関係者の不審死が連続し、カク白村も裁判に登場している。2004年には陳水偏総統の再選もあって、調査は着実に進んだようだ。この台湾・フランス・中共を絡めた巨大な国際汚職事件はどのように表沙汰になり、新たな展開になるのか、全く予断を許さない。

 ラファイエット事件については、2005年12月1日、「大紀元」も詳細に報道している。

台湾軍艦購入事件で、江沢民氏など中国高官8人に買収資金流出
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/12/html/d66850.html

 この頃、パリでは「クリア・ストリームスキャンダル」が発覚、ラファイエット事件と直接に絡んで、シラク政権を揺がしている。
http://rinnkennryou.blog24.fc2.com/blog-entry-990.html

 実際に台湾へ配備された康定級フリゲート艦の姿は



 フランスは、台湾の選択肢が限られると言う弱味に付込み、こうした悪どい事を官民でやったのである。シナの賄賂体質は何時もの事で驚かないが、台湾海軍調達部門の売国ぶりには呆れてしまう。防衛庁調達本部の不祥事等、ラファイエット事件に比べればスケールの点で大人と子供の違いがある。

 軍艦や戦闘機は高額な買い物であり、密秘が伴うのでよからぬ輩がたかるのである。我国でも、古くはシーメンス事件、戦後はロッキード・グラマン事件が有名であるが、台湾の国防は我国とも連動する故、無関心でいられない。そして、中共、フランスは平気でこうした商いをする国柄であることをしっかりと覚えておきたい。

 台湾海軍には、支那人(外省人)が何割いるのか、また、その愛国心の程度がどうなのか、些か気になる。


陸奥月旦抄 2006-05-22 01:52:06より全文引用

http://blog.goo.ne.jp/charotm/e/68971c1300b2e584905c12561f682a52

中華民国海軍の軍艦購入にまつわるラファイエット汚職疑惑では12人以上の証人が台湾で不可解な「高層ビルから投げ落とされる」死を遂げ、フランスでも12人以上のフランス人証人が同じ死に方をした。

支那人の居住区には必ず、幇(パン)と呼ぶ暗黒組織ができる。有名な紅幇(ホンパン)、青幇(チンパン)は世界中に拠点があるし、台湾の竹聯幇は紅幇、青幇とつながっている。

http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/d/20130218

台湾外省人は国民党軍が支那大陸から来襲し、この台湾を占拠したよそ者であり、現在の大陸と貿易や交流が盛んとなり、本来の台湾の国民である内省人とは明らかに別の民族といえる。

人口二千四百万の台湾に一千万人の支那人が移住すれば数年で中国と統一するだろう。数百万人の支那人がサンフランシスコに移住すれば市長を始め市会議員の半数が支那人となる。
もっと人口の少ないところ、例えば沖縄、石垣島などに支那人が押し寄せればどんな事になるか。

米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=YG9HvrgwmaM

慰安婦は志願か強制か 台湾日本語世代の証言

http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=t3tyJbHqSk0

台湾の老人が、「NHKの後ろには中共がついているんだろう」と一喝。

http://www.youtube.com/watch?v=wy4tcmQPzPU

◆ブログ「There will never be another you.」より

2011-03-26

(引用はじめ)

台湾ありがとう!と言っている人たちへ


台湾で東日本大震災の被災地向け募金額、57億円を超える―台湾メディア 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1546755&media_id=31 

何故57億円も超える義援金が、2000万人ほどの人口の国から集まったのかご存知ですか? (注※最終的には約200億円) 

一年前のちょうど今頃、台湾旅行に行ってきました。 
それは、日本の統治時代を生きた人たちが、ご健在の内に当時を知るお年寄りと話がしたかったからです。 


台北市に台湾総督府本庁舎と言う建物があります。 

日清戦争の結果清国から割譲された台湾を統治するために設置された、日本の出先官庁で台湾総督府と当時は呼んでいました。 

日本統治50年間で建築された最大の建築物で1919年(大正15年)に建てられました。 



現在でも中華民国(台湾)の総統府として使用されており、午前中は一般公開され、日本語を話すことが出来るガイドさんが建物の説明や統治時代のお話をして下さいます。

30代半ばの流暢な日本語を話される男性がガイドしてくださったのですが、最初に案内された小さな部屋。 

「ここは喫煙室です。すごいでしょ?日本人。ほら、ここから煙を外に逃がすようになってるんです。マナーを大事にしていたんですよ。今から100年も前ですよ!」 

何度も何度も「凄いでしょ?」と誇らしげに語られました。 

その愛情に満ちた表現に、統治時代を生きていない台湾の人の心の中にも、当時を生きた人と同様な思いが脈々と受け継がれている事を感じました。 

私たちのガイドグループには韓国の学生さんも参加していました。日本に留学経験があるとの事でこの学生さんも日本語が上手でした。 

台湾総督府と併合して、朝鮮総督府の写真が表示してあります。 
ご存知の通り、朝鮮半島も日本が統治していました。 

台湾のガイドさんがその時、韓国学生さんに 

「私たち台湾人は台北空襲で爆撃され壊れてしまった総督府を一生懸命直しました。今も大切に大切に使っています。 

けれど、あなたの国、韓国は壊してしまいました。何故なんですか?韓国総督府は台湾よりも立派な建物です。 

韓国は台湾よりも日本に大事にされてきました。 

なのに何故壊す?私たちは日本に感謝しているけれど、何故あなた達はしないのですか?私にはあなたたちの事がよく分かりません。」 

学生さんは困ったような顔をしながら、 

「いえ、全部は壊していません、一部は残っているはずです・・・」と。 

それでも気が収まらないようで台湾ガイドさんは 

「今の台湾がこうしてあるのは日本のお蔭ですよ、あなたの国は台湾よりも大事にされてきたのに・・・」 

この会話のやり取りを聞きながら、戦後生まれの世代の人からこのような言葉を聞けるとは思ってもみなかったので、驚きました。 

昔の日本は台湾の若い人の心にも受け継がれているのだなと。 

日本人でさえ、当時の歴史を知らず「日本は悪い国だった」と平気で言う中、嬉しくもあり、また恥ずかしくもありました。真実を語り継がねばと。

(引用おわり)

http://ameblo.jp/independence-sky516/entry-10842233715.html

◆日本レトロ「台湾でブーム」


「日本レトロ」台湾でブーム 旧軍宿舎や民家、カフェ・民宿に

 日本統治時代(1895~1945年)に建てられ、戦後は廃墟となっていた木造の日本家屋を民宿や喫茶店などに再利用する動きが台湾全土で広がっている。この十数年の台湾人意識の高まりとともに、台湾史の一部である日本時代が客観的に評価されるようになり、身近に残された「日本」への愛着が市民の間で芽吹き始めたことが背景にある。以上、冒頭より/讀賣新聞 平成25年2月19日朝刊 記事(切り抜き)購入紙面(6面)より日記の資料として参照

統治時代を懐かしむ台湾シニア世代

 統治時代と謂えども、決して“植民地時代”ではなかった。それこそが史実である。日本となった台湾(当時)に対し、名だたる敷島の先人、先達が身を以って鉄道をはじめとするインフラを敷き、主産業たる製糖を起こし、国民に必要な学校や病院の拡充に努め、教育や暮らしの水準の向上に寄与したのである。

西欧がアジア諸国になした搾取と愚民化のため諸策とは正逆のものであり、この点の指摘を日本は怠っている、

 朝鮮に対しても同じように国力を挙げて手厚く寄与したが、そちらの方は、まったくの嘘、妄言を並べた捏造史観によって、あたかも朝鮮が植民地支配を被ったかのように、本来、恩義ある日本を毀損し続けている。

特異な精神病理の発現そのものであり、統治時代に懐かしみや愛着を覚えてくれる台湾のシニア世代の人々とは対照的であり、異常としか謂ようがない。

官民挙げての日本ブーム

しかも台湾の人々が当時の建築物を、大切な文化として今も大事に保存し当時を懐かしんでくれているのに対し、朝鮮は率先してそれらを破壊しては、統治時代がまるで悪夢であったごとく嘘を並べてお互いに反日を競っているのである。この異常さは民族の血ゆえの差と言うほかない。

紙面には、『台湾人は、日本時代を知る老年層の「愛日」や「懐日」から若年層の「哈日(ハーリー)」(日本のサブカルチャー好き)まで、様々な親日感情が存在する。官民挙げてのレトロブームは今後も拡大しそうだ』と結ぶ記事の中に、全土で日本ブームが広がっている。その様子を伝えている。

 「台湾にある『日本レトロ』の店舗や施設」 (記事中より)

 この「日本レトロ」ブームについて、紙面は「戦後、国民党政権下では、「自国史」として中国史が教えられて来たが、1990年代後半から学校教育に台湾史が取り込まれ、2000年の政権交代(民進党)を機に台湾人意識が急速に高まった」と。「日本の家屋の再利用は、こうした流れと並行して全土で始まった」(紙面)としている。
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台湾のシニア世代の人々

 教育の重要性を確認できる一つと謂えよう。台湾の歴史に、すなわち史実に触れるほどに日本の存在と統治時代の歴史が無視し得ないものと確認できるからである。ブログを始める以前のことだが、台湾へ幾度となくお邪魔し、シニア世代の方々からさまざまにお話を伺った一人だが。誰一人として、日本を悪く言う人はおらず、朝鮮人のように嘘や悪態を晒す人はいなかった。

 さまざまに励ましをいただき、手を握り合って涙したこともあった。高砂民族は、現在の支那人とは別系統のDNAを有する人たちであり、到底、支那の一部には成り得ない台湾人である。尊敬して止まない李登輝氏をはじめ、台湾の人々の尊厳と安寧が守られることを祈って止まない。やがては先人のよき時代のように、手と手を取り合って協力し合う、相互がかけがえのない友好国へと快復することを願う。

 今度、世界を歩く時は、今度も「台湾から」と心に決めている。
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◆レコードチャイナ<中華ボイス>2013年2月23日

台湾は中国本土や韓国に劣らない、日本にとって重要なビジネスパートナー―台湾誌

22日、台湾誌・遠見は、「今まで日本企業にとって台湾はビジネスをする場所として考えられていなかったが、今は多くの日本企業が積極的に台湾でのビジネスを模索している」と伝えている。写真は台湾・高雄。

2013年2月22日、中国には巨大なマーケットがあり、多くの海外企業が主要市場に設定している。一方、2012年に米誌フォーブスが発表した「世界で最もビジネスしやすい国・地域」では、香港が3位でアジア最高位。そのほか、韓国と日本はそれぞれ30位と31位で、台湾は16位と同ランキングでは韓国や日本よりもビジネスに適しているとわかる。ちなみに中国は96位だった。

台湾誌・遠見は、「今まで日本企業にとって台湾はビジネスをする場所として考えられていなかった。中国本土や韓国での発展に行き詰まったときにだけ台湾に目を向ける。しかし今は多くの日本企業が積極的に台湾でのビジネスを模索している。台湾は日本企業にとって軽視できないビジネスパートナーとなったのだ」と伝えている。(翻訳・編集/内山)

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=69677

 ◆台湾のアヘンを根絶 「後藤新平」

医者として既にに台湾アヘン問題の深刻さを知っていた後藤新平は、日本内務省衛生局長の時代から、台湾総督府民政局に綿密な調査を指示していた。

その調査結果を基に『アヘン事項調査』を完成。

これは、「台湾アヘン問題の百科辞書」と言われるほど詳しい調査研究分析報告書であった。

第4代台湾総督・児玉源太郎の下、内務省衛生局長になった後藤新平は、綿密なアヘン問題の研究調査から、全面禁止は不可能だと知った。

強引な厳禁策をとれば、吸引者たちの激しい抵抗を受けるのは必死だと言う事も判った。

 

もしも、暴動などが起こったら、少なくとも二個師団の兵力が無ければ鎮圧は出来ないだろう。
仮に全兵力を持って鎮圧しようとしても、禁絶は不可能と思われた。

そこで後藤新平が考えた事は、アヘン中毒根絶に50年を目途にした長期計画「策」であり、アヘンを国家の専売制にして管理するという「条件付アヘン吸引」によって、じょじょに吸引者を減らしていくと云うものだった。

公営によるアヘン製造工場を作り、専売制を取り、その収益は、台湾の衛生事業施設の主要経費に当てるという一石二鳥の策である。

漸禁策は見事に的中する。

実際約17万人いた吸引者は、昭和10年ごろは約1万6000人と、十分の一に激減している。

そして昭和14年には500人を割るほどの成果を得た。

大正12年には、海関税務司のアグレンが台湾のアヘン制度に学ぶべきだと、万国禁煙会議で提案し、翌年5月3日の上海英字新聞「宇西西報」では、台湾アヘン政策の成功を絶賛した。

「アヘン漸禁策」を知った清国の実力者らは、明治43年に台湾の制度を真似して奏文で専売法を施行、漸禁策を主張した。
しかし、中国ではアヘン断禁政策は失敗し、逆に吸引者が激増してしまった。