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長野県 【松本の散訪 2005年10月】 (K氏執筆の転記)

2008年10月07日 | 中部地方
(注)このBLOGは旧BLOGから転記しています。よって、内容は当時のままですから現在は色々と変遷もございましょう。予めご容赦ください。


碌山美術館は今井兼次作の小さな鉄筋コンクリート煉瓦作りの建物で工芸的な造作が多くある。ありすぎて少女趣味的な工芸工芸しすぎて、建物が甘く感じられる。かなり前に見た長崎の二十六聖人の方が装飾的だが現代的構成的だ。構造はシンプルなのだが工芸的なディテールに目を奪われてしまう。ドアの取っ手から始まり、鐘を鳴らすチェーンの仕組み、ドアノッカー、扉、長持ち、ベンチ、外の水のみ、等々。煉瓦と木と鉄と。いちいち良い作りで趣味も良いのだが。当時のキリスト教の理想主義も入っている、これも建築の雑物、不純物、飾りになっている。展示は主要彫刻の他、アメリカ時代の学生らしいスケッチも展示されていた。本箱がありその中にはRUSKINのMODERN PAINTERSもある、当時を感じさせる。
別館には戸張弧雁、光太郎、カミーユ・クローデルなどの作品。弧雁は途中で絵から彫刻に変更した人で、好みの作風だ。作品の大きさも良い。光太郎は「腕」に尽きる。もう一つの別館には石井鶴三などの少し若い作家の作品だが、造形的に奇をてらう表現主義的なところがありあまり関心しない。
展示を見終わり、庭の凝ったつくりのログハウスがGOOSEBERRY HOUSEという名の売店・休憩所。弧雁の作品も載っているので作品集を、そして正午に頭上から響いてきた鐘につられて、鐘の呼び鈴も買ってしまった。本物の鐘と同じ鋳物屋で作成ゆえ、良いものであるとのこと。

松本に戻り1時半過ぎ、早速目当ての鰻屋「桜屋」へタクシーで。「笹蒸し」は大したことはないが、蒲焼はうまかった。次の日に食べた「まつ嘉」よりタレは甘くなくて良い。店の前は「鯛満」という蔦の絡まるフレンチレストラン。建物は良さそうだが店の名前が気に入らない。ブラブラして更紗の店を、そして骨董屋を見る。ここで魚網の錘を紐で通して売っていた、備前焼だそうで18個で15,000円。バラでもいいと言う、3個で2,000円。奥の棚を見ると子供が取っ組み合いをしているブロンズがある。8万円。誰のものかはわからない、オヤジは5万5千でいいといった。サインらしきものがあるが分からない、写真を撮らせてもらって考えることに。その他に、アヘンの取引で使う分銅もある、鳥や獅子の形で小さな鳥は5,500だった。ミャンマーかカンボジアからタイの国境を越えて持ち出したとか。密輸か、60過ぎと思われるのに、よくやるものだと感心した。中国の龍山文化、仰韶文化の土器を扱う銀座の骨董店主人もあぶない密輸をしているようなことを言っていた。陳列棚に澄まして座っているが、根は闇の中に張っている。骨董の世界の表と裏。
奥に進むと、畳の上に無造作に置かれた入道焼きの徳利を発見、というより入道焼きを教えられた。地場の焼き物。8,000円といっていたが、次の日の帰る前に7,000円で購入。松本民芸館の人によると、入道焼きや洗馬焼きは、幕末から明治期のものだが、流通が発達して瀬戸から安いものが入ってくると無くなっていったと。今の大資本が中小の良品を駆逐しているのと同じと思い、その思い出に、と購入した。
中町周辺を歩く。美味しい水の沸き出る「源智の井戸」、数人がペットボトルを何本も抱えて水を汲みに来ていた。開運堂という店で菓子を買う。帰りには、窪田空穂いわれの「さざれ水」という菓子を買うつもりが果たせなかった。空穂記念館に行くという青年と少し話す。
駅前に戻り、バスで浅間温泉へ。350円、20分位。信州大の前を通ってゆく。途中から乗った若い女性の一団も温泉客らしく奥の方へ歩いていった。我々は、「しんこ餅」というのを2つ買って宿へ。

・稲田はすでに刈り取りを終え、稲藁をもやす煙が立つ

目之湯旅館は、大きな寂れた宿、夫婦か親子か、せいぜいニ、三人でやっている模様。客は3人の子供連れの家族と我々の2組か。以前は大きな立派な宿だったのだろうが、建物は狂いや破損が多く、そこを新建材やアルミサッシで中途半端に修復している。風呂だけが素晴らしい、丸い大きな桶の露天風呂と檜の大きな部材を組んだ内湯。部屋は広いが、傷だらけのジュラク、擦り切れた古い革の椅子、狂いでうまく合わなくなったアルミサッシ、天井板はズレているし、天井からの照明のコードには蜘蛛の巣が張っている。正しい材料を使わなくては駄目だ。何度もそう思う。
主人もどこか間が抜けている、どうも調子が合わない。旅館の主人というより蕎麦打ち職人、悪気は無いがテンポが合わない、といったところ。主人の母親らしき大女将は応対がなれており、若干の安心を得た。それに、普段はうるさい子供の声が、広い廊下に響き、廃屋間近の空間がやわらげられる。
さて、この部屋で夕食だが、近所の雇いのおばさんと思しきが今日は鍋物ですとコンロを運び鍋の具(豚薄切り、菜)一皿と蟹の茹でたの一杯をドンと置いていった。蟹は紅ズワイだろう。恐る恐る食べる、まあまあか。マグロにとろろをかけたのが出て、蕎麦を主人が運んできた。新蕎麦だと言うが満腹で格別美味くも感じられなかった。ここは蕎麦が売り物なのだが。持参のワインを開けるがこれもあまり美味くない。
洗面のために廊下に出ると突き当たりの古い大きな鏡、横にも小さいのがある。古家の鏡はあまり気持ちの良いものではない。特に夜は。
寝不足気味で早く眼が覚めた。窓を開けた。朝六時半、外を眺めている。風が強い。遠くの少し開けたところに町が見える、眼下の庭は荒れ放題。この庭は不思議だ、かなり低い位置にある。裏庭にしては凝った石組み、建物とのつながりはない。部屋から庭へ降りることは不可能だ。以前は池を設えていたのだろう。竹や松が茫々に育っている。もみじは丸く刈られた上に何本もの枝が長く伸びている。このもみじが何ともとぼけていて良い。背丈くらいの痩せた一株。強風の中、トンボが数匹、伸びた枝の先端に止まっている。ひっくり返っても放さないでしがみついている。ご苦労なことだ。秋風は気持ちが良い、荒れ庭全体が大きくうねる。竹ももみじも、つっかえ棒で支えられた板塀もうねるようだ。トンボは皆てっぺんにしがみついている。秋の風は鱗雲の下で大きく吹き上がる。友人はまだ寝ている。
やおら朝市へ出かける。近隣の農家か、リンゴや芋、唐辛子、ゴーヤ、などなど、玉子焼きもある。下駄を売っていた、「ねずこ下駄」という。昨晩、ふらついた時に宿で貸してくれた物だ。割りとはきやすかったので、女房の分と二足購入。「ねずこ」とは木曽五木の一つだそうだ。オヤジは職人風で、そこが良くて購入を決めたが途端に、もう注意は別の客に行っていた。


宿の主人に教えられ、山沿いの美ヶ原温泉を通って、玄向寺、松本民芸館、横田の旧遊郭、旧松本高校、伊東豊雄の芸術館のルートを歩くことにした。松本の中心部から浅間温泉までのバスで20分の距離である。
温泉街を抜け畑と山の間をしばらく行く連れ込みホテルが数件、その隣が浄土宗の玄向寺。山の斜面に大きな堂が建っている、牡丹で有名とか。槍ヶ岳を開いた僧の石像があった。散漫な温泉街を通り民家の集まりの中に松本民芸館があった。9時半開館している。量、質ともに素晴らしい。入道焼き、洗馬焼き、松代焼きなどもある。入道焼きは、昨日見た徳利の方が良く見えた。



さらにてくてく歩く、目指すは旧遊郭。探すのは苦労した。ホテルや旅館に変っていたが、建物の一部や植え込み、塀などに片鱗が残っている。横田二丁目あたりである。
歩き疲れて旧松本高校ではろくに見ていない。美術館では松本(駅近くの)出身の草間弥生の展覧会だが見ずに、バスで松本芸術館へ。茶碗の「ほたる」のように光が入る壁、屋上庭園の芝生、山をバックのカザルス像と城田孝一郎の「春秋」(1968)という彫刻。あっさりした綺麗な建築、プランの不定形な形、即ち、側面が良い。全体に少し手狭か。



1時過ぎ、鰻屋に向かう。途中、押し絵の店があった。覘いてみる、感じのよい座敷童子のようなおばあさんが出てきて説明してくれた。押し絵の顔を描いているという。隣の店には、七夕の人形が下がっている。毎年、紙の衣を着せていくもの、折り紙のもの、着物を着せるもの、雨の七夕で織姫彦星をおぶって天の川を渡る剛力の人形、足が長く奴の格好の足長、七夕に降りてくる霊は馬に乗った人形。これらを軒先に下げ、風で厄を流すそうだ。供え物は、瓜などの水気の多いもので西瓜は欠かせないとのこと。松本手まりは、麦わらで丸くし和紙を貼り糸を巻くもの、心が丸くないと綺麗な球にならないと。民俗的なものは生臭くグロテスクである。
鰻屋「まつ嘉」に入る。うな重を注文。ご飯の上に丸に斜め線がタレで書いてある。これはなんとも良いデザインだ。こちらの方が柔らかいが、タレが甘すぎる、量は2匹分で多い。
女鳥羽川のあたりを歩き、「まるも」でコーヒー。民芸調のしっかりした家具を使っている。次回はここの宿に泊まろう、一泊朝食つきで6,500円。四柱神社のあたりで懐かしいアイスキャンディーを食べ、祭りの山車の一列を見、徳利をもとめて、4時過ぎのスーパーあずさで帰った

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