タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹林や自然と共に生きる」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

シリーズ「米一万俵」④:大旦那様と八百政家のルーツ

2023年03月18日 | ふるさと長岡・嗚呼!田舎暮らし

わが家(八百政家)は江戸寛政期から続く家で、ボク(八百政)が8代目になります(残念ながら8代で終わる予定です。9代目は埼玉在住。)。わが家の仏壇にしまってある家譜や過去帳を見ると、寛政8年生まれの初代が本家から分家し、わが家の歴史が始まっています。その本家というのがなんと、昨日のブログで取り上げた山田権左衛門家なのですよ。つまり、わが家のルーツは「米1万俵」ってことになります(笑)。

今でも覚えていますが、1958(昭和33)年生まれのボクが子どもの頃、ボクの祖父や曾祖母は、本家の当主を「大旦那様(おおだんなさま)」と呼んでいました。「江戸時代じゃあるまいし」「昭和の時代にそんなことって本当にあったの?」って思われる方がいるかもしれませんが、これは紛れもない事実です。「大旦那様」という前近代的な呼び名がボクの日常にはあり、会ったことはない人だけどその存在をボクは幼少期から感じていました。このブログ記事でも「大旦那様」という呼び名を使うことにしますね。

当時ボクの祖父は、お盆と年末年始には必ず「大旦那様」のお宅(本家)にご挨拶にうかがっていました。ですが、大旦那様がわが家にお出でになることは一度もありませんでした。まぁそういう家同士の関係だったのですよね。昭和の時代ですが。

ボクが大学3年の時に祖父は他界したのですが、その前年かその前の年、ボクが19歳か20歳のお正月に帰省した時に、祖父に頼みごとをされたことを今でもよく覚えています。「八百政、頼みがある。本家の大旦那様の所に新年のご挨拶に行ってきてくれ」「大旦那様のお宅は、今(事業に失敗して)非常に厳しい状況なんだ」「私(祖父)やお前の父親(当時40代か?)が行くと、触れられたくない話題になる可能性もあって大旦那様が気を遣われる」「お前ももう大学生だ。わが家の代表として新年のご挨拶に行くのは、大旦那様には失礼にならん」「世間話をして帰ってこい」「お酒を出されたら飲んで来い」

こんな感じだったと記憶しています。たぶんボクはその見返りとして祖父から小遣いをもらったのでしょう。ボクはその時、初めて大旦那様の家、山田権左衛門家の門をくぐりました。そして同様のことはボクの人生で2度とありませんでした。ボクが大学を卒業して地元に帰ってくると、大旦那様の一家は既に屋敷を手放され、県外に引っ越されていたのです。今から40年以上前の話です。

その後、ボクの父と大旦那様の息子さんは年賀状のやりとり等をしていた時期もあったようですが、その父も亡くなって既に15年が経ち、今はまったく音信は途絶えています。大旦那様の家の前に設置されていた「上山藩の越後領経営と山田権左衛門家」の看板も、朽ち果て撤去されていました。

「シリーズ『米一万俵』」のブログ記事は、もう1回だけ続きがあります。明日も(明後日かもしれません)また、よかったらお付き合いください。

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