ここ数年、毎年この時期の恒例となっている「林道の草刈り作業」に、今年も町内会の役員の1人として参加してきました。総勢15名(役員以外の強力な協力メンバーもいます)あまりの面々が軽トラに分乗し、1人1台の草刈り機をもって山道に移動し、草刈り作業です。炎天下ですが山は木陰になっているので、作業自体はそれほどキツくはありませんでした。それでも3時間半の作業後は、汗びっしょりのヘロヘロでしたけどね。
参加したメンバーの中で、ボクの年齢(65歳)は真ん中よりもずっと下。まぁこの作業に参加するメンバーも顔ぶれがほとんど変わらないまま1年に1つずつ年齢を重ねるわけで、高齢化が進んでいるのは否めません。
作業の休憩中に、「山のこと知ってる?」「この作業は何のためにするのか?」「この作業をやめたらどうなるか?」「いつまで続けられるか?」というようなことが話題になりました。
実際にわが家もこのエリアに数カ所の土地を所有している(固定資産前を払っている)のですが、正確に「ここがわが家の土地だ」という場所も境界もわかりません。ボク自身は20歳の大学生の頃、夏休みに帰省した際に祖父に連れられて山に来たことが1度だけあります。祖父曰く「お前の父親はアテにならんから、これから少しずつお前に山のことを教える」ということだったのですが、翌年に祖父は脳梗塞で他界しましたので、ボクは全く分かりません。アテにならない父はボク以上に山のことを知らず、それから40年間、八百政家の山は放置されたまま今日に至ります。父も15年前に他界しました。
作業に参加している皆さんと話してみても、大概はボクと大差のないレベルでした。結局、60~70代の跡取りたちがそんな感じなのですよ。ですが町民の中には定期的に山を訪れ、倒木の処理や下刈りなどの山作業をしている方もおり、「そのためにもこの作業は必要なのだ」という話になりました。
「じゃぁ現在、定期的に山仕事をしている人は町内に何人いるんですか?」ってことになるわけですが、「2~3年前にAさんとこの爺ちゃんが免許を返納して軽トラに乗らなくなってからは、Bさんちの爺ちゃん1人かなぁ?」ってことらしいです。もう既に、ボクらのこの作業もゴールが見えているってわけです。
ただ、この作業がなくなれば、「山が荒れていく」のは目に見えています。先人たちが苦労して整備した山道も、藪の中に埋もれていくのは必定です。この作業をいつまで続けどのタイミングで終了(山の放置)の決断をするのかは、ボクら世代に託された宿題なのかもしれません。負の遺産ですね。やれやれ。