打倒!低周波音被害~まけないぞぉ~

振動公害から低周波音被害へ!世間の理解と拷問の日々からの救済を求め愛猫と彷徨う日々の記録

低周波音が私を苦しめる≪第1回≫家の中にいられない!

2007-11-04 | 津木とねこ
―〈音〉に苦しむ女性の体験をお伝えします。その〈音〉を感じると全身を不快感が襲います。その〈音〉の正体とは?―

 世界には音があふれています。風の音や川のせせらぎ、鳥の声や動物の声、そして人の声。人が生活する為に利用する機械や車などの人工音。
 私は今、低周波音という〈音〉に苦しんでいます。苦しめられています。それは、私だけの特別な事ではなく、誰にでも、いつでも起こりうる苦しみです。
私は北関東の山に囲まれ、伝統的な地場産業を抱えた、少しばかり古い街に住んでいます。そして当然のように、住宅に隣接して工場が点在しています。私の家の隣にも地場産業の工場があります。ブロック塀一枚隔てて、人一人通るのがやっとの至近に。
 朝8時、この工場が操業を始めると、機械の稼動にあわせ間断なく地響きが伝わってきて、家の中にいられなくなります。地を這い襲う振動と、全身を締め付けるような不快な音圧を感じ、全身の血流が止ったかのように、頭や胸が締め付けられ、体が重くこわばり、頭痛、耳痛、めまい、動悸、胃痛、吐気……。集中力が無くなり、不安感が募り、ひどいときには工場の操業が終わる夕方5時まで、家から逃げ出すしかありません。たとえ私が病気でも、自分の家にいられないのです。
工場の機械が止りさえすれば、振動も不快な音圧も止み、じきに私の不快感もおさまります。
 工場がこのとんでもない機械を最初に設置したのは、1986年。私も家族も、以前よりうるさい機械に変わったと感じてはいました。しかしその頃は、じきに工場を閉めると聞いていたので、多少は仕方がないと受け止めていました。が、その後徐々に台数が増え、操業時の不快感は増し、家の建具がゆがみ始めました。そして工場はいつの間にか、工場を閉めるという話はなくなっていました。
もちろん先方に被害を伝え、改善を求めましたが、「隣に住んでいるのが悪い。」と、改善の意思はみじんもありません。
 工場の対応のあまりのひどさに、98年からは市役所の環境課に何度も相談し、対応と救済を求めました。が当初は振動問題としか対応されず、ましてや地場産業の工場であり、振動測定さえ難儀な状態。市役所の不誠実な対応もさることながら、そうこうしているうちに家の中で感じる不快感はだんだんひどく、耐えられないものになりました。
 やがて、テレビなどのメディアで「聞こえない音」の影響として取り上げられるようになったり、2004年に環境省から『低周波音問題対応の手引き書』が発行されるなどして、私の家の中で感じている異常な心身不調の原因は「低周波音」というものだとわかってきたのです。単なる振動被害ではありませんでした。
 もちろん私は医師でも、研究者でもありません。しかし、ワラにもすがるように情報を集め始めました。インターネットは情報にあふれ、とても便利なものでしたが、それでもこと低周波音被害については、疑いたくなるような記述を含めてさえ、微々たる情報しかありませんでした。
     『週刊金曜日』暮らしコラム;津木とねこ(2007年9月7日№.669号) 
                   編集部03-3221-8521(禁無断転載)

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