演劇知

劇的考察譚

ニュースから~「すごく悩んだ」「何回も涙」=被告に控訴勧める―裁判員経験者の男性・横浜地裁~

2010-11-17 06:45:04 | Weblog
「すごく悩んだ。何回も涙を流してしまった」。裁判員裁判初の死刑判決となった池田容之被告(32)の裁判を担当した裁判員経験者6人のうち50代の男性が、横浜地裁で記者会見に応じ、判決に至った心境を明らかにした。
 男性は「初めに弁護人が『極刑はやむを得ないが、被告の人間性を見てください』と言われて、これは本当に重いんだなとすごく悩みました」と振り返った上で、「何回も涙を流してしまった。今でも思い出すと流してしまう」と語った。
 裁判長が最後に「控訴を勧めます」と呼び掛けたことについて、「自分自身が被告の立場だとしてもすぐに控訴をお願いしたい」とした上で、被告へのメッセージとして「裁判長がおっしゃったように控訴してください」と述べた。
 公判では、検察側から遺体切断など残虐な場面について説明が繰り返されたが、「(遺体の)写真は通常の人は見るに堪えない。私も一瞬見てすぐに理解できなかった。見た方がいいのか見なかった方がいいか分からない」と話した。
 公判を通じての池田被告の変化について尋ねられると、「最初の公判では突っ張って見えた。(遺族が証言した際は)目を赤くしていた。本当に被害者の方の気持ちが分かっているように見えた」。これまで死刑の基準とされた永山基準については、裁判員になって初めて知ったことを明らかにした。




養老猛司さんのコラムを先日読みまして、そしてこのニュースを見て改めて死について考えます。わたし達は死を特別視します。しかし養老さんは日常の延長線上と考えます。死に接する機会がなく、また死という概念をある意味「隠す」教育により…引き算で殺人を使って教える、そういった愚かなレヴェルではなく…「生」に対する意識、それは自意識でもありますが、そういったものが強い状態の「大人」になります。

宗教は死について考えます。故に宗教を指針に持つと強いのです。わたしたち日本人は宗教を持ちません。宗教を悪用すると当然恐ろしいことになります。強い人間が揺るがずに「死」を扱うのですから。誤った過去の事件は無数に存在します。

数年前の祖父の通夜、火の番をした時、数時間「死」と直面しました。

裁判員裁判は国民全員が「死」に接する機会となります。何か「死」と向かう為の準備、「死」を向かい合う為の武装を、「死」を取り扱うパンフレットが必要ではないかと思います。

演劇やドラマの「死」の疑似体験は美化されてしまう可能性があり、扱いは慎重にせねばなりません。