演劇知

劇的考察譚

仙川~東中野~目白を跨いで観劇して

2010-11-27 23:30:49 | Weblog
予定を一気に詰め一日3本観劇です。

一本目仙川の桐朋短期大学でブレヒトの「三文オペラ」。教え子の西脇千江子さん出演。



ブレヒトの芝居は教育演劇且つ異化効果狙いという客観性にその特徴があります。舞台下手にはト書きのような布が垂れており、オペラになるとしっかりと立て看板が出ておりました。幕が「服」のコラージュで、冒頭の「貧しい服装」としっかりとリンクされております。貼られている洋服がムックのTシャツといった現代のものであったので、内容…シナリオや服装をもっと現代を介入させれば挑戦的で面白いのになと思いました。

西脇さんは声出ており、軽やかに演じておりました。序盤に投げられたステッキを受け取るのですが、受け取り損ねステッキは奈落の底に。そして段取りとしてステッキを返さなければならず、奈落の底からステッキを救出。何事もなかったかのように返すことが出来ました。

そしてピーチャムの役者がどうみても嵐の相葉君にしか見えず、ライブを観ているようでした。



専門機関での演劇公演について思うことは、毎回のことなのですが、全ての人間に等しく機会を与えるべきではないかということです。女子が男子役をやること、卒業したらば基本女子は同性の女子役を求められるわけです。経験をつませるのが目的であるならば男性役の多い戯曲を選ばす、それこそ専門機関であるならば参加者に合わせた戯曲を創作し、皆が等しく経験出来る作品をすべきなのではと思うわけです。台詞数に偏りなく、または公演毎に役割を変えてみるとか。
ただ「オーディション、現実の厳しさ」を教えるのであれば別に良いと思うのですが。
他の専門…絵画、美容、調理といった学校では徹底的に実戦の機会が与えられます。演劇にとっての実戦とはそれこそ観客に見られる舞台上での本番でしょう。只でさえ準備期間が長いのであれば、なおのことです。

なお、わたしのact orchではそういうことも考え劇作しております。




二本目は東中野RAFTで行われた「C3LIVE Crown Crown Creative SWITCH」多少婦人の酒井雅史が客演しています。「無茶振りに耐えられる役者」というありがたい評価を頂いております。





怪優っぷりを発揮。この公演、無料、フリードリンクというなんともハードな出血サービス。パンフレットに「入場料より挑戦」という素晴らしい意義ある言葉が書かれておりました。

その後会場にいた山本、阿部、石井とニッシーさんと近くのバーミアンに。そしてCrown Crown Creativeの池田錬吾さんが、電夏兄さん主宰の竹田さんとその骨格が似ているという話で盛り上がりました。



三本目、目白のシアター風姿花伝で行われた帝京大学演劇部VIXENS THEATER「PARTY HARD」前回客演して下さった野本真貴子さんの本隊大学劇団。というか野本さん大学生だったのですね。

内容は若い作品でして、これも毎回書いているのですが大学生にはもっとこだわりを持った偏った、挑戦的な作品を創って欲しいなと思いました。

野本さんは数々の客演をこなしておりまして、頭一つ抜けて上手でした。

先にも書きましたが、やはり経験をこなすことが大切なのでしょう。



ただ多少公演からなのですが、どうにも激昂した台詞を吐くとあっさり噛む


一日3本の観劇。疲れました。

ニュースから~「死刑の評決、再検討を」日弁連がコメント~

2010-11-27 08:52:23 | Weblog
少年(19)に対する仙台地裁の死刑判決を受け、日本弁護士連合会(日弁連)は25日、「改めて死刑判決の評決のあり方について再検討がなされるべきで、死刑制度の存廃を含む国民的議論が一層深められる必要がある」などとするコメントを発表した。コメントは「少年に対する死刑は、より慎重な検討・議論が求められている」と指摘。「政府に対し、重大な少年事件の背景と要因、少年に対する矯正処遇の実情と効果などについて、国民に広く情報公開することを求める」とした。(産経新聞)


以下、gooの機能、ニュース畑を用いて記載。




裁判長「控訴を勧めたい」と異例の呼びかけ あなたは裁判員初の死刑判決にどのような感想を持ちますか?




この記事についての意見:




先日も少年へ初の裁判員制度による死刑判決が出ました。

脳科学者の茂木健一郎さんは「更生」を軸に犯罪者への更生の道を消す死刑制度を批判しておりまして、被害者家族感情を持ち出すのはどうかという内容を述べておりました。

確かに「更生」という将来の道を考えるのであれば、変わらない人間はいないのであり、死刑は妥当ではない。「価値の転換」さえ行われれば、人は変わることが出来るとわたしも信じます。
が、被害に合った者、死んだ者の将来の道を考えるとどうなのだろうか。加害者の将来は補償され被害者の将来は補償されない。それは既に失われているものである。このことを考えるとどうにも行ったものの徳が見えてしまう。

国民感情を取り入れるべくして始まった裁判員制度。しかしそもそも無宗教、多宗教の日本の国民の感情を取り入れるということは個人の感覚でのみ判断されることであり、極端に言えば選ばれた人間の感覚によって罪の重さが変わってしまう。「死刑」を国民の判断に委ねるならばそれ相応の教育、価値観の基準を初等教育から取り入れなければならない。


第三者が判決を下すのではなく、被害者家族が決めるのはどうだろうか。これならば奪ったもの、奪われたもののが等しく平等ではないだろうか。間違いなく「死刑」の数は増えるだろうが。そして日本にも「終身刑」を追加するべきであると思う。日本の無期懲役は無期である、終期がある。が、そこには環境の問題がある。



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