16歳(1983年)で自動二輪中型免許を取って
4歳年上の兄が乗っていたこのヤマハGX250SP(1980年式)を譲り受けた。
俺にとって初めてのバイク、GX、通称ジーペケ。

1983年といえば高性能バイクブーム創世記とも言える時代で
各メーカーが続々とカッコいい高性能スポーツバイクを発売しまくっていた時代。
VT、VF、CBX、RZR、RG-ガンマ・・・
俺の同級生たちもそれらの最新のバイクに乗ってるやつが多かった。
俺のGXはそれらの最新の高性能バイクに比べて古臭くてカッコ悪かったのよ、当時は。
友達にも「ジーペケ、古くさ~、カッコ悪~」とか「遅~」って小バカにされたこともあった。
俺は「くそ~っ!いつか俺も最新のバイクに乗ったる~!」
と思いながらもその古臭いGXで16歳の青春を走りまくった。
初めて彼女を乗せて六甲山に登ったのもこのGX・・・ってこんな話は聞きたくもないですね。
☆ 交通事故がきっかけでバイクスタントマンに・・ ☆
VF400Fという当時の中型バイクの中で最強の性能を誇るバイクに乗っていたF田という友達がいた。
ある日、F田が「学校終わったら走りに行こうぜー」と誘ってきたので
「おう、ええで~」と軽く返事はしたものの心の中では「VFぶっちぎったる!」と密かに燃えていた。
はじめはF田のVFの後ろを俺のGXが追走する感じで街中を軽く流していた。
しかし自分たちの通っている高校(大阪府立吹田東高校です)に近づくと俺のテンションは急上昇!
なぜかというと学校には放課後、クラブ活動している生徒や
学校の前の駄菓子屋でたむろしている生徒がたくさんいてる。
学校前の道路をバイクが「バァァァーーーン」と走ればみんなが注目してくれる!
それに「今日放課後、学校の前、走るで!」と何人かの友達に宣伝(?)してたので
俺とF田は注目の的!、学校の前をけっこうなスピードを出して2回、3回と往復する。
F田のVFがかなりスピードをあげて学校前の交差点を通過する。
俺も負けじとアクセルを開け交差点に突っ込んだ。
その時、赤い乗用車が右折してきた!
「!!!!!」
「ガッシャーーーーーン!」
乗用車の側面に激突し俺は車を飛び越えアスファルトの道路に叩きつけられた!
・・・しかし不思議なことに俺は体のどこにも痛みを感じなかった。
ちょっとした擦り傷程度はあったかもしれんけど打撲もなくほぼ無傷の状態。
痛いとかびっくりしたということよりも
学校の連中がたくさん見ている前で事故ったということが物凄く恥ずかしくて
照れ隠しにその場でおどけて、飛び跳ねたり、バク転とかもしてしまった。
そんな俺の様子をみた事故の相手は違う意味でさぞかし驚いたらしい。
事故の現場検証とか保険会社との話し合いは親と一緒にした。
事故相手とも揉めることなくこの事故は解決しました。
普通、事故ったら「もうバイクにのるなー!」って親は言うやろうけど
うちの親は「気ぃつけやー」程度でそんなに怒られなかった。
この交通事故の体験が俺のバイクスタントの原点というかきっかけになってしまったと思う。
映画「MAD MAX」やアメリカのスタントマンのバイクジャンプを見て
「スゲー!」「かっこええー!」とは思っていたものの、
自分はブルース・リーやジャッキー・チェンのような
カンフーアクションスターになりたいと思っていただけで
バイクスタントマンになりたいとは思っていなかった。
それまで交通事故の経験が全く無かったので
バイクと車が衝突すれば絶対バイクの人は死んでしまうか
大怪我をして大変なことになると思っていたのに
自分は車とあのスピードでぶつかって無傷だった
「俺って凄い!」っと変に勘違いしてしまったのだ。
たまたま“運”が良かっただけなのに・・・
普段、学校でみんなの注目を浴びたいが為に、
バク転したり、高いところから飛び降りたりしてたけど、
そんな肉体的パフォーマンスより
バイクを使ったパフォーマンスができればよりみんなの注目を浴びれる!
と考えてしまった俺はバイクスタントにも強い関心を持ち始め
やがて転倒の仕方やジャンプを独学で実践していった。
16歳の時のこの事故でもし大怪我をしていたら
ひょっとしたら俺はバイクスタントをやっていなかったも知れない・・・
♪人生って~ぇ、不思議なものですね~

21歳の時に撮った自主制作映画「BAD BOY BLUESが聞こえる・・・」のクラッシュシーン
4歳年上の兄が乗っていたこのヤマハGX250SP(1980年式)を譲り受けた。
俺にとって初めてのバイク、GX、通称ジーペケ。

1983年といえば高性能バイクブーム創世記とも言える時代で
各メーカーが続々とカッコいい高性能スポーツバイクを発売しまくっていた時代。
VT、VF、CBX、RZR、RG-ガンマ・・・
俺の同級生たちもそれらの最新のバイクに乗ってるやつが多かった。
俺のGXはそれらの最新の高性能バイクに比べて古臭くてカッコ悪かったのよ、当時は。
友達にも「ジーペケ、古くさ~、カッコ悪~」とか「遅~」って小バカにされたこともあった。
俺は「くそ~っ!いつか俺も最新のバイクに乗ったる~!」
と思いながらもその古臭いGXで16歳の青春を走りまくった。
初めて彼女を乗せて六甲山に登ったのもこのGX・・・ってこんな話は聞きたくもないですね。
☆ 交通事故がきっかけでバイクスタントマンに・・ ☆
VF400Fという当時の中型バイクの中で最強の性能を誇るバイクに乗っていたF田という友達がいた。
ある日、F田が「学校終わったら走りに行こうぜー」と誘ってきたので
「おう、ええで~」と軽く返事はしたものの心の中では「VFぶっちぎったる!」と密かに燃えていた。
はじめはF田のVFの後ろを俺のGXが追走する感じで街中を軽く流していた。
しかし自分たちの通っている高校(大阪府立吹田東高校です)に近づくと俺のテンションは急上昇!
なぜかというと学校には放課後、クラブ活動している生徒や
学校の前の駄菓子屋でたむろしている生徒がたくさんいてる。
学校前の道路をバイクが「バァァァーーーン」と走ればみんなが注目してくれる!
それに「今日放課後、学校の前、走るで!」と何人かの友達に宣伝(?)してたので
俺とF田は注目の的!、学校の前をけっこうなスピードを出して2回、3回と往復する。
F田のVFがかなりスピードをあげて学校前の交差点を通過する。
俺も負けじとアクセルを開け交差点に突っ込んだ。
その時、赤い乗用車が右折してきた!
「!!!!!」
「ガッシャーーーーーン!」
乗用車の側面に激突し俺は車を飛び越えアスファルトの道路に叩きつけられた!
・・・しかし不思議なことに俺は体のどこにも痛みを感じなかった。
ちょっとした擦り傷程度はあったかもしれんけど打撲もなくほぼ無傷の状態。
痛いとかびっくりしたということよりも
学校の連中がたくさん見ている前で事故ったということが物凄く恥ずかしくて
照れ隠しにその場でおどけて、飛び跳ねたり、バク転とかもしてしまった。
そんな俺の様子をみた事故の相手は違う意味でさぞかし驚いたらしい。
事故の現場検証とか保険会社との話し合いは親と一緒にした。
事故相手とも揉めることなくこの事故は解決しました。
普通、事故ったら「もうバイクにのるなー!」って親は言うやろうけど
うちの親は「気ぃつけやー」程度でそんなに怒られなかった。
この交通事故の体験が俺のバイクスタントの原点というかきっかけになってしまったと思う。
映画「MAD MAX」やアメリカのスタントマンのバイクジャンプを見て
「スゲー!」「かっこええー!」とは思っていたものの、
自分はブルース・リーやジャッキー・チェンのような
カンフーアクションスターになりたいと思っていただけで
バイクスタントマンになりたいとは思っていなかった。
それまで交通事故の経験が全く無かったので
バイクと車が衝突すれば絶対バイクの人は死んでしまうか
大怪我をして大変なことになると思っていたのに
自分は車とあのスピードでぶつかって無傷だった
「俺って凄い!」っと変に勘違いしてしまったのだ。
たまたま“運”が良かっただけなのに・・・
普段、学校でみんなの注目を浴びたいが為に、
バク転したり、高いところから飛び降りたりしてたけど、
そんな肉体的パフォーマンスより
バイクを使ったパフォーマンスができればよりみんなの注目を浴びれる!
と考えてしまった俺はバイクスタントにも強い関心を持ち始め
やがて転倒の仕方やジャンプを独学で実践していった。
16歳の時のこの事故でもし大怪我をしていたら
ひょっとしたら俺はバイクスタントをやっていなかったも知れない・・・
♪人生って~ぇ、不思議なものですね~

21歳の時に撮った自主制作映画「BAD BOY BLUESが聞こえる・・・」のクラッシュシーン