「元テレ・男塾」のつづきです。
前回書きましたが
当時、上京して半年ほどしか経っていなくて文字通り“新人”スタントマンだった俺は
男塾の企画のために20mダイブ(飛び降り)に挑戦することになったのです。
上京するまでは地元大阪のアクションチームや自主制作映画の撮影で
5メートルくらいの高さからの飛び降りの経験は何度かあったのですが・・
その飛び降りというのも
テレビや映画の“見よう見まね”の自己流の危なっかしい飛び降り方でしかなかったので
20mダイブなんてとんでもないことだったのです。
下の画像は上京する前、(1990年頃、福井県でのショー)
大阪のアクションチームのヒーローショーに出演した時のものです。
5mくらいからの高さから、勢いだけで飛んでいました・・・
ちょっと運動が得意とか怖いもの知らずの若者なんかは、
下にエアーマット(←またいずれ詳しく書きます。)があれば
20mくらいの飛び降りなんてぜんぜん平気でしょ?と思われる人も多いと思います。
俺もそう思っていましたから・・・
でもねー、飛び降りを含めスタント全般にいえることだけど、
“見よう見まね”“怖い物知らず”というような
勢いだけで無茶なことやってしまうやつはプロのスタントマンとは言えないし
こういうやつはいつか必ず大ケガをしてしまうものなのです・・・俺のことです。
プロのスタントマンとは確かな技術と演技力、
そして臆病なくらいの冷静沈着な判断力がないとダメなのです。
それにスタントというのはチームプレイ、チームワークが大切なのです。
飛び降りるスタントマンだけが凄いのではなく、
下でマットを持って、セッティング、補助をしてくれる仲間の技術、判断力があって、
お互いの信頼関係があってこそ成立するものなのです。
飛び降りる人も下で補助をする人も些細なミスが大事故に繋がってしまうこともあるのです。
あまり表沙汰にはなっていませんが、
日本でも飛び降りスタントで死亡事故など、重大な事故が起こったこともあるのです・・・
新人スタントマンだった俺は飛び降りの技術もなく
スタントがチームプレイだということも理解できていなかったので精神的にも未熟だったため
はっきりいってこの20mダイブに挑戦するにはまだ“時期尚早”だったと思います。
WILD STUNTS代表の
柴原孝典さんはそんな新人の俺に飛び降りの技術や
チームワークの大切さをひとつひとつ指導してくれました。
でも最初は柴原さんに「君にはまだ20mダイブは絶対無理だよ!」と言われました。
俺のようなタイプには一番飛ばせたくなかったと思います・・・w
WILD STUNTS代表の柴原さんは
日本を代表するスタントマンであり(50歳になられた今でも現役バリバリ!)
特に飛び降りスタントに関しては日本屈指の技術と指導力のある方です。
本番の20mダイブは当日まで練習はできなかったけど
体育館にイントレ(工事現場の足場)を組んで練習をくり返し、本番に備えました。
そしていよいよ「炎の大仁田、涙の男塾 ~念願のスタントマンデビュー~」の撮影が始まりました。
まずはスタントデビューが決まった俺の様子を窺いに
大仁田塾長と勝村政信さんが俺の住むボロアパートにやってくるシーンの撮影からです。
・・・・・つづく