埼玉県にある平家の落人伝説
埼玉県にある平家の落人伝説
かつて栄華を誇った平家が源平合戦に敗れ、各地に落ち延びた結果、全国には100から350箇所にのぼる”平家落人伝説”が伝承されている。その1つが埼玉県川口市にあると言ったら、読者の皆さんは驚くだろうか。
”平家落人伝説”と言えば、関東では栃木県の湯西川が彷彿されるが、東北では福島県の檜枝岐などが連想され、どうしても山深い郷のイメージが強い。
意外なことだが、何故か埼玉県は落人伝説が多く、鳩ヶ谷には関が原の合戦で敗れた”石田三成の孫”が落ち延びてきたと言われており、北本市石戸宿には、兄・頼朝に消されたはずの”源範頼”が逃げてきたという伝承が残されている。さらに、川口市にはあの平清盛の嫡流である平家の御曹司”六代御前の首塚伝説”という伝承が語り継がれているのだ。
川口市の前川一帯には、平清盛の曾孫(清盛の子である重盛の孫)である平高清、通称「平六代(たいらのろくだい)」が家臣と共に落ち延びてきた住み着いたと言われており、そのの守護仏を祀る観音堂が残されており、周囲に代々居住する斎藤一族や大熊一族は六代御前の家臣の子孫であるとされている。
この平六代はどういう経過で埼玉まで落ち延びてきたのであろうか。江戸時代後期の後期に成立した『新編武蔵風土記稿』には大変興味深い記述が確認できる。平維盛の子であった平六代が鎌倉幕府によって捕えられた際に、文覚という僧侶から授けられた観音像の霊験によって脱出、其の後の追っ手も霊験によりかわしきり、前川の地に隠れ住むようになった。因みに下原という地名は、六代が馬を下りた場所であったため名付けられ、笠脱という地名は、六代が笠を脱いだ所から名付けられた。六代は、前川に守護仏の千手観音を安置するお堂を建立し、寛喜2年3月17日に68歳で亡くなったという。
このような不思議な伝承が埼玉にあることを理解し、休日に史跡めぐりをするのも一興ではないだろうか。