日本昔話で放送されたトラウマ昔話『みちびき地蔵』と東日本大震災の奇妙な関係!?
日本昔話で放送されたトラウマ昔話『みちびき地蔵』と東日本大震災の奇妙な関係!?
『まんが日本昔ばなし』(1977年(昭和52年)10月29日(第107回))で放送されたトラウマ昔話は幾つかあるが、『みちびき地蔵=導き地蔵』も中でもかなりやばい話である。この地蔵は、明日死ぬ予定の魂が挨拶に来ると言われる地蔵であり、死んだ魂を導く役目を果たしている。宮城県気仙沼市大島に今も実在するらしく、東日本大震災の後、その関連が指摘された。
昔話で放送されたのストーリーは、ハマキチという少年と母親が端午の節句の際、田んぼの手伝いに行ったのだが、その帰りに地蔵に挨拶に来る無数の村人の霊に出あった。よく見ると牛馬や若者、赤子までいる。不吉に思い帰宅後、夫にこの話をしたがまったく相手にしてもらえない。翌日、潮がひいたのでハマキチと母親が潮干狩りに出かけた。ところが、満潮の時刻になっても潮がひいたままである。よく見ると沖から巨大な津波が迫ってくるではないか。ハマキチと母親は高台まで逃げ出したが、61名の村人や牛馬6頭が死んだ。前日、みちびき地蔵に挨拶に来ていた人はこの津波で死んだ人々であった。
この『みちびき地蔵=導き地蔵』の伝説は遠地地震がモデルではないかと言われている。また、1896年6月15日に起こった明治三陸沖津波がモデルではないかとも言われている。その証拠に伝説の中で端午の節句の翌日という描写がある。明治三陸沖津波のおきた1896年6月15日は、旧暦だと5月5日であった。
まんが日本昔ばなし 「みちびき地蔵」
他にも三陸海岸石碑には、こんな石碑がある。
"高き住居は児孫に和楽想え惨禍の大津波此処より下に家を建てるな"
"TSUNAMI" 失敗は伝わらない
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昔話で放送されたのストーリーは、ハマキチという少年と母親が端午の節句の際、田んぼの手伝いに行ったのだが、その帰りに地蔵に挨拶に来る無数の村人の霊に出あった。よく見ると牛馬や若者、赤子までいる。不吉に思い帰宅後、夫にこの話をしたがまったく相手にしてもらえない。翌日、潮がひいたのでハマキチと母親が潮干狩りに出かけた。ところが、満潮の時刻になっても潮がひいたままである。よく見ると沖から巨大な津波が迫ってくるではないか。ハマキチと母親は高台まで逃げ出したが、61名の村人や牛馬6頭が死んだ。前日、みちびき地蔵に挨拶に来ていた人はこの津波で死んだ人々であった。
この『みちびき地蔵=導き地蔵』の伝説は遠地地震がモデルではないかと言われている。また、1896年6月15日に起こった明治三陸沖津波がモデルではないかとも言われている。その証拠に伝説の中で端午の節句の翌日という描写がある。明治三陸沖津波のおきた1896年6月15日は、旧暦だと5月5日であった。
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