怪談・帽子の女の子
怪談・帽子の女の子
筆者の日々は、怪談と妖怪三昧である。
魔物たちを、常に取材し、その残り香を満喫している。
酔狂といえば、酔狂であるが、愉しげな日常といえば、そうとも言える。
それゆえであろうか。
一緒に食事したり、飲んだりする仲間たちは、自分の不可解な体験を語ってくれる。
その口から発せられる話は、様々である。
妖怪談で、あったり…。
奇人談で、あったり…。
奇妙な、偶然で、あったり…。
その話の愉しさは、筆者をしばし知的興奮に誘ってくれる。
言わば、言霊の百鬼夜行である。
話の織り成す情報によって、再現される異界は、常にいびつで悲しげな苦界である。
彼らは、自分たちの無念や妄執を訴えたいのだ。
言ってみれば、話は、向こうからやって来るものなのだ。
故に、時々“私はこの話を、聞かされているのだ”と思うときもある。
つまり、異界の住民たちが知人たちの口を借りて独白しているのだ。
永遠に繰り返される、悲しき独白。
私はそう確信している。
また、何千話も聞いていると、その話が“こしらえ話”なのか、“本当の話”なのか、わかるようになってきた。
所詮、“こしらえ話”の言霊に力がない。
そして、根底に人間の作為というあざとさが込められている。
文学として美しい創作話もあるが、生々しい体験談ほどおもしろいものはない。
だが、その人が“本当に体験した話”を聞いたときは、ある感覚が押し寄せる。
得体の知れない違和感が、胸の中でうずまき、なんとも言えない不安感で心が満たされてしまう。
その不条理な感覚の中に、人は怪異を見出すのである。
「実はさ、山口さんだから言うけどね」
意外な人からおもしろい話が聞けたときほど、興奮する。
つまり、いい意味で裏切られたわけだから。
それは、それは心地よい。
そんな時は、私は嬉々として聞いているのだが、この話は翌日“じわり”と来た。
言ってみれば、あとに残る話であった。
「いや~山口さん、俺はねえ、幽霊とか信じないんだけど、一度だけ幽霊みたいなものをね、見たことがあんのよ」
仕事仲間のIさんは、ビールをあおりながら、にこやかに語り始めた。
新橋の場末の呑み屋の空気が一瞬、歪んだ。
I氏の話によると、十年ほど前の事。
彼は仕事の行き詰まりから、船旅でふらりと四国に渡った。
自分のことを誰も知らない町で、心の中をクリアにしたかったのだ。
しばらく、四国に滞在したのだが、あるとき高松港沖に浮かぶ鬼が島に足を向けた。
特に意味はなかったのだが、後に思えば呼ばれていたのかもしれない。
高松港から、漁船のように小さいフェリーに乗った。
「ったく、チープな観光スポットだな」
彼は、ズボンに手を突っ込むと、甲板を突き抜ける風に独り言をつぶやいた。
乗客と言えば、背を丸めた爺婆ばかりで、フェリーの内部は加齢臭が漂っていた。
甲板から海を眺めると、数々の島と鬼ケ島(女木島)が望めた。
まるで、女性が横たわったような姿に見えた。
なるほど、女木島とはよく言ったものである。
鬼ケ島の入り口には、鬼の館という観光客を迎える施設が見えた。
それは決して豪華とはいえない、ありがちな観光施設であった。
彼は急につまらなくなった。
「こんな島に来たって、なんの楽しいこともないじゃないか」
I氏はぶつくさと独り言を言いながら、甲板を歩いた。
錆びた甲板が、潮気で湿っている。
ふと、気がつくと、女の子がいた。
真っ白な帽子と地味なワンピースを着た女の子が立っていた。
まるで、絵本から抜け出たような典型的な女の子。
広い帽子のつばが印象的で、全体的に霞んだような悲しい色合い。
彼女はさみしげに、甲板から海を見ていた。
「ほう、なんかかわいい娘もいるじゃん」
I氏は、その女の子に声をかけようとしたが、なかなか踏み切れない。
失踪してから、女の子ともしゃべっていない。
柄にもなく緊張してしまったのだ。
「ああ、どうしょうか、声かけようかな」
困惑しているうちに、船は鬼ガ島に到着した。
チープな鬼の館という施設が迎えてくれる。
上陸の準備をする彼を尻目に、彼女は石垣の方に歩みを進めた。
帽子の女の子は、いそいそとフェリーを降りると、地元の住民の家の方まで向かった。
「なんだよ、地元のお嬢さんか」
その後、彼は地元住民からバイクを借りて、島を回った。
取り立てておもしろくもない洞窟や遺跡を見て歩いた。
「もう見るものがないな」
彼は再び港に戻ると、フェリーを待った。
すると、鬼の館とフェリー乗り場の間にあるベンチにあの女の子がいる。
音もなく座っている。
やはり、この子は観光客なのか。
嬉しくなった彼は、一度鬼の館に戻ると、数分後再びフェリーに向かった。
だが、女の子の姿がない。
まるで、霧のように忽然と消えている。
無人のベンチの前で、足を止めてしまった。
鬼の館に戻ったのであれば、気がつくはずである。
「ははぁん、フェリーに乗ったのか」
彼は深く考えず、そのままフェリーに乗った。
今度こそ、あの女の子に声をかけてやる。
そして、彼女の姿を探した。
だが、いるのは老人ばかりである。
船といっても、小さな船だし、見失うわけがない。
狭い船内でくまなく探したが、姿が見えない。
フェリーと鬼の館まではほんの数メートルである。
彼女が、鬼の館に戻ったなら自分に見えるはずである。
あの状況で姿を消すには、フェリーに乗るしか方法はないはずだ。
「これは、どういうことだ」
膝が微かに震え、喉が渇いた。
彼は奇妙な感覚を払拭できない。
「おかしい、そんな馬鹿な」
恐る恐る振り返ると、鬼の館のベンチには、帽子をかぶった女の子がいた。
愕然とする彼の瞳には、おぼろげな彼女の姿が写りこんだ。
そこだけ時間が止まったような空間。
その空間に、一人悠然と座っている帽子をかぶった女の子。
フェリーが、港から離れていく。
波間に大きくゆらめく甲板。
アルバムの写真のように女の子は動かない。
女の子は、いつまでもいつまでもそこにいる。
ふと、彼は思いだした。
どうしても、彼女の顔が思い出せない事。
そして、彼女のファッションが昭和中期のようなレトロファッションであった事。
彼はごくりと、生つばを呑みこんだ。
鬼ケ島からの招きは、こうして終わった。
あの時、自分は異界から呼ばれていたのであろうか。
いや、あの女の子は、いまもあの島にいるのであろうか。
不条理な謎は消えないまま、彼は東京で生きている。
筆者の日々は、怪談と妖怪三昧である。
魔物たちを、常に取材し、その残り香を満喫している。
酔狂といえば、酔狂であるが、愉しげな日常といえば、そうとも言える。
それゆえであろうか。
一緒に食事したり、飲んだりする仲間たちは、自分の不可解な体験を語ってくれる。
その口から発せられる話は、様々である。
妖怪談で、あったり…。
奇人談で、あったり…。
奇妙な、偶然で、あったり…。
その話の愉しさは、筆者をしばし知的興奮に誘ってくれる。
言わば、言霊の百鬼夜行である。
話の織り成す情報によって、再現される異界は、常にいびつで悲しげな苦界である。
彼らは、自分たちの無念や妄執を訴えたいのだ。
言ってみれば、話は、向こうからやって来るものなのだ。
故に、時々“私はこの話を、聞かされているのだ”と思うときもある。
つまり、異界の住民たちが知人たちの口を借りて独白しているのだ。
永遠に繰り返される、悲しき独白。
私はそう確信している。
また、何千話も聞いていると、その話が“こしらえ話”なのか、“本当の話”なのか、わかるようになってきた。
所詮、“こしらえ話”の言霊に力がない。
そして、根底に人間の作為というあざとさが込められている。
文学として美しい創作話もあるが、生々しい体験談ほどおもしろいものはない。
だが、その人が“本当に体験した話”を聞いたときは、ある感覚が押し寄せる。
得体の知れない違和感が、胸の中でうずまき、なんとも言えない不安感で心が満たされてしまう。
その不条理な感覚の中に、人は怪異を見出すのである。
「実はさ、山口さんだから言うけどね」
意外な人からおもしろい話が聞けたときほど、興奮する。
つまり、いい意味で裏切られたわけだから。
それは、それは心地よい。
そんな時は、私は嬉々として聞いているのだが、この話は翌日“じわり”と来た。
言ってみれば、あとに残る話であった。
「いや~山口さん、俺はねえ、幽霊とか信じないんだけど、一度だけ幽霊みたいなものをね、見たことがあんのよ」
仕事仲間のIさんは、ビールをあおりながら、にこやかに語り始めた。
新橋の場末の呑み屋の空気が一瞬、歪んだ。
I氏の話によると、十年ほど前の事。
彼は仕事の行き詰まりから、船旅でふらりと四国に渡った。
自分のことを誰も知らない町で、心の中をクリアにしたかったのだ。
しばらく、四国に滞在したのだが、あるとき高松港沖に浮かぶ鬼が島に足を向けた。
特に意味はなかったのだが、後に思えば呼ばれていたのかもしれない。
高松港から、漁船のように小さいフェリーに乗った。
「ったく、チープな観光スポットだな」
彼は、ズボンに手を突っ込むと、甲板を突き抜ける風に独り言をつぶやいた。
乗客と言えば、背を丸めた爺婆ばかりで、フェリーの内部は加齢臭が漂っていた。
甲板から海を眺めると、数々の島と鬼ケ島(女木島)が望めた。
まるで、女性が横たわったような姿に見えた。
なるほど、女木島とはよく言ったものである。
鬼ケ島の入り口には、鬼の館という観光客を迎える施設が見えた。
それは決して豪華とはいえない、ありがちな観光施設であった。
彼は急につまらなくなった。
「こんな島に来たって、なんの楽しいこともないじゃないか」
I氏はぶつくさと独り言を言いながら、甲板を歩いた。
錆びた甲板が、潮気で湿っている。
ふと、気がつくと、女の子がいた。
真っ白な帽子と地味なワンピースを着た女の子が立っていた。
まるで、絵本から抜け出たような典型的な女の子。
広い帽子のつばが印象的で、全体的に霞んだような悲しい色合い。
彼女はさみしげに、甲板から海を見ていた。
「ほう、なんかかわいい娘もいるじゃん」
I氏は、その女の子に声をかけようとしたが、なかなか踏み切れない。
失踪してから、女の子ともしゃべっていない。
柄にもなく緊張してしまったのだ。
「ああ、どうしょうか、声かけようかな」
困惑しているうちに、船は鬼ガ島に到着した。
チープな鬼の館という施設が迎えてくれる。
上陸の準備をする彼を尻目に、彼女は石垣の方に歩みを進めた。
帽子の女の子は、いそいそとフェリーを降りると、地元の住民の家の方まで向かった。
「なんだよ、地元のお嬢さんか」
その後、彼は地元住民からバイクを借りて、島を回った。
取り立てておもしろくもない洞窟や遺跡を見て歩いた。
「もう見るものがないな」
彼は再び港に戻ると、フェリーを待った。
すると、鬼の館とフェリー乗り場の間にあるベンチにあの女の子がいる。
音もなく座っている。
やはり、この子は観光客なのか。
嬉しくなった彼は、一度鬼の館に戻ると、数分後再びフェリーに向かった。
だが、女の子の姿がない。
まるで、霧のように忽然と消えている。
無人のベンチの前で、足を止めてしまった。
鬼の館に戻ったのであれば、気がつくはずである。
「ははぁん、フェリーに乗ったのか」
彼は深く考えず、そのままフェリーに乗った。
今度こそ、あの女の子に声をかけてやる。
そして、彼女の姿を探した。
だが、いるのは老人ばかりである。
船といっても、小さな船だし、見失うわけがない。
狭い船内でくまなく探したが、姿が見えない。
フェリーと鬼の館まではほんの数メートルである。
彼女が、鬼の館に戻ったなら自分に見えるはずである。
あの状況で姿を消すには、フェリーに乗るしか方法はないはずだ。
「これは、どういうことだ」
膝が微かに震え、喉が渇いた。
彼は奇妙な感覚を払拭できない。
「おかしい、そんな馬鹿な」
恐る恐る振り返ると、鬼の館のベンチには、帽子をかぶった女の子がいた。
愕然とする彼の瞳には、おぼろげな彼女の姿が写りこんだ。
そこだけ時間が止まったような空間。
その空間に、一人悠然と座っている帽子をかぶった女の子。
フェリーが、港から離れていく。
波間に大きくゆらめく甲板。
アルバムの写真のように女の子は動かない。
女の子は、いつまでもいつまでもそこにいる。
ふと、彼は思いだした。
どうしても、彼女の顔が思い出せない事。
そして、彼女のファッションが昭和中期のようなレトロファッションであった事。
彼はごくりと、生つばを呑みこんだ。
鬼ケ島からの招きは、こうして終わった。
あの時、自分は異界から呼ばれていたのであろうか。
いや、あの女の子は、いまもあの島にいるのであろうか。
不条理な謎は消えないまま、彼は東京で生きている。