亡き住職夫妻の顔が寺のカヤの木に浮かび上がる不思議・茨城
亡き住職夫妻の顔が寺のカヤの木に浮かび上がる不思議・茨城
1968年取手市永福寺のカヤの木が霊園造成の関係上、切り倒された。その後カヤの木は板に加工され一般住宅に仕様されたが、民家に使用された一枚に人の顔のようなものが浮かびあがり、不思議に思った住民が板の由来を調査した。その結果、寺の古木であったことが判明、額装され永福寺に奉納された。
その板に浮かびあがった顔を見た住職は愕然、1954年に亡くなった実父、先代住職の顔にそっくりだったのだ。住職の話によると先代住職は戦時中、カヤの実を食べ、カヤの油で苦難の日々を乗り越えたというのだ。つまり、亡くなった魂は自分の命をすくってくれたカヤの木と同化したのではないかという推測が成り立ったわけだ。
さらに1990年には、先代住職の顔が浮かび上がった板の裏側に別の顔らしきものが浮かびあがった。驚くべきことにこの顔は、1945年に亡くなった現在の住職の実母、つまり先代住職の奥さんの若い頃の顔にそっくりだったのだ。
1968年取手市永福寺のカヤの木が霊園造成の関係上、切り倒された。その後カヤの木は板に加工され一般住宅に仕様されたが、民家に使用された一枚に人の顔のようなものが浮かびあがり、不思議に思った住民が板の由来を調査した。その結果、寺の古木であったことが判明、額装され永福寺に奉納された。
その板に浮かびあがった顔を見た住職は愕然、1954年に亡くなった実父、先代住職の顔にそっくりだったのだ。住職の話によると先代住職は戦時中、カヤの実を食べ、カヤの油で苦難の日々を乗り越えたというのだ。つまり、亡くなった魂は自分の命をすくってくれたカヤの木と同化したのではないかという推測が成り立ったわけだ。
さらに1990年には、先代住職の顔が浮かび上がった板の裏側に別の顔らしきものが浮かびあがった。驚くべきことにこの顔は、1945年に亡くなった現在の住職の実母、つまり先代住職の奥さんの若い頃の顔にそっくりだったのだ。