極貧から這い上がった大本の開祖「出口なお」の壮絶な人生
出口なおは、新興宗教「大本」の教祖(開祖)である。
江戸時代後期に発生した、天保の大飢饉の影響が続く中の丹波国(現京都)で生まれたなおは、その半生で極貧を強いられる生活を送った。10代で商家に奉公へ出るなど懸命に働いていたが、結婚後は夫の仕事がうまくいかずに田畑や家を売ったほか、11人の子どもたちも早世や戦病死、自殺未遂、発狂などに見舞われ、のちに本人も「地獄の釜の焦げ起こし」と称するほどの辛苦だったという。
なおが50代になったころ、彼女は金光(こんこう)教へ入信し熱心な信者となったが、その間に、霊夢で「艮(うしとら)の金神(こんじん)」すなわち「国之常立神(くにのとこたちのかみ)」の神懸かりが起こったという。それ以降、霊夢を何度か見ることとなったなおは、断食や水行、娘に塩や水を各所に撒かせる、町中を大声で怒鳴り歩くなどといった行動を起こし、世間から「狐や狸が憑いた」と囁かれ座敷牢に閉じ込められることとなった…(続く)