なぜ日本人は“武芸”と“舞芸”をつなげたのか【前編】
芸と技術と日常と
その著書【アーロン収容所】で知られる、京都大学人文学研究所の教授であった、会田雄二氏の考察に面白いものがある。
氏は大戦中に帝国陸軍の一兵士としてビルマにおもむき、白骨街道といわれ日本軍が壊滅したインオパール作戦に参加していた。(ちなみに私の母、光益八重子・旧姓溝口八重子も日本赤十字の従軍看護婦としてこの戦いに文字通り従軍していた)
その軍隊経験から日本軍の兵士がおこなう突撃の姿勢と、欧米人のそれとを比較したものである。
結論からいえば、日本軍の突撃の姿勢は世界に類を見ない低姿勢でおこなわれるというものであり、これは百姓が鍬を持ち、土を耕す姿勢そのものであるというのだ・・・(この続きはこちらから)