「晴明神社」
平安時代、人々の生活を脅かす天災や疫病などは恨みを残して死んだ人の「怨霊」が起こすものとみなし、この魂を鎮めて「御霊」とすることで平穏と繁栄を願う「御霊信仰」が盛んになった。
当時は貴族たちの権力争いが盛んであり、権謀術数で密かに政敵を追い落とすことなど日常茶飯事であった。そのため、貴族たちは自身の手を汚さずに相手を消す手段として呪詛を用いることを考えたのである。
もちろん、自分と同じ事は相手も考えているだろうということで、呪詛から身を守る方法も考えなくてはならなかった。そこで呪詛や占術のスペシャリストである陰陽師の助言を仰ぐようになったのである。なお、陰陽師はもともと宮中で祭祀等を行う文官の一種である・・・(この続きはこちらから)