【有名歌舞伎役者惨殺】皆殺しの後、凶漢はご飯を一心不乱に食らった

太平洋戦争終了後、飯田利明(当時22歳)は、戦時中に徴用されていた北海道から浅草にあった岸本家まで帰宅した。飯田は元々の苗字を岸本といい、大阪の飯田家に養子に入っていたことで苗字が変わっていたのだ。
だが、飯田は自宅前で愕然とする。実家は不審火で全焼し、12歳の妹以外は、全て焼死していたのだ。
幸い、飯田の亡くなった父が歌舞伎役者の12代目・片岡仁左衛門(当時65歳)の座付作者であったため、妹は彼の家族の子守女中に、そして飯田も仁左衛門の見習い作者として同居できることになった。
しかし、これが悲劇の始まりでもあった・・・(この続きはこちらから)

