各デパートの始まり!!大丸、松坂屋、高島屋、三越。

各デパートの始まり!!大丸、松坂屋、高島屋、三越。
各デパートの始まりが気になったので調べてみた。
大丸
1717年に下村彦右衛門正啓が京都市伏見区京町に呉服店・大文字屋を開業、両替商を兼営。1726年大阪心斎橋、1728年に名古屋本町に名古屋店、『先義後利』の精神がある。大塩平八郎の乱では、「大丸は義商なり」と焼き打ちを免れ幕末には幕府に肩入れ。船橋にあった船橋大丸と大丸は無関係だったとは…。
松坂屋
1611年織田信長の家臣で信長小姓三蘭丸のひとりだった伊藤蘭丸祐道が、本能寺の変後名古屋本町で呉服店を始めたが、伊藤が大坂夏の陣で豊臣方について戦死。1659年祐道の遺児・伊藤祐基が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を再開 、1768年4月5日 江戸上野の松坂屋を買収し、いとう松坂屋と改めた。 因みに「三蘭丸」とは、「森蘭丸・伊藤蘭丸・早川蘭丸」の事。
高島屋
創業者飯田新七の義父が岐阜県高島の出身だった為、「高島屋」という屋号になる。1831年(天保2年)、京都で飯田新七が古着・木綿商を開業。海外の博覧会にて数々の賞を受賞したことで、宮内省御用達となる。1919年には改組し、株式会社 高島屋呉服店として長堀橋に店を構え、1932年、東洋一の大阪店、翌年1933年には東京・日本橋に東京店を開店。幕末は官軍に肩入れ。
三越
伊勢・松坂の三井高利が創業者、三井家は六角氏の旧臣であった。屋号・三越は、1904年に創業時の「越後屋」と創業家の三井家からとって創ったもの。1673年(延宝元年)に呉服店「越後屋」として創業。
白木屋(東急百貨店)
1662年(寛文2年)大村彦太郎によって創業。白木屋2代目当主の大村彦太郎が掘り当てた白木観音・白木名水という史跡があった。日本橋コレドの中にある。
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大丸
1717年に下村彦右衛門正啓が京都市伏見区京町に呉服店・大文字屋を開業、両替商を兼営。1726年大阪心斎橋、1728年に名古屋本町に名古屋店、『先義後利』の精神がある。大塩平八郎の乱では、「大丸は義商なり」と焼き打ちを免れ幕末には幕府に肩入れ。船橋にあった船橋大丸と大丸は無関係だったとは…。
松坂屋
1611年織田信長の家臣で信長小姓三蘭丸のひとりだった伊藤蘭丸祐道が、本能寺の変後名古屋本町で呉服店を始めたが、伊藤が大坂夏の陣で豊臣方について戦死。1659年祐道の遺児・伊藤祐基が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を再開 、1768年4月5日 江戸上野の松坂屋を買収し、いとう松坂屋と改めた。 因みに「三蘭丸」とは、「森蘭丸・伊藤蘭丸・早川蘭丸」の事。
高島屋
創業者飯田新七の義父が岐阜県高島の出身だった為、「高島屋」という屋号になる。1831年(天保2年)、京都で飯田新七が古着・木綿商を開業。海外の博覧会にて数々の賞を受賞したことで、宮内省御用達となる。1919年には改組し、株式会社 高島屋呉服店として長堀橋に店を構え、1932年、東洋一の大阪店、翌年1933年には東京・日本橋に東京店を開店。幕末は官軍に肩入れ。
三越
伊勢・松坂の三井高利が創業者、三井家は六角氏の旧臣であった。屋号・三越は、1904年に創業時の「越後屋」と創業家の三井家からとって創ったもの。1673年(延宝元年)に呉服店「越後屋」として創業。
白木屋(東急百貨店)
1662年(寛文2年)大村彦太郎によって創業。白木屋2代目当主の大村彦太郎が掘り当てた白木観音・白木名水という史跡があった。日本橋コレドの中にある。
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