累ケ淵の怨霊事件、その恐るべき後日談
累ケ淵の怨霊事件、その恐るべき後日談
茨城
有名な累ケ淵の怨霊事件だが、その呪いは今も続いている。本稿では、現代も続く祟りの真相に挑んでみようと思う。怪談「累が淵」は、「東海道四谷怪談」、「番町皿屋敷」と並び日本三大怪談の一角を成す話だが、創作である二作とは違い、この話は現実にあった話であるのだ。
累が淵の悲劇は、すぎという女性が助という醜い子供を産んだことから始まる。すぎは再婚相手の与右衛門が連れ子の助を嫌ったために、我が子を鬼怒川に突き落とし水死させてしまった。
その後、すぎは与右衛門との間に子をもうけるが、その顔は殺した助と瓜二つであった。累(るい)という娘であったのだが、村人たちは助の怨霊とかさねて、累(かさね)と呼んだ。両親亡き後、成長した累は流れ者の男を夫に迎え、夫が二代目与右衛門となる。だが妻である累は顔が醜い上、性格も嫉妬深く、たまりかねた与右衛門は鬼怒川に突き落とし、殺害してしまう。しかも、その殺害現場は、かつて累の異父兄である助が殺害された現場と同じであった。
以後、与右衛門は6人もの妻を迎えるが、累の怨霊の祟りで次々に狂い死にする。ようやく6人目の妻が生んだ子供・菊にも、累の怨霊が憑依してしまった。この三代に渡る怨霊事件の解決に立ち上がったのが、悪霊退治で当時名を馳せた祐天上人であった。(祐天寺という地名の元になったぐらい有名な)高僧の調伏により、ようやく怨霊がおさまったとされているが、現代ではどうなっているであろうか。
法蔵寺には、現在助、累、菊の3人の墓があり、大切に供養されている。墓の横にある3人の姿をかたどった像は、左目が潰れており、やや不気味な印象を受けた。今回、実物は拝見できなかったものの、同寺には累曼荼羅、祐天上人が怨霊調伏に使った数珠などが保管されている。
観光協会の土居氏に話を伺ったところ、法蔵寺の宝物で一番素晴らしいのは、助・累・菊の3人の像とそれを温かい視線で見守る祐天上人の像だという。因みにこの像だが、上人の死後、弟子により上人の遺骨(頭蓋骨らしい)の一部が入れられているのだ。死後も怨霊たちを封印するための呪法であろうか。なんとも凄まじい話である。
地元の某企業に勤めるMさんの案内で、助、累が殺害された累が淵に向かった。なんと伝承では2箇所あるという。どちらもそれっぽく不気味なのだが、古文書に掲載された図面よると法蔵寺近くの淵の方が可能性が高いようだ。同文書により累の家の跡地も特定したが、現在は個人のお宅があり、取材は自粛した。
今回、発見した意外な史跡は「すぎの実家跡」である。これも観光協会の土居氏の情報により訪問できたのだが、一見何の変哲も無い空き地であった。だが、考えて見ると三代に渡る怨霊事件の発端は、全てすぎによる助殺害から始まるのだ。お向かいで商店を営むおばあちゃんの証言によると、やはり、この土地も明治以降住むものがなく、駐車場や空き地である事が多いという。かつて、昭和時代に東京の人が資材を持ち込み、基礎まで作ったものの、家の建築を中止したことがあったらしい。何があったのかは不明だが、伝説は今も続いているのだ。
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