大本を率いた宗教指導者「出口王仁三郎」その伝説的な生き様
出口王仁三郎は、新派神道「大本」を発展に導いた人物であり、明治から昭和初期にかけてあまたに登場した霊能力者・宗教指導者の中でも、最も異彩を放った指導者と言われる。
大本は、金光教の布教者であった出口なおが、神懸かりによって国祖・国之常立神(クニノトコタチノカミ)の神示が降りたことを始まりとする。その出口なおのもとに、霊学会会長の上田喜三郎が訪れ、二人の手により金光教から大本として独立するに至った。
上田喜三郎は、出口なおの娘すみの入り婿となったことで出口に改姓すると同時に「王仁三郎」と改名し、出口なおの死後も大本を先導する重要な指導者となった。新聞社を買収して大本を宣伝するなど、メディア戦略やパフォーマンスにも長けていた。
出口王仁三郎のたぐいまれなるカリスマ性は、合気道の創始者・植芝盛平をも魅了させた。彼は1942年に出口王仁三郎と共にモンゴルへ出国した先で銃撃戦に巻き込まれた際に、敵から放たれた弾丸が見えて避けることができたという逸話を残している。当時の大本には陸海軍の軍人も多く出入りしており、彼らの多くが植芝盛平の門人となっていた…(続く)