将門の首伝説は、悪路王の首伝説の焼き直しである。
将門の首伝説は、悪路王の首伝説の焼き直しである。
山口敏太郎
@過去幾度となく書いてきた仮説
現在、鹿島神宮の宝物殿に悪路王の首が奉られている。悪路王とは、かつて大和朝廷に逆らった東北地方の抵抗勢力のボスである。伝説上では悪路王と呼ばれることが多いが、歴史上ではアテルイと呼ばれる。権力者えある大和朝廷側から見ると彼は鬼神であり、反逆する妖怪でしかなかったのだが、東北地方の庶民から見ると地元のヒーローであった。最近では歴史上でも再評価されつつあるが、長らく蔑視されてきた。朝廷軍を率いた田村麻呂は、何度か合戦で戦ううちにアテルイが殺すには惜しい好人物だと見抜き、朝廷に降るように説得する。田村麻呂の熱意に打たれたアテルイは京都に参上するが、首をはねられてしまう。その後、悪路王の首が東日本に向かって飛行したという伝説が囁かれた。
この悲劇に落涙した田村麻呂はアテルイが死んだ場所に寺を建てる。それが現在の清水寺である。以来、アテルイの首は朝廷を護る為に呪術の道具にされてきたのだ。鹿島神宮にある悪路欧の首は、勿論、木彫りの首なのだが、この首は帝都の鬼門に奉られることにより強力なパワーを持っている。大手町に封印された将門の首塚は、悪路王の首塚の焼き直しの結界に過ぎない。つまり、反逆の首が関東に向かって飛び、関東の結界に使われたという伝承のオリジナルは、将門ではなく悪路王の方が先である。
将門は関東独立を図った稀代の英雄である。彼の魂は今も東京を護っている。荒俣宏の「帝都物語」により、将門の怨霊は一般的にも有名になった。それまでは、怨霊といえば菅原道真であり、崇徳上皇であった。この本来秘すべき怨霊・将門の再認識により、霊的な帝都防衛の仕組みが明らかになりつつある。現在、都内に残されている将門縁の神社の七箇所を結ぶと北斗七星になるが、これは帝都に関東の土地神(将門の怨霊)を封印するための仕組みである。また、将門の一族が信仰していた妙見信仰(北斗七星を信仰する習慣)に由来する。更に、大手町にある将門の首塚と茨城にある将門の胴塚をつなぐレイラインが鬼門を護り、裏鬼門は源頼朝の首塚、北は徳川家康が眠る日光東照宮が護るのである。この強固な霊的防衛網は、家康のブレーンであった天海が施工したものであり、徳川幕府が300年続いた秘密でもある。明治維新後、狡猾な明治政府はこの結界をそのまま使用し、現在に繋がっている。今も、将門の首塚は、帝都防衛の結界(北斗七星)に組み込まれている。
@これらの記事は山口敏太郎のオリジナル解釈や推理に基づいております。
関連記事 将門、悪路王
山口敏太郎
@過去幾度となく書いてきた仮説
現在、鹿島神宮の宝物殿に悪路王の首が奉られている。悪路王とは、かつて大和朝廷に逆らった東北地方の抵抗勢力のボスである。伝説上では悪路王と呼ばれることが多いが、歴史上ではアテルイと呼ばれる。権力者えある大和朝廷側から見ると彼は鬼神であり、反逆する妖怪でしかなかったのだが、東北地方の庶民から見ると地元のヒーローであった。最近では歴史上でも再評価されつつあるが、長らく蔑視されてきた。朝廷軍を率いた田村麻呂は、何度か合戦で戦ううちにアテルイが殺すには惜しい好人物だと見抜き、朝廷に降るように説得する。田村麻呂の熱意に打たれたアテルイは京都に参上するが、首をはねられてしまう。その後、悪路王の首が東日本に向かって飛行したという伝説が囁かれた。
この悲劇に落涙した田村麻呂はアテルイが死んだ場所に寺を建てる。それが現在の清水寺である。以来、アテルイの首は朝廷を護る為に呪術の道具にされてきたのだ。鹿島神宮にある悪路欧の首は、勿論、木彫りの首なのだが、この首は帝都の鬼門に奉られることにより強力なパワーを持っている。大手町に封印された将門の首塚は、悪路王の首塚の焼き直しの結界に過ぎない。つまり、反逆の首が関東に向かって飛び、関東の結界に使われたという伝承のオリジナルは、将門ではなく悪路王の方が先である。
将門は関東独立を図った稀代の英雄である。彼の魂は今も東京を護っている。荒俣宏の「帝都物語」により、将門の怨霊は一般的にも有名になった。それまでは、怨霊といえば菅原道真であり、崇徳上皇であった。この本来秘すべき怨霊・将門の再認識により、霊的な帝都防衛の仕組みが明らかになりつつある。現在、都内に残されている将門縁の神社の七箇所を結ぶと北斗七星になるが、これは帝都に関東の土地神(将門の怨霊)を封印するための仕組みである。また、将門の一族が信仰していた妙見信仰(北斗七星を信仰する習慣)に由来する。更に、大手町にある将門の首塚と茨城にある将門の胴塚をつなぐレイラインが鬼門を護り、裏鬼門は源頼朝の首塚、北は徳川家康が眠る日光東照宮が護るのである。この強固な霊的防衛網は、家康のブレーンであった天海が施工したものであり、徳川幕府が300年続いた秘密でもある。明治維新後、狡猾な明治政府はこの結界をそのまま使用し、現在に繋がっている。今も、将門の首塚は、帝都防衛の結界(北斗七星)に組み込まれている。
@これらの記事は山口敏太郎のオリジナル解釈や推理に基づいております。
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