『遠野物語』は証言が書き換えられている?「寒戸の婆」の謎

民俗学者柳田國男が発表した『遠野物語』(1910)は、今もなお人々に読み継がれる説話集である。彼の代表的な著作としても知られており、民俗学者谷川健一は「私たちが失った大切なものは何か、を知るために『遠野物語』がある」と現代的価値を謳い、小説家三島由紀夫も「日本民俗学の発祥の記念塔ともいうべき名高い名著」と絶賛したほどだ。
しかし、当然ながらその一方で、批判がなされている部分もある。自然主義文学を信奉していた小説家田山花袋が『遠野物語』に対して「粗野を気取ったぜいたく」と評していたが、先の三島由紀夫も「永年これを文学として呼んできた」と自ら言う通り、文学としてみなされる傾向が以前から強かったのは事実だろう。
現に、『遠野物語』を民俗学の資料として扱うことに疑問を呈する主張もある。柳田國男が、西洋の民俗学や人類学の成果を取り入れて具体的にそれを骨格とした独自の民俗学構想を築き上げたのは『遠野物語』発表よりも後年であると言われており、『遠野物語』が書かれた当時は、民俗「学」は意識されていなかったのではないかとも言われているのだ…(続く)

