鎌倉時代・京都で天狗たちが日本を混乱に陥れる計画があった!?
崇徳上皇は、保元の乱で一敗地にまみれ、天狗界に身を落とし白峰魔王と成り果て、讃岐三大天狗呼ばれる相模坊、中条坊、金剛坊の三人を従え、日本国に壮大な呪いをかけたと言われている。その言葉が凄まじい。
「我は、この国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
讃岐で幽閉生活を送る崇徳上皇は、仏教に帰依し、保元の乱の死者の供養に専念していた。五部大乗経の写本製作し朝廷に贈ったが、後白河法皇は、折角贈った写本を全て送り返してきたのだ。
この酷い仕打ちに激高した崇徳上皇は、己の舌を噛み切り、滴る血で呪いの文言を経文に書き加え海に沈めたという。長寛2年(1164)に流刑地・讃と岐で崩御する・・・
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「我は、この国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
讃岐で幽閉生活を送る崇徳上皇は、仏教に帰依し、保元の乱の死者の供養に専念していた。五部大乗経の写本製作し朝廷に贈ったが、後白河法皇は、折角贈った写本を全て送り返してきたのだ。
この酷い仕打ちに激高した崇徳上皇は、己の舌を噛み切り、滴る血で呪いの文言を経文に書き加え海に沈めたという。長寛2年(1164)に流刑地・讃と岐で崩御する・・・
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