射貫いた扇の的はどこ?那須与一の有名なあの話は創作だった!?

元暦2年(1185)の源平合戦・屋島の戦いで、源氏が陸上、平家が海上の船でにらみ合いを続けるなか、平家方から一艘の小舟がこぎ出てくる。
そこには優美な女房が一人乗っており、船の舳先には長い竹竿が立てられ、先端に日の丸を書いた扇が挟まれている。そして、扇の的を射よと女房が源氏方に対して手招きをしてみせる…。
源氏方の源義経はこれを平家方の挑発ととるも、外せば源氏の名折れになる。ここに現れるのが弓の名手・那須与一であった。彼は自害する覚悟で「南無八幡大菩薩」と神仏に祈り、鏑矢を放つと見事に扇を射貫いてみせた。与一の腕前を見た皆は彼に感服し、両軍から讃辞の声が上がったという。
平家物語で語られる有名な『扇の的』の名場面だが、実はこの話は後世の創作ではないか、とする説がある・・・(この続きはこちらから)

