切腹した七人の家臣「七人御崎」怨霊が出現…土佐の七人ミサキ【その参】

土佐・長宗我部家の跡目争いが怨霊を産んだ「土佐の七人ミサキ」【その弐】より続く
天正16年に起きた長宗我部家の嫡子問題から、家臣の吉良左京進・比江山掃部親興の両名は切腹を命じられた。この二人の切腹に際し、多くの者が後を追った。
吉良左京進の切腹の時は、宗安寺真西野、永吉飛騨守、勝賀野次郎兵衛、吉良彦太夫、城内太守坊、日和田興左衛門、小高甚左衛門の七人が殉死した。
人々はこの七人を「七人御崎」と称して、怖れ敬った。また、吉良左京進の遺骸は吾川郡中村郷木塚に木塚大明神として、七人御崎と共に奉られた・・・(この続きはこちらから)

