オカ爺の南国UMA昔話 「石垣島のヤマピカリャー」
オカ爺は石垣島で生まれ育ち、30年ほど農業と畜産と漁で生計を立てていましたが、その後上京してから30年余りが過ぎました。石垣島では某オカルト月刊誌を見たことがありませんでしたが、上京してから間もなく某オカルト月刊誌と出会い、それから30年以上も愛読しているオカルトの強者です。今回は、オカ爺が南国で実際に体験したUMAにまつわる昔話をご紹介します。
伝説の猫ヤマピカリャー
あれは忘れもしない昭和45年、わいは10才だった。近所に住んでいたおじさんと一緒に、[いのだ二班]というの山奥まで、猪を捕まえるために仕掛けておいた罠を見に行った時、おじさんから聞いた話だ。1年ほど前、おじさんが同じ場所に猪の罠を見に行ったらな、猪の代わりに豹が罠に掛かっていたんだと。おじさんは驚いて、おそるおそる罠に掛かっている豹に近づくと、豹が突然目を光らせて「にゃ~ん」と可愛らしい声で鳴いたそうだ。その豹をよ~く見るとな、それは豹ではなくて豹柄模様の大きな猫でな、大人しい動物だったので、その大きな猫を鍋料理にして食べたそうだ。そのおじさんの話以来、わいは大きな猫の話を聞いた事がないので、近隣に生息していた最後の大型野生猫だったかも知れないのう。大きな猫の鍋料理は、まぁまぁ美味しかったそうだ。わいも食べてみたかったのう・・・
ツチノコ?石垣島でツチノコの話を聞いたことはないが、違う名前で呼ばれていた可能性はあるな・・・(この続きはこちらから)