政治の本質は統治であり、必要悪とは。
「日本衆愚社会」呉智英著の「体罰論の本質的考察」から政治の本質を改めて考えることになりました。
このエッセイは、教育の体罰について著者の考え方を述べたものですが、政治の必要悪について述べていますので、引用し、皆さんに知ってもらいたいと思います。
「必要悪の典型は政治である。政治の本質は統治である。(中略)社会の混乱を収めるためには、否も応もなく強権的に統治を確立しなければならない。どんな穏やかな政治にもその根底にはこの統治行為が必ずある。このことがだれでも直感的にわかっているから、常に政治はうさんくさく思われるし、誠実な政治家は政治が必要悪であることを内心で自覚している。政治は本質的に「否も応もない」ものだからである。否も応もないことは、なぜ悪なのだろうか。そこに人格への侵襲invasionがあるからである。」
この引用文からはなかなか理解しにくいところですが、政治は必要悪であることをどれだけの人が理解しているか、重要な点ではないかと思います。特に政治家といわれる人たちの政治に向き合う姿勢の問題を感じずにはいられません。統治の手段である民主主義がこの必要悪を根底としていることを認識すべきです。
以上
「日本衆愚社会」呉智英著の「体罰論の本質的考察」から政治の本質を改めて考えることになりました。
このエッセイは、教育の体罰について著者の考え方を述べたものですが、政治の必要悪について述べていますので、引用し、皆さんに知ってもらいたいと思います。
「必要悪の典型は政治である。政治の本質は統治である。(中略)社会の混乱を収めるためには、否も応もなく強権的に統治を確立しなければならない。どんな穏やかな政治にもその根底にはこの統治行為が必ずある。このことがだれでも直感的にわかっているから、常に政治はうさんくさく思われるし、誠実な政治家は政治が必要悪であることを内心で自覚している。政治は本質的に「否も応もない」ものだからである。否も応もないことは、なぜ悪なのだろうか。そこに人格への侵襲invasionがあるからである。」
この引用文からはなかなか理解しにくいところですが、政治は必要悪であることをどれだけの人が理解しているか、重要な点ではないかと思います。特に政治家といわれる人たちの政治に向き合う姿勢の問題を感じずにはいられません。統治の手段である民主主義がこの必要悪を根底としていることを認識すべきです。
以上