浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

小平市の住民投票問題ニュースを見て

2013-05-23 08:01:37 | 国際・政治

 3日ほど前のニュースでしたが、小平市の道路拡張に反対する住民投票への活動について取り扱ったものについて気になったことがあるので取り上げます。

 昨今の民主主義制度を考え直す動きとして住民投票制度、つまり住民が直接政治的判断に参加していこうという動きです。そうした活動は住民が自らの周りのまちづくりや政策について関心を持ち、実際に活動しようとすることは極めて大切なことであり、政治的関心事に参加、活動することを否定するものではありません。住民投票制度も法律で認められる重要な民主主義の政治的決定手段です。

 しかし、こうした住民投票制度で考えなければならないことが2点ほどあるのではないかと思うのです。

 まず、1点目は、住民投票の争点となる対象が、行政区域の範囲内においてどれだけ法的拘束力があり、住民投票制度の意義があるか現実的な問題としてとらえなければなりません。つまり、今回のケースでいえば、住民投票によって反対が決定されても法的拘束力はないということであり、現実的に考えれば何のための住民投票か明確にされていないのではないでしょうか。活動そのものに意義があるとするのであれば、争点の目的が少し違うということです。この点についてはコメンテーターもそのような発言をしていました。住民投票とはどういうものかの意義、そして現在の民主主義制度とはどう言うものかを理解する必要があります。そもそも住民投票そのものに多大なコストがかかります。何でも住民投票にかけ、政策判断を住民が自ら選択していくというわけにはいきません。また、単に住民投票による多数決が全面的に正義であるということが担保されるかどうかを考えなければなりません。現在の代表制による民主主義制度が、ベストではないとしてもベターの制度として政治は進められているということを再認識していく必要があると思います。

 2点目は、1点目で指摘したような現実をとらえれば、私たちの代表として選ばれた政治家、議会を動かすことを主体に活動すべきではないかと思うのです。ニュースの範囲内で、この所感を書いていますので、そうした活動は十分していたと言われれば問題は少し違うかとは思いますが、現実的な活動の成果を求めようとするならば、制度の中で実現していく実効性を求めると言うことが必要です。一般的な話として、現在の政治不信、政治家はあてにならない、議会は何もしてくれないといった批判があるのは確かです。しかし、政治家や議会のとって、住民から負託された責任は十分持っていると思います。たとえそうしたずれが生じているとしても、現実的には、先ほど申し上げた制度の中で変えていくという努力をすることが大切です。今回のケースでは、そこのところが報道されていませんでしたので、勝手なことを言うようですが、活動の実効性を考えれば、活動の意義が満たされます。

 批判的なように書きましたが、活動そのものを否定するものではありません。私自身は、こうした市民の活動が、社会を変えていくと信じています。今の日本は、戦後、与えられた民主主義制度として成り立っているため、決して勝ち取ったという意識が私たちにない所に問題があるのではないかと思います。それは決して今の制度が間違っているということではなく、私たち一人一人が十分理解したいないのではないかということです。明治、大正の戦前の政治史を読んでいると、先人達がいかに民主主義を勝ち取ろうとしてきたかを改めて感じます。戦争をはさんで大きく変わった政治制度が、戦後の政治的な歴史もふくめ、今一度問い直す時期に来ているのかもしれません。

以上


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小生の住む東京都下、小平市の名前が全国に知れ渡... (小平市民)
2013-05-25 21:54:16
小生の住む東京都下、小平市の名前が全国に知れ渡っています。東京都で初の住民投票が行われることで脚光を浴びているものです。

都が計画している道路を作るに当たり「道路計画を見直す」のに賛成か反対かという、一見分りずらい小平市が実施する住民投票です。

この計画道路は、都が何年もかけて各市にまたがって建設を進めているもので、隣の東村山市や国分寺市、府中市の区間は、既にほぼ完成しています。

小平市を通る区間に関しても、立ち退き対象になる住民に対し、市からは何度も道路建設の説明が行われましたが、住民の反対が強く着工できない状態が続いていました。

この地域の住民による反対運動が起こりましたが、市は市議会で道路建設を採択しました。市議会で決定したものは覆りません。

そこで、反対運動をしている住民は、市の決議を何とか(?)するために、小平市民全員が参加しての「道路建設の見直しに賛成か、反対か」の住民投票運動に切り替えました。

その署名運動をやった結果、それが功を奏し、市議会で住民投票を行うことが決議されました。

その後、小平市長選挙があり、この反対派の推す候補、革新系の前市長が圧倒的な強さで、保守系を押さえて当選しますが、この市長、都の要請に屈し道路建設を承認する立場に変わりました。

しかも、この市長、住民投票に当っては50%以上の投票がない場合、投票後の開票はしない、住民投票は無効ということにしてしまいました。

それで、現在、この反対派住民は、躍起になって全市民に対し、選挙の時のように宣伝カー(どこからお金が出てるのか?)を使って、住民投票に行こう!と呼びかけ運動をしています。

その投票日が、明日の26日の日曜日、というわけです。

この反対派住民の運動は、「小平都市計画道路に住民の意思を反映させる会」という名称で、マスコミや様々なメディアを使い、民主主義の正しいあり方は・・・云々と争点を完全にすり替えた運動をしています。

今日、こんな記事を読みました。

「みんな、民主主義に飢えている」 小平市の住民投票に挑む哲学者、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「現在の政治が、住民の自治と参加にどれほどアレルギーを持っているかを示すよい例でしょう。住民と一緒に考えて作っていくという経験が行政の側にないので、怖がっているんです。

でも、誤解しないでもらいたいのですが、僕たちは反対しているのではない。提案しているんです。今回の住民投票も、都道計画に賛成か反対か、を問うものではなく、住民の意見を聞いて計画を見直すべきか、それとも見直す必要はないか、を問うものなんです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

道路建設反対!を隠して、住民投票という民主主義を説く。これって、詭弁ではないでしょうか?

この計画道路の少し横には、府中街道が走っています。片道一車線のこの街道は、なぜか、この計画道路地域を避けるようにして、鍵型に曲がっています。

この鍵型の信号で、いつも渋滞しています。特に朝夕の車の混む時間帯は最悪です。

何故、こうような道路になったのか、地元でもあまり知られていませんが、この周辺の地主、住民の反対で、何十年も前ですが、どうしても鍵型にせざるを得なかったという歴史があります。

今回の道路計画の見直しの中には、予定されている区間ではなく、この府中街道を広げれば良い、という意見もあります。

この区間に家を建てられた人たちは、その土地が計画道路上にあることを知って家を建てています。

何を隠そう、ここの住民は自分の土地家屋を守るために、武蔵野の雑木林を守れ、環境を破壊する道路は反対!などと言っている。住民エゴが見え隠れしています。

計画道路が完成することを、多くの人は望んでいます。

この地域の住民エゴのために「住民投票」を行うことに、何の意味があるのでしょう。

まず以って、この道路は、都が長年に渡って進めてきた道路で、小平市だけの問題ではありません。東村山市の区間は、綺麗に整備され、あれほど酷かった渋滞から開放されました。

聞くところによると、この住民投票のために市は、三千万円を費やしたとのこと、更に開票となれば、人件費が嵩みます。これらの費用、うちらの税金ですよね。

以上、住民エゴを利用して、政治問題化しようとする人たちが暗躍していることに危惧している一小平市民より。
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