浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

情報の非対称性と政治理念

2012-04-24 11:36:26 | 国際・政治

経済学の合理性に従えば、政治の政策的判断において情報の非対称性(相手との情報に量的質的格差があること)の問題は極めて重要になります。つまり経済学的判断は、金銭的数字が尺度となるため、儲かるとか損をすると言った判断で、情報が的確であり豊富であることが、政策の決定要因に大きな影響を及ぼすため、情報は極めて大切です。

しかし、一方で政治的判断においては、必ずしも金銭的な損得だけでなく、判断する人の理念が大きくかかわってくるということになります。情報の非対称性が仮にわずかであって、金銭的損得が明確であっても、そのことが判断を大きく左右することはないかもしれません。

資本主義社会では、経済が優先になりますが、政治家は、右へ行ったり左へ行ったりすることなく、言葉の重みを理解し、そした理念を明確にしていくことが求められているのかもしれません。

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素晴らしい若者

2012-04-20 08:44:34 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は、ある若者の「思い」を語るような会に出席し、話を聞いてきました。詳しく話せればよいのですが、感想だけをかきます。

 彼は42歳で独身、役者を志望し10年近く俳優の卵として経験を積み、建築会社勤務を経て、大病を患うも克服し、花屋を営む青年です。経歴を語ればそれだけになってしまいます。しかし、多少の脚色はあったとしても、苦労を苦労と感じさせない彼の前向きかつ純粋なエネルギーとすばらしい人柄を感じずには居られませんでした。まさに純粋な若さというものに感動したのです。

 「人を喜ばせたいという熱い思い」、「感動と夢に向かってまっしぐら」、「自分を犠牲にしてまで突き進むエネルギー」、「感動を実行に移す行動力」、「人との触れ合いを求め、感謝する優しさ」、そんな言葉が彼の話を聞いて思い浮かんだ言葉です。

 生活するという面では、多くの人たちの支えを得ながら、ギリギリのところをつっぱしてきたのでしょう。しかし、そうした苦労は、人々に感謝する話だけで、自分の苦労は微塵も見せることなく一時間半にわたり語ってくれました。自分自身を振り返り、とかく小さくなりすぎている自分自身を含め、反省とエネルギーをもらった一日でした。

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競争社会と共生社会

2012-04-19 08:36:36 | 社会・経済

昨日、ある中小企業の経営者からこんな話を聞きました。

「今度、中学を卒業して丁稚奉公のように勤めてきた60歳になる従業員が定年を迎える。彼は、普通の人と比較して体も弱く重い作業もできないし、車の免許も持っていない。社内でも能力的なところで他の従業員から批判されがちである。家庭では、結婚もしておらず、90歳を過ぎた母親の面倒を見ている。先代からの申し送りで働いてもらったが、彼の定年後が心配である。定年後も嘱託でと思っているが、彼自身が継続して働くことでほかの従業員との軋轢を心配している。厳しい中小企業の熾烈な争いの中で、経営者としても頭の痛い問題である。」

この話を聞いて皆さんはどうお感じでしょうか。

この話はありふれたものかもしれませんが、いろんなことを含んでいます。自己責任であると一言で片づけてよいものでしょうか。それとも経営者の責任であると言うべきでしょうか。

ただ、私自身が最初に思ったことは、競争社会の激化の中で、ゆとりというものがなくなってしまったのではないかということです。共生社会と競争社会、幸せとは何なのか、私たち自身がもう一度問い直す時期に来ているのではないでしょうか。

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自民党の7つの政策を読んで

2012-04-18 17:53:47 | 国際・政治

「日本の再起のための7つの柱」と題する政策が送られてきました。

感想

1、政策を理解できても従来発想から抜け出ていないのではないか。

2、私たちが知りたい原発を含むエネルギー政策や東日本の復興策、社会保障政策(生活保護だけについてはある程度詳しく書いてあるが)についての絵が具体的に書かれていない。

3、反民主党的な政策の列挙でよいのか。

4、新しい形が求められているにもかかわらず、負担とともに将来像が明確でない。

今、私たち国民が求めていることは従来型の発想ではなく変革を求めていることは明らかです。政策が意味することを理解できても、結局、選挙のための政策ではないかと見えてしまうからです。

ここ数日、私自身がブログで書いてきたように、全体の将来像と私たちが負担すべきとされる痛みを明らかにされていないからではないでしょうか。政権をとるための戦略ではなく、危機意識を持った日本再建の戦略となっていないからです。発想の転換が必要です。国民が本当に求めていることを直視し、必要な政策の革新とそれに伴う負担を明確にしていくことが必要ではないでしょうか。

自民党員としてあえて苦言を言っておきます。

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反対討論

2012-04-18 09:22:49 | 国際・政治

岐阜市3月議会において、私が所属する会派・市政自民党は、一部予算に対する反対討論をいたしました。以下、広報紙に掲載しました文章と反対討論を掲載致します。

議会で我が会派、市政自民党は、「図書館・交流センター」の建設規模及び維持管理費と「長良川うかい伝承館」の指定管理料についての予算に異議ありと反対いたしました。市民感覚として箱モノ行政に陥る可能性があり将来に負担を残す恐れがあると判断したからです。以下、反対討論の抜粋をお読みください。

 前文略)最初に図書館の建設費についてです。・・・・図書館の建て替えそのものについて反対するものではありません。現在の図書館は老朽化が進み、建て替えの必要は明確であり、教育における図書館が果たす役割の重要性も否定するものでもありません。しかし、問題はその規模についてです。土地・建物を含む100億円強という投資に疑問を持たざるを得ないということです。「今まで地域密着で行っている図書行政において過剰すぎないか」、「県の図書館と同規模のものが必要であるか」、「コンピューターや電子書籍などの発達によって将来像としてそれだけの場が必要か」、「来館者数にこだわった規模よりも、実質的な機能の充実を図るべきではないか」などの規模についての疑問は尽きないのです。・・(略)・・かける経費にも限度というものがあります。施設運営に係る維持管理経費は、今の4倍にあたる56,000万円ほどになり、図書館の行政コストは年間68,000万円という大きな経費になります。現在及び現在考えられる将来の社会環境や経済状況を考えるとき、適正規模を慎重に考えるべきです。・・・・、建てる財源のみならず、運営や維持する管理コストも考えなければなりません。規模について市民感覚として懸念するものであり、今少し時間をかけ、規模について再考すべきと考え反対いたします。<o:p></o:p>

 さらに、併設される市民交流センターについても、「NPOと行政の協働」、「中間支援機能の場」という目的があっても、物理的な場の提供という面では、ハートフルGやコミュニティセンターなども市民が集う場としては変わりありません。そうした類似する交流施設の有効利用をもっと考える余地も十分あるのではないでしょうか。新たに12,000万円という管理運営費をかけてまで必要な施設であるかを疑問に思います。図書館とともに規模について再考すべきです。<o:p></o:p>

 続きまして、商工観光費に係る岐阜市長良川うかい伝承館の委託運営費となる指定管理料の予算について反対いたします。・・・・。議場でも議論されました指定管理者による事業計画も十分に明らかにされることなく、若干の減額になったとはいえ、初年度から1億円強の指定管理料を支出することに不安を覚えるのは、私どもだけではないはずです。「実施計画作成者が指定管理者に加わっているにもかかわらず、実施計画と運営計画の収支が大きく違うこと」、「入館者数にとらわれるあまり運営費が増大している指定管理料には限度があるのではないかということ」から、最初から指定管理制度によって運営することに懸念いたします。実施計画があるわけですから、当初は直営で運営し、うかい伝承館の果たすべき目的、役割や課題などを明確にしたうえで、運営実施にあたっての指定管理者制度の導入を考えるべきではないかと思います。こうした理由から、先の議会の指定管理者の指定と同様に、うかい伝承館の委託運営費である指定管理料の予算について反対いたします。(以下略) 』

残念ながら、賛成者少数で賛同を得ることはできませんでしたが、意見を表明していくことも大切ではないかと考えています。あまりマスコミにも取り上げられず、大きな争点ではないと判断されたと思われますが、問題意識を皆さんに知っていただくことも重要かと判断し、ブログに書いた次第です。

以上

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