浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

情熱

2011-01-27 09:46:58 | 日記・エッセイ・コラム

昨晩、月1回行われているある勉強会に出席しました。

講師は、薩摩琵琶奏者・井村右水さんで、自作による薩摩琵琶の演奏とともに、木曽三川の宝暦治水や薩摩人の精神性についてのお話を聞きました。

心打たれる薩摩琵琶の演奏と同時に、薩摩の兵児(へご)教育についてが心に残りました。

兵児教育の一端として、「嘘をつくな」・「弱い者をいじめるな」・「悪口は本人に言え」・「不幸を人のせいにするな」・「自分の嫌なことを人にやらせるな」・「真偽を確かめよ」・「貧しさを恥じず、金銭で人を図るな」などの多くの「生き方を教える」教育を青少年に行っていたそうです。

その素晴らしさは、特定の先生がいるわけでもなく、伝統として、青少年で引き継がれていくことではないかと思いました。つまりこうした教育は、頭で覚えるものではなく、体で覚えていくということでしょう。学校で本を読み授業で覚えるのではなく、平生の生活の中で実践教育として身につける道徳といってもよいかと思います。

先に述べた平易な当たり前の教訓として理解はできても、我が身を振り返ってもどれだけ実践しているかと問われれば、かなりかけ離れたところにいるのではないかと自省せざるをえません。また、他者のせいにする又は他者を批判することは、天に唾する行為にもなりかねません。

政治が漂流し、混乱が続いています。理念や精神性の乱れがよく指摘されていますが、そうした実態は、政治家自身ではなく国民一人一人の乱れを映す鏡ではないかとも思うのです。私自身も大いに反省すべきです。

マイケル・サンデルが言っていたように思いますが、「政治哲学は道徳に収れんする」のかもしれません。物質的な考えにとらわれず、道徳的な理念の裏付けを持ち、自立心と情熱をもって、事に当たることを再確認しました。

以上


阿久根市長戦に思う

2011-01-21 09:55:50 | 国際・政治

先般の阿久根市の市長選の結果は、小さい地方都市といえどもいろんな地方の政治状況を如実に表しています。

僅差での選挙結果は、権力の暴走を止めたという評価がある一方、いかに市民が現状の改善を望んでいるかを表しています。(あえて改善と申し上げるのは、必ずしも極端な制度変更や体制の変革を市民が望んでいるかは疑問だと思うからです。)

このブログでもたびたび取り上げる、民主主義や地方政治制度の在り方、また地域主権がどうあるべきか、歴史の教訓を重ね合わせ、議論を重ねるときではないかと思います。

以上


人間関係の排除

2011-01-07 09:29:39 | 日記・エッセイ・コラム

京都大学教授・佐伯啓思さんのエッセイを読んでいて、「政治家に裏も表もあるのは政治家の責任ではなく、「人間交際」がそのようなものである。」と語られていました。

そのエッセイでは、すべての情報を表に出すことが必ずしも良いことではないという観点で語られていましたが、私自身もそう思います。重要な点は「人間交際」、つまり人間関係が社会の秩序を保つためにいかに大切であるかを考えなければならないということです。

最近の政治の世界には、その人間関係を分断するような出来事が多すぎるのではないかと思います。政策を議論するためには、議論は議論としても、多数の原理のためだけに人間関係をないがしろにするような行為が横行しているような気がしてならないのです。

中央での行動は、必ず地方に波及します。政治は政治のこととして終わらず、こうしたことが人間社会そのものの崩壊に繋がるのではないかと懸念します。

以上


謹賀新年

2011-01-02 10:43:48 | 日記・エッセイ・コラム

新年明けましておめでとうございます。

今年の4月は地方統一選挙がおこなわれ、私にとって3期目に挑戦する大きな節目の年になります。

混沌とした政治状況の中で、こうした状況にこそ政治の大切な役割を忘れず、広く耳を傾け、何が大切なのかをしっかりと見極め、自分自身にできることを精一杯することこそ、自分自身に与えられた使命と思っています。

支援していただく多くの皆さんの期待を裏切らない、自分自身がぶれない、結果を恐れない、「打つ手は無限」にあるという希望を持って、この一年を乗り切りたいと願っています。

皆さんに幸多かれを願って、このブログを続けていきたいと思っています。

以上