イギリスの政治学者マイケル・オークショットの保守的な態度による政治について語っているところを引用します。
『合理的な人間が行う政治こそ、警戒すべきものです。合理性を政治的価値の中心にすえる限り、現在のわれわれの生き方のある多様性や個性の衝突、つまり非合理な部分は無駄なものに思えてくる。よって統治者は、こうした余計な部分を排除し、社会を効率よく運営し、無駄と思えるものをどんどん切り詰めるようになる。その際、人々を自らの改革に従わせるためにも、理想世界を未来に設定し、先導することになります。動員した人々に対し、将来は約束されており、防湿の心配など一切まいと騙る。しかし「夢を見ることと統治することを連結すると、それは圧政を生むのである」。』
個人主義や自由主義への潮流の中で、一度立ち止まってこの社会がどうあるべきかを考えないといけないのが、ポストコロナではないかということです。特になんでも理想に向かって変えていくことが良いという信念でで進んでいくと、民主主義の崩壊、それは民主主義が持っちるマイナス面へ突き進むことになります。保守的態度とは、伝統や慣習を踏まえて、社会のきずながどのように生まれてきたのか考えるのもその一つでしょう。また、単なる多数決が民主主義ではないでしょう。
『合理的な人間が行う政治こそ、警戒すべきものです。合理性を政治的価値の中心にすえる限り、現在のわれわれの生き方のある多様性や個性の衝突、つまり非合理な部分は無駄なものに思えてくる。よって統治者は、こうした余計な部分を排除し、社会を効率よく運営し、無駄と思えるものをどんどん切り詰めるようになる。その際、人々を自らの改革に従わせるためにも、理想世界を未来に設定し、先導することになります。動員した人々に対し、将来は約束されており、防湿の心配など一切まいと騙る。しかし「夢を見ることと統治することを連結すると、それは圧政を生むのである」。』
個人主義や自由主義への潮流の中で、一度立ち止まってこの社会がどうあるべきかを考えないといけないのが、ポストコロナではないかということです。特になんでも理想に向かって変えていくことが良いという信念でで進んでいくと、民主主義の崩壊、それは民主主義が持っちるマイナス面へ突き進むことになります。保守的態度とは、伝統や慣習を踏まえて、社会のきずながどのように生まれてきたのか考えるのもその一つでしょう。また、単なる多数決が民主主義ではないでしょう。