浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

コロナ禍を経ての選挙

2023-04-12 14:02:43 | 国際・政治
 岐阜市の地方統一選挙は、前半戦の県議会議員選挙が終わり、今週から市議会議員の選挙が始まります。
 3年間のコロナ禍を経て、選挙が変わったのを実感しています。それは、選挙につきものの人を集める動員がかなり難しくなっていることです。今まで密を避けてきたことが習慣化しつつあり、地域のつながりも希薄化しているせいか、選挙の話題に全く広がりがないような状況です。それでいて、県議選では投票率が前回並みだったことを考えれば、投票が全く読めない状況にるということです。その傾向は、高齢者に顕著で、日本を地域で支えてきた高齢者の皆さんのまとまった行動が望めない状況になっています。選挙の候補者選びは、政策的なものだけでなく意外と情報交換の中で生まれ、名前が出たり誰かに頼まれたりすることによって、支援者の塊ができるわけです。そうした選挙行動が生まれないとなれば、読みにくくなるのは当たり前です。どのように輪を広げるか、のちの選挙戦のゆくえを占うことになりそうです。

地方統一選挙 前半戦

2023-04-10 06:23:27 | 国際・政治
 昨日、岐阜市でも県議会議員9人が決定いたしました。投票率は1ポイント下がりましたが、思ったほど下がらなかったような気がします。3年間のコロナ禍をへて、選挙戦は非常に静かだったため、低い投票率の心配をしていました。
 岐阜市では定数9人に対し、11人の立候補者のなか、すべて現職の当選になったわけですが、次点となった維新の会がかなり追い上げた票数を取りました。風が吹いたとは言えないかもしれませんが、この結果が次の市議選にどのように影響してくるのか、候補者として分析する必要があると思っています。ただし市議会議員は地域の密着が強いこともあり、この維新の投票数が、そのまま市議選候補者に反映されるわけでもないかもしれません。いずれにせよ自分の選挙をしっかりすることです。
 地方議員の仕事は、政策的な考え方を訴えることも必要ですが、議員の中の一人でしかなく、その政策がそのまま実行できるという立場ではありません。市長と両輪である市議会の中で議論を戦わせるだけの資質が問われてくることも重要な投票行動の一つではないでしょうか。選挙は4年に一度、私たち現職の議員にとっては、まさに審判の日であり、有権者の皆さんの考えも問われる日になります。

「誰が国家を殺すのか」文春新書、塩野七生著

2023-02-23 10:22:02 | 国際・政治
「五十年前の三十代が考えていたこと」の章で、故高坂正堯氏の本を紹介し、氏の30代の発言を「世界地図の中で考える」という本を通して、考え方を紹介しています。
その本のあとがきを紹介しているのですが、まさに、直面する安全保障の問題に対し、今一度私たちが冷静になって考えることが述べられているのではないかと思うのです。
その引用文は、
「通信・運輸のおかげで世界が一つになり、世界のどの隅で起こったことでも、我々に大きな影響を与えるようになった。」
「何よりも事実を見つめなくてはならない。とくに、文明について早急な価値判断を避けて、その恩恵とともに害悪を見つめることが必要であると、私は考えた。」
「文明の波が地球の上でどのような模様を作り出しているのかを描こうとした。」という文章を紹介しています。
そして塩野さんをこのように述べています。
「当時の高坂さんの頭を占めていたのは、日本が再び敗戦国にならないためには何をすべきか、であったのだ。それは、二度と戦争をしないためにはどうすべきか、でもある。」
「高坂正堯の言う、安全保障とは軍事にとどまらず、文明にも視野を広げてこそ明確に見えてくるもの、という考えに共鳴していたのである。」
文明論でいえば、ロシアのウクライナ侵攻をどのようにとらえるべきなのか、台湾問題による対中国はどう対応すべきか、北朝鮮問題はどうすべきかなど,軍事面だけでないコンセンサスの議論が必要ではないかと思います。

現金給付政策

2023-01-18 06:35:48 | 国際・政治
 昨日も少しバラマキといわれる政策について述べましたが、私の懸念は以下の通りです。

 「例えば、バラマキともいわれる個人給付の政策が、コロナへの対応として当たり前のような政策として行われるようになっています。こうした政策の是非については、極めて慎重な対応が必要だと思のです。確かに個人としての救済としてもらう方には歓迎の声が多いのでしょう。しかし、個人の際限のない欲求が現れる時、社会の秩序は維持されるのか。そして地方自治において過度な地域間競争にさらされるのではないか。いわゆるポピュリズム、大衆社会が社会秩序の崩壊につながるようなことにならないかが心配されます。麻薬のような効能を持つ政策ともいえるのであって、政治の理念を大きく逸脱する可能性もあると思います。みなさんはどのようにお考えでしょうか。
 やはり、國であろうと地方政治であろうと、政治の責任をしっかりと考えなければならないと思います。目先の政策だけにとらわれて、政治の持つ意味を理解しないことへの危惧が、今立ちはだかっているような気がしてなりません。
そういう意味では、3年間のコロナが、表面に現れない変革として、私たちの社会を変えてしまったのではないかという懸念を持っています。」

 以上、思いを少しまとめてみました。

「思想史講義~明治編」ちくま新書」②

2022-11-20 15:29:13 | 国際・政治
第14講「自治」の章から紹介しよう。
『大森鍾一回顧談で、「我が国に於いては自治の精神は数百年前から存在して居り、其の上に今の自治制度が立てられた」と述べている。
 「自治」が、旧来から日本に存在するのだと「発見」できたことは、単に地方統治の問題ではなく、国政としての立憲政体を構築し得る、運営をし得るという自信を、国政を構築しようとする者たちへ与えたであろう。地方制度は何も「自治」の制度を導入しなくても成立しうる。だが、山県有朋も福沢諭吉も、地方制度に「自治」が必要であり、また実際存在しているという前提を持てた。そこには、立憲制を支えるポテンシャルを持つ「民」への期待があったように思われるのである。』
今、自治会加入率がどんどん低下している中で、ここでいう自治とはイコールではないが、本来私たちが持っている共同体意識による自治が薄れていくことへの危機感を持つべきなのだろうか。ひいては基礎自治体の在り方が問われていくような気がしてならない。