体調はどんどん悪くなっていくし、
精神的にもネガティブな方に傾いていくし、
それでも仕事だけは忙しいし手放せない
という状況が何年も続いた。
表面上は、仕事では接客だから何とか
体裁を保ち(それでも具合悪いのはバレてたし
無愛想だったと思うけど)
住居に関しては、
40歳の時にマンションに引っ越していた。
起きている事が怖いというのもあったし
商業施設まで遠かったので、
体調が悪くて体力無いのに通うのが辛い
というのもあり。
時系列は、元ダンナが亡くなったのは
この時から4年ほど後。
心霊現象かと思うような変な事が家で起きてたのは
それより前だけど、一人になったあたりから。
彼との人間関係は良好だったし、他にも友人はいたし
完全に孤独というのでもなかったけど、
体調が悪い事からエネルギーが下がっているのは
変わりなかったと思う。
プライベートで人と会ったりして、
その時だけ楽しいというのはあったけど、
一時的に不安を紛らわしているという感じだったと思う。
43歳の時に店舗を借りられる期限が切れて
商業施設を出て、
住んでいたマンションを自宅兼店舗として
仕事を開始した。
商業施設の規定に合わせていた頃と違い
休みとか営業時間とか自由に決められるのに
仕事が減ったらお金が無くなるという恐怖心から
それも出来なかった。
休みを取らない事や食生活は変わってないし
体調が悪くなっていくのは変わらない。
この頃も相変わらず生理のたびに激痛で七転八倒するし、
生理の期間がどんどん長くなっていってついに
生理じゃない日が月に2日ぐらいしか無くなって
すごい出血量なので極度の貧血だった。
後に病院へ行った時に、ヘモグロビンが3.8しか
無かった事がわかったけど、一気にここまで減ると
間違いなく命落とすレベルらしい。
人間って割としぶとくできているようで、
少しずつそうなると何とか生きていられるらしい。
それでも、朝起きた瞬間から体中痛い。
しばらく咳が止まらない。
何か一つ動作をするのが辛い。
ちょっと動いたらすぐに息が上がる。
仕事中も、座っている椅子から玄関まで
歩いて行くのがものすごく辛い。
40代前半が一番酷かったけど、
座り仕事で体力を使わないで良かったから
ギリギリ耐えられた。
この頃から、
こんなに辛いのが続くならもう生きていたくないし
毎晩寝る前に、このまま明日目が覚めなければ
どんなにか楽なのにと思っていた。
かと言って積極的に死ぬ勇気はやっぱり無かった。
痛い事とか苦しい事とか嫌いで度胸無いので。
生理痛の激痛とかは存分に体験してたけど
そういうのとは違って、刃物でグサッといくような
痛みに対しては別の恐怖感がある。
これだけ血が少ないわけだから、
そんなに沢山切らなくてもある程度血が出たら
死ねるかもしれない・・・と思ってもみたけど
やっぱり怖かった。
うまくいけば、積極的に死ななくても
血が減っていって静かにいけるかもしれない。
もしそうなった時に部屋に物が多かったら
マンションの管理会社や片付けてくれる人に
迷惑がかかると思い、持ち物はどんどん
細かい物から捨て始めた。
食事を作ったり掃除する体力は無いから
部屋は汚かったけど、
物だけでも減らしておこうと思った。
ある時、風呂でシャワーを浴びている時に
急にいつも以上に多量の出血が始まった。
生理がダラダラと続いているのはいつもの事
だけど、明らかにそれよりも・・・
と思っているうちにだんだん気が遠くなってきた。
異変だと感じて最初は恐怖感がよぎった。
そのうち頭がクラクラして
スーッと意識が遠のいていくようで、
立っていられなくなってきたので
バスタブの中に座り込んだ。
シャワーを流しっぱなしにしながら、
血がどんどん流れていくのを見てるうちに
もしかしたらこれで楽に死ねるかもと思った。
体温が下がって体が冷えていくのが分かるし。
これだったら痛くも苦しくも無いし、
風呂だから部屋を汚す事も無いし
比較的迷惑が掛からなくて済むし・・・
夜だから、発見されるのは明日以降になる。
鍵かかってるけど・・・
明日以降ご予約頂いてるお客様には申し訳ない。
後始末にかかるお金くらいは足りるかな。
そんなことをぼんやりと思った。
そのまま眠ったようで、
気がついたらシャワーが出しっぱなしで、
ものすごい倦怠感があって起き上がれない。
けど死んでなかった事がわかった。
生きてるからには起きないと・・・
と思いつつ動くとしんどいので、
とりあえずシャワーだけ止めてそのままそこで寝た。
どれくらい眠ったのか、何時なのか分からないけど
目が覚めて何とか起き上がって風呂場から出た。
時計を確認するとまだ朝早めの時間だった。
その日ご予約頂いてたお客様にだけは
連絡しとかないとと思い、
急な体調不良で鑑定が無理になった事とお詫びの
電話をした。
この時思ったのが、
今度こそ本当に死ぬと思ったし、
その前からいつ死んでもいいと思ってるのに、
仕事が無くなったら金が無くなって生きていけない
と恐れてるのって変じゃないか?
ということ。
仕事が無くなる→金が無くなる→家賃が払えない
光熱費や食費が足りなくなる→死ぬしかない
という流れを恐れていたわけだけど、
あのまま血が減っていって死んだとしても結論は
同じなわけで・・・
考えてみると、
別にこの世に未練があるとかじゃないし
やり残した事があるとか
死ぬことが惜しいわけでもないし・・・
積極的に死ぬとしたらそこにいくまでの
痛い事とか苦しい事が嫌なだけで。
だったら、
休んだら仕事無くなるかも→金が尽きて死ぬしかない
を、怖がることも無いのでは?
もし貯金がゼロになって家賃滞納とかして
誰かに迷惑がかかりそうになったらそれまでに
ここを出ればいいし。
若い頃は家賃2万円以下のアパートに住んだ事もあるし。
またその生活に戻ればいい。
もし治って今より体力が戻る事があったら、
今の仕事無くなっても、
前職に戻るかバイトでも何でもして生き延びるか、
それも無理だったらホームレスになっても
体力が今よりマシにあれば生きられる気もする。
治らなくて生きられなくても、
自分が居なくなって特に誰かに迷惑がかかるでもなく
別にこの世に執着は無いわけだしそれはそれで良し。
ここまで考えた時に、
病院へ行って鉄剤の点滴をしてもらって
一時的に少し楽になった。
それまでは、病院へ行って手術とかなったら
金がかかるし入院期間休まないといけないし
きっと仕事が無くなって収入が減って
更に医療費の負担がかかって大変なことになる
と思って恐れていた。
死ぬ事そのものは気にしてなかった事に気がついて、
もし金が尽きる流れになったらこうしようという
ところまで考えた時に、急に気持ちが軽くなった。
それと、あの時本当に死ぬかもと思ったのに、
それでも生きてたということは、
私は元々の体質がけっこうしぶとくできていて
自然と楽に静かに死ぬのは無理だったらしい。
積極的に死ぬ勇気は無いんだし、
だったらもうちょっと生きてみるか。
という感じで覚悟が決まった。
血が少なすぎて危なくて手術は出来ないし
他の手術の予定もあり順番待ちもあるし、
数ヶ月後ということになった。
いい病院が近くにあったということも幸運だった。
鉄剤の点滴を続けながらその間仕事は続けて、
約半年後に子宮全摘手術を受けたのが40代半ば。
体の事、食生活の事に関心を向け始めたのは
この時がきっかけだった。
同じ事をしていたらまた病気になるかもしれない。
これを機会に変えていこうと思った。
それ以降は、おかげさまで一度も
病院のお世話になる事なく生きてきている。