自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

おとずれ

2011年04月26日 | 絵と文

 後期高齢の兄は数年に一度、故郷の空気を吸いに車を運転してはるばる出かけてくる。
 ひとりが欠けてこの世に残った二人きりの兄妹だから、顔を見るまでは懐かしくて待ち兼ねるのに、
 いざ滞在が始まると数十年のへだたりがあちこちで顔を表し、内心ひそかに嘆いたり呆れたり感心したり。
 それは向こうも同じと見えて、同性でないというのは都合が悪いねとやんわりぼやく。

 しばらく厄介になるよ、と最初言ったはずなのに、翌日外出から戻るなり「明日帰る」というから驚いた。
 来るたび会うのを楽しみにしていた親友が二人もなくなっていたらしい。
 それなら気持ちを切り替えて、楽しみの買い物でもしようと駅前まで行ったら、生憎の工事中で駐車場が分からずうろうろした挙句
 疲れて帰っての発言だから、幾分かは割り引くとしても。

 富山は変わったよ、と腹だたしそう
 それにしても来て二日目に帰るなんて、それはないでしょう。
 お得意さんに自慢してきた富山名産のお土産は買わないの? 姪っ子たちの家族だって集まるし。
 いままでお好きなところへ一人でどうぞと外出はおまかせで、その間少しでも絵を描くなど欲張ったけど、これからはとことん付き合うしかない。
 覚悟を決めてあしたからいっしょに出掛けましょ、○○とか、○○もいいな、と、いろいろ口にしてみたら子供みたいに喜んでいる。
 やっとご機嫌が直ってきたみたい。

 三度の食事ごしらえは材料選びが難しい
 好き嫌いなんて無いよなんでも食べるから、といったくせに、いつもきまって他のものには目もくれず魚だけを真っ先に平らげる。
 あとはお腹の空き次第。
 朝から刺身でも焼き魚でも平気。
 食事の時間は私の二倍で、食べる量は私の半分
 だから冷蔵庫の中はきのこと豆腐と海藻類と野菜と肉と残りものばかりいっぱいで、そのころから私の胃のあたり少々不調が始まる。
 成人病のあるだけ抱え込みながら、一日動きまわって翌日けろりとしているのだから、一番幸せな生き方なんだろうと思う。
 立山のふもとで山菜を食べ、氷見でとれたての魚を食べ、もってきたお土産の袋をそれぞれに渡し、もって帰るお土産をしこたま用意して、
 時間をかけて姉の墓参を済ましてから、みんなに送られ帰路に就いた兄は大満足の様子だった。

 未だにおこずかいをくれるたった一人のひと。
 女ばかりの家庭だったから立ち居振る舞い話し方すべてに優しいが、中身はかなりワンマンで
 周囲の引きとめも聞かず、スキーツアーに参加するような無茶をする。
 盛んだったころの懐旧談など一切語らず、いつも一、二年先だけを見て今を楽しんでいる。

 単純に怒ったり喜んだり子どもに返るように変わってゆく兄が急にいとおしくなった。
 元気でさえいてくれたら。
 別れたあとで涙がこぼれたのも初めてのこと。
 自宅からの電話の元気な声が心底うれしそうで私も嬉しく、いろいろプラン考えておくからね、と次回を約束はしたのだけど。

隠れ家

2011年04月04日 | 絵と文


思い浮かべるたび、くすぐるような楽しさと優しさに包まれます。
言葉だけで秘密の香りが漂ってくるわたしの「隠れ家」。


戸外の子供たちの歓声も気にならず部屋にこもってひとり遊びした小さいころから、
外へ出れば近所のユリちゃんやサッちゃん、学校ではクラスのみんなとも仲良しの関係で、
不安を知らない幸せな子供時代だったと思えるのに、
今もその癖は抜けきらず、年中仙人みたいなこもりきり生活に満足しながら
今更なんで隠れ家などと懐かしく思い出すのでしょう。


手入れされない自然のままの庭が、家屋に沿ってL字型に広がっていました。
季節ごとに熟した梅やアンズや、柿やすももの実が足元いっぱい落ちていて、
時折はその中から傷のないきれいなものを拾って食べたり、
落葉の中に埋もれた「宝探し」をして遊ぶのも楽しい時間でした。
そしてあるとき見つけたのです。
Lの字の先端に小さな祠があり、さらにその奥にひっそり見捨てられたような一隅があるのを。


正直言っていいとこ見つけたと喜ぶほどの気持ちはありませんでした。
薄暗くて湿っぽくてむしろ薄気味悪くさえあったのに、
透けて見えた青い空に木々の葉が重なって揺れて、幾重にもベールをかけた光がきらめいて
初めてプリズムを覗いたときのように惹きつけられたというのが本音です。
秘密めいて誰もが知らない場所、なぜだか気に入ってひとり胸にしまいこみました。


それから食べもの着るものないないづくしの戦中戦後混乱期があって
想像もできないほど旺盛な自己主張に明け暮れた○十年があって
遅まきながらの自己練磨に重く沈んだ○十年があって
今頃ふと幼いころのあの場所を懐かしく思い出すのは、どこかに逃避したかった心の弱みを持っていたのでしょうか。


おかしいことに気楽な独り暮らしのなかにいて、ある時期まつわるさまざまな想いがよみがえるとき
遠い日のおぼろげなあの場所が思い浮かび、まるで「隠れ家」に潜んだようなときめきと安らぎを感じます。
自分がだれなのか、今はどんな時代なのか、何もかもが一切消え去り、
ぼぅ~とあの青空を見上げたら・・・ 心の中の「隠れ家」にひそんで。  

モデルと私

2011年02月25日 | 絵と文
    


 人物画を描くようになってから 作品を前にしてよく問いかけられる言葉がある。
    「自画像ですね」 or 「自画像ですか」
 「ね」と「か」の言い回しは微妙で、問いかけた本人もややためらう風情をみせる。


 モデルのPちゃんは大変な美人なのに、描きてときたらどのパーツをとってもおよそ正反対。
 その事実を知らない人が「か」と尋ねるのは自然だが、描き手をよくご存じの上で「ね」と念を押されると
 首をすくめて否定するのは返って不自然?かもと、
 最近は度胸を据え否定も肯定もせず、にやり応じるようになった。


 前のモデルだったEちゃんのときにも同じことを言われたから、やはりどこか似てくるのかもしれない
 というより、自分を投影できたと思った時点でいつも筆をおくような気がする。
 自分自身が絵の中に入り込んで共に歌声を上げることができたら、それが完成のとき。
 うーん似てるかな、と自分でも納得するところは、ある。
 醸し出す雰囲気が、30%ぐらいは。



 ふたり、見てくれは正反対
 だけど中身に相通じるものを持っている。
 同年輩でなく、親子ほどには年の差もないのがちょうどいい
 ころ合いを見ては会って食べて話して、心を満たして、それぞれの領域に戻ってゆけるいい関係。
 何よりも反比例するその美的度合いは絶妙で、これにはやせ我慢でなく苦笑より快心の笑みに包まれてしまう。
 前には少し艶めいて、ラブストーリィの映画や小説などの話題に打ち興じた頃もあったけど
 最近では一体感が高じて、彼女が自分か、自分が彼女か分からなくなってきた。



 先日も未知の人から自画像ですかと聞かれて一瞬ハテナ?になり
 自責の念が辛うじて否定はさせたものの、実はチョッピリ後悔も生まれている。


  
  似てる??おでこのあたり?

冬の夜は暖かく

2011年02月07日 | 絵と文
 A,B,Cの三人は、幼いころからの古い友達です。
 ひとりは早寝早起き、愛犬と散歩と、あとは立ってでも眠る特技を持った頑健タイプ
 ひとりは長い病歴と付き合って、自分自身の処理もままならないのに、息子や孫の面倒ばかりが気がかりな苦労性
 ひとりは細心と鈍感と繊細と大胆と、空想と現実と、どれがほんものか本人さえ分からない不可思議人間。

 いつの頃だったか三人は冬の夜の寒さ対策を話し合いました。
 ベッドの中に、ひとりは電気敷き毛布、ひとりは湯たんぽ、ひとりは小さな電気あんかを持ち込んでいます。
 三人三様それぞれの長所短所を認めつつ、今まで自分のタイプを変えることなく通してきたのは、
 別に固執しているわけではなく、新しいものに取り換えるのがちょっと億劫なだけのこと。
 毎年おなじ話題が出て、不変のライフスタイルを笑い合いながら、友好を温めてきたとでもいいましょうか。



 私の電気あんかは買った時期も記憶にない年代物で、時々冷たくなったり、むやみに熱くなったり。
 昔夜になると布団の中の足元で、丸まっている飼い猫を寝ぼけ眼で蹴飛ばしていたように、
 この殆ど使用に耐えないしろものを夜中蹴り出しては、朝方冷えた足で探しまわるのも、もう10年くらいは続いていました。
 体に近く置くものはできるだけ自然のものがいい(たとえ正常に働いてはいないとしても)
 なので、ファーとかシープ調とかアンゴラ風とか敷きパッドばかりはいろいろ揃えたけど、
 ついにこの冬それでは追っ付かなくなって。

 築25年の木造の家は寒くて、朝方の温度は部屋の中でも零度までさがるときもあり!!
 ベッドの下から這い上る冷気が、わずかの隙間を見つけては体の1点に氷の矢を射込むのです。
 その正確なこと。
 両脇をパタパタ念入りにたたいてからそっともぐりこみ、簀巻きの形を笑ってしまうほど神経を使うのに。
 凄い形相で必要は迫ってきて、ようやく対策モードが起動しました。


 手っ取り早くて一番効果的なのは電気毛布
 だけどそればかりはなぜか思案のほかでした。
 他人の領域に踏み込むような判断をしているのかも知れません。専売特許でもあるまいに。
  よし、決めた! 
 とたん、プログラムがガラリ切り替わりました。
 その日のうちに電気敷き毛布が届きました。
 なんだかんだと理屈をこねていたくせに、一瞬の間にまるで別人のごとく抵抗なしにそれを受け入れたのです。
 人間のお脳ってなんて都合よくできているんでしょう。

 頑丈なAさんが電気毛布、病弱のBさんが厄介な湯たんぽ。
 ふたりだって一歩先にちゃんと宗旨替えしてるかもしれないし、あるいは
 「ほらね、言ったとおりでしょ」Aさんの得意そうな表情や、
 古風な湯たんぽに頬ずりするCさんの姿が浮かんだりもするし。
 でなくても世の中は矛盾だらけ、こんなチグハグ現象はかえってご愛嬌で潤滑油…。
 温まった布団の中でCさん持ち前のとりとめない思いがランダムに飛び交いました。




 今やオール電化でオートマチックにシステム暖房の時代です。
 更新じゃなくてバージョン一新という世界です。
 こんな次元で会話が成り立つこの年代、やはり化石人に近いとしか・・・ ✿(◡‿◡*)❤

断捨離?

2011年01月07日 | 絵と文
 
 新年の抱負は?と聞かれて首をひねった挙句、とりあえず「ダンシャリ」と答えたのだけど。
 いったい、「ダンシャリ」ってどんな字を当てはめるのだろ?
 最近の創作新語なのか、それとも昔からあった言葉なのかもまるきり無知ときている。

 面白おかしく聞き流すだけのタレントのトークの中から、
 それは「思い切りよくモノを捨てる」という意味らしい、と判断して
 耳にしたとたんすとんと胸に落ちてきて、断りもなく頭の中に棲みついていたらしい。

 身の回りをシンプルに。と思い立ち、実行にとりかかったことがあった。
 そしてそれが単なる手先の作業ではなく、先ず頭の切り替えから必要な想像以上の難事業だと思い知らされた。
 2年ほど以前のこと。

 タンスの中から、押し入れの中から、底なしみたいに現れてくるもののひとつひとつに
 やたら時間ばかり消費する思い出が絡まって、悲喜こもごも明け暮れいつまでたっても一向に埒があかない。

 笑顔で思い切りよく捨てされるものはしっかり選んだからよいけれど、
 大げさに言うなら死生観まで変えなければ始末に負えないこの重いものは… どうしよう?
 …迷って過ごした2年間のあいだに、(めざましい)心身の変化を自覚することになった。

 「アタマは必要ない、手当たり次第触れるものは片端からゴミ袋に投げ込んでゆく」
 やってるうち不思議な爽快感に包まれる!!とか
 だろうな・・・その感覚が今は何かしらうなづける… 
 それが進歩なのか後退なのかさっぱり分からないが、自分ではどちらも正しいと思うことに決めた。



 断捨離、と書き表せば、ちょっと宗教語みたいな響きがあるのも自分にはふさわしいのかも。
 「重い鎖は断ち切り古い記憶は消す、誰しも必然そうなるのです」とお坊さんならニヤリとするだろう。
 「ところがなかなか、当分忙しいものでして」と無信心な不心得者は一言ぐらいは反論する恐れもあるが
 そうこうするうち暇を作りだして、必然取り組むだろうことを予感してしまう。  


プチ稼ぎ

2010年12月24日 | 絵と文
 師走もいよいよ終わりに近づきました
 一年一年世知辛くなって収入は減る一方なのに、一度味わった贅沢の味はなかなか忘れられるものではありません。
 そこで知恵者は頭を絞っていろいろと対策を生み出すのですが、そのひとつに「プチ稼ぎ」なるものがあると聞きました。

 プチ稼ぎ? 
 家事の手抜きなど一切しないでチョッピリだけ収入を増やす方法。
 何の資格も要らず、着のみ着のまま在宅のままできるビジネスなんですって。
 収入と支出のバランスが危うくなる30代、40代の家庭に多いそうで、若い奥様方は頑張っていらっしゃるのですね。

 こんなのがあります。
 電話番号を登録しておいて、知らない人からかかってくる愚痴電話をただきくだけ。
 相槌はいいけど一切私見は挟まない。好きなだけ相手にしゃべらせるのが大前提。
 そして鬱憤の吐け口の受け代金は、月7~8万、多い時は10万を超えるときも。
 話しているのはまぎれもなく日本人の普通の家庭の奥様でした。

 「空き時間がいつも必要だから忙しい方にはできません
 かかってくる電話は男性だと主に職場での、女性からは家庭や近所づきあいの愚痴、そしてだれにも聞いてもらえぬプチ自慢話まで
 相手を怒らせてはいけない。「ちょっと待ってください、今てんぷら揚げていますので」こんなのは忽ちクビです
 のっぴきならないような深刻な声音で始まって30分、次第にからりと明るい調子に変わってくるときはやりがいを感じますよ」

 かなりの忍耐力がいりそうです。
 立ち入って尋ねたところによると10分で140円といいますから、σ(´ x `;*)んーと…


 私もひとつ…と乗り気の方はいかがでしょう
 この稼ぎの、元締めとか未知の事柄などは積極的に自分で調べていただくということで。

Oh YouTube

2010年12月08日 | 絵と文
 。。。。。 

 可愛い孫ちゃんの成長ぶりを、動画の投稿サイトを通じて楽しんでいるお友達がいます。
 遅まきながらそれと知った以上私もそのおすそ分けにあずかることにしました。
 生まれたときから時たまの写メールで馴染んだ坊や、今度はどんな仕草を見せてくれるかしらん。
 便利な世の中になったものだとつくづく嬉しくなりました。

 サイトを開いて目がテンになりました。
 お友達個人のページが延々続いています。
 生まれて以来の孫ちゃんの日常を、遠く離れたババちゃんが目を細めて眺め入る光景も、手をとるように浮かびました。
 これならひとり暮らしの寂しさなど入り込むすきもないでしょう。
 便利な世の中になったものだとつくづく感心しました。




  尖閣の漁船衝突事件以来(以前も)、あまり興味がなく縁もないので今頃になってやっと知ったことですが、
  YouTube だけでも投稿される動画は年々増え続け、 1分間に 35 時間分もアップされるそうです。
  1 日あたりでは 5 万時間を超える量の動画が 投稿され、
  映画にすれば、17 万 6000 本の映画が毎週掲載され
  アメリカ3大ネットワークのテレビ局が、開設以来60 年間に放送してきた全ての番組を合計しても、
  YouTube 1ヶ月分の動画に満たない!なんだそうです。
  便利な世の中(?)になったものだとつくづく驚きました

  神様のように無邪気な坊や
  時間を忘れてこちらも一緒にうふふになったり、あららになったり。
  遠く離れた家族への優しい賢い思いやり、現代はこうでなくっちゃ。

 


 日の当たる場所でほのぼの温まってから
 明るさになじんだ眼に、裏側の闇がことさら深く映りました。
“14歳の殺し屋”とか “○○界貴公子の悪業”とかは今や日常茶飯事のテーマで
 世界を震撼させる極秘情報さえ、さらさら流れはじめたら最後、もう国家権力も及ばない…

 クリックひとつで居ながらにして一変する世界の隅っこを覘きながら
 便利(??!!)を通り越して世の中つくづく怖くもなったのでした。

中間がない

2010年11月15日 | 絵と文

 酷暑の夏から秋をひと飛びにして襲来した寒気団。
 寒さのふゆはおろおろと、押入れからホットマンを慌ただしく引っ張り出したのが先月末のことでした。
 室内機のスイッチを入れて正常に点灯したのをたしかめほっとしたのはつかの間で、それからが待てど暮らせど一向にあったまりません。
 見ればあのうるさ型のおばさんみたいなほこり臭くて懐かしい風の吹き出し口が、ひっそりと音もなく鎮座したままです。

 あれ?
 初めての故障で出張修理してもらったのはたしか去年じゃないの。
 どこにもミスはないようだし。
 マニュアルの本を見ながら、頭の片隅でこの思わぬ突発事故に対する状況処理よりか、不当性はないかしらと自衛本能がぐるぐる回りだしました。
 緩慢な血の巡りが大分活発になってたみたい。

 やはりメーカー側のサポートを待つしかないとようやく覚悟を決めるまで三日もかかって、
 それなのに連絡したら多忙につき半月後でないとお出でになれないとのこと。
 仕方がない。その間はエアコンやホットカーペットが何とか助けてくれるでしょ。
 贅沢な時代を反省しつつ、なので泣き面に蜂、じゃない泣き面に北風、というあたりだったでしょうか。

 今日やっと来てくれました。
 原因はなんと室内機のパイプの元栓が縦から横に捻ってあった、ただそれだけのことだったのです。
 それにしては今までよく持ったこと。
 在宅5分、何の労力も費やさずで規定の出張料金を払いました。
 決められたことだからそれは承知の上なんだけど。
 あ~ぁ。マニュアルの本にはそんな操作一行も書いてない(じゃん)。
 馬鹿さ加減も含めて損しちゃった気分だったのが、あとからそれ自体つまらないことにみえてきて、妙にすっきりしてしまったのは不思議です。



 尖閣諸島流出データは国家機密となるのでしょうか、義務違反にあたるのでしょうか
 行政も司法も大揺れです。

 ここにも中間があればいいのに。

次郎の宿題

2010年10月05日 | 絵と文
 現代では珍しくもないようだけど、高校男子の夏休みの宿題に「パン作り」ですって。
 しかもパン焼き器など使わず純然たるお手製で。
 次郎の非日常の一端を、息子がメールで送ってくれたのもまた珍しいことでした!

 「男子も厨房に入るべし」
 はるか昔、男性優位の時代から高々と掲げたはずのモットーに反して、
 孫の太郎も次郎も台所の一角はまるきり未知の領域です。




   “何でオレ様は板前にならなかったんだろ?”
 生きてた頃の祖父ちゃんが、台所で包丁片手に幾度となく大げさに慨嘆してました。
   “モーレツ社員か、でなければぐうたら亭主のどちらかになる“
 とのたまうた息子は、嬉々として我が子太郎と次郎の食育に専念したから、たぶんぐうたら亭主と成り果てたんでしょうけど、どちらもアルコールの伴奏つきがなければ聞けないセリフでしたっけ。

 お酒が入ると気軽に台所に立ったお祖父ちゃん、いつかふっと好みの味が変わったと気付いた時は、もう手遅れ。
 代わって息子の出番が来たときは、ニューフェースの太郎次郎が大喜びです。
 それはそうでしょう、食材も調味料も産地から取り寄せては思い切りふんだんに、月末の赤字なんてどこ吹く風の大盤振る舞いですもの
 おまけにあと片付けがもう、しんどいこと。
 幸か不幸か、太郎も次郎も何の不満もなく育ってしまったから、モットーははるか遠くに置き忘られ…



 そして、この通り。
 小さな台所に、体ばかりデカい次郎が立てば、見てるこちらの方がめまいしそうな不安定感と
 ややあって、それがまたなんとも言えずユーモラス。


 ご本人は大まじめ
             




 あら、ら、…  なにやってるの
 

 




 さて、生まれて初めて、次郎お手製パンの味は、どうだったんでしょう?

 残念ながらそこまでの報告は、ありません。

夜中

2010年09月07日 | 絵と文
 
 夜。玄関先にぼーっと人影らしいものが映れている。
 何げなく目をやると、黒いシルエットにピンク色の光がさして、今度ははっきりと人の姿が浮かび上がった。
 なんだ、おとうさんか。

 あ、居た、居た、
 何度も訪ねてやっと会えたようなホッとした声もきこえて    
 外出から帰って部屋を覘くときのいたずらっぽい顔で、ニコッとする。
 急いで玄関の戸をあけた。「お帰り!」
 こちらも長い出張から帰ってきた人を迎えるようで妙に心が弾む。
 肩がすりあって、確かに彼は一歩中へ入ってきたのだが。


 夢と気付くまで数秒かかった。
 夢にしても20年近くの間ほんの3~4回しかお目にかからない。
 その上いつも物惜しみするみたいにチラ、とかウッスラ、とかしか現れないのに、忘れかけていたあのころの表情もそのままに鮮やかだった。
 そして「終の棲家」の我が家に戻ってきたのも初めてのこと。




 気分的にも落ち込んでいたのかなぁ、と自分を振り返る。
 予期せぬ猛暑と小さなストレスの積み重ねに、思わぬところへひょっこり顔を出す老化現象は、当然のことながらどれもこれも初体験。
 体力と情熱は両天秤、それが傾きかけて、あの世から冷やかし半分、力づけてみるかと彼は現れた?
 そんな風にひねくれたのは後のこと。

 その日、なすべきことをし終えて初めて小さな幸福感を味わっている。
 人間関係の複雑に絡み合う糸は、解きほぐすのが年数を重ねた者の特権と考えれば
 現金に次の制作意欲がひたひたとにじみ出てくるのも嬉しくて、
 夜中の2時、私は純粋にすなおに懐かしい回想に身をまかせた。


  ほんとにあの頃は、こんな幸せを与えてくれる人とは気付かなかったよ、おとうさん… 

毒舌

2010年07月04日 | 絵と文
 あの毒と味のある一家言で有名な監督・俳優のタケシさんは、パソコンもメールも大嫌い、ケータイなんて使ったことがないんですって!
 ただし車の中で。 ということはそれ以外の日常にどれくらい利用されているかは分からず、
    (折角の毒舌もワサビが効いてない) 感じでした。(☆∀☆)

 
 ところで先日発売されたiパッド、丸二日前から千人余りの長蛇の列ができたほどの人気も、追いつけ追い越せのつむじ風とともにじきに収まったようです。
 デジタルの「革命」としてセンセーションを巻き起こしたのは、どこかの党が大勝して「平成維新」と大騒ぎされたのに比べれば、結果は形にはっきり表れるし、
    (こちらの方がよほど正確な表現) ではありました。(◎`Д´)
    あ、それは言い過ぎ。Iパッドも平成維新も、もっと長い目で結果をみきわめなくては。 


 携帯電話が普及し始めたころに、グループでスケッチ旅行に行ったことがあります。
 集合の時間が来ても顔を見せないひとりの仲間を呼び出すために声をかけたら、十数人のグループでなんと全員がケータイ不携帯ではありませんか。
 設置されていた電話ボックスがいつの間にか撤去されているのもそのときやっと気付いて、レンタルした小型のバスは、車往き交う国道の大通りを公衆電話探しでしばらくの間漂流を続ける羽目になってしまいました。
 世の中便利なのやら不便なのやら。
 あのときは途方に暮れて、ずいぶんあとになるまで笑う気もおきなかったしょっぱい経験だったはずなのに、それがただくすぐったく懐かしく思い起こされるだけの、この進歩のなさ。
 すべての層へ普及するまではあっという間、でも同じスピードでトシ食っちゃったから、携帯を常時ケータイするトレンドな仲間はあいかわらず皆無なのでした。
    (ほとんどケータイ、じゃなかったテータイ) です。この年代。 (≧ω≦) 
 

 で、iパッドの本物にはまだお目にかかりませんが、テレビで紹介されたのを見る限り、なるほど平成維新よりはるか直接的かつ娯楽的、無数の宝物が飛び出す小さな玉手箱みたいに革命を感じるしろものです。
 だけど反面浪費する時間も膨大になるのでは?引きこもりの若者もいえ熟年だって増えてゆきそう。
 在宅オタクの私が口にするのはおかしいけど、愛する子や孫たちのためにです。
 いかなる文明の利器といえども、使いこなす自信と場を知らなくてはただの四角い箱。若しかしたらパンドラの箱?
 頭の回転は素早くて手先も器用に動く子どもたち、めまぐるしいスピード時代に果てしなく未来は開けているが、
    (良識だけが追いつかない×)  ∑( ̄皿 ̄);


 世間から取り残される心配より、今しばらくこのままで平穏無事に暮らせるなら。  革命なんてどこの国の話だろ? 
 と、平和ボケにあらぬこの救いがたい年代は瑣末な点で意見が一致します。
 いつだってこうなんだから!と、肩をすくめるマイファミリーの姿が目に見えますが、
 まぁ限度さえ越えなきゃね・・・どれほど便利な世の中に変わったか、くらいは理解できてますから。 


 ここらあたりで妥協した方がよさそうです
 悪口がばれないうちに!
    (毒舌する脳は活性化する) (●^曲^●)   

Tちゃんのこと

2010年06月18日 | 絵と文

 幼なじみのTちゃんに所用で電話しました。
 黄泉の国から、と言ったらオカルトになりますが、本当に地の底から響くような陰気な声が伝わってきたのは予想通りです。
 体調が悪いと訴えるTちゃんを、せめて電話だけでも以前の張りのある大声で明るく終わらせる方法はないかあれこれ考えました。
 私の、くよくよしないあまり自分の年まで忘れるこのいい加減さ、少し分けてあげたい。
 それとも何かちょっと刺激を与えてみたら、ベッドに籠った暗いマンネリから案外たやすく脱出できるかもしれない。

 Tちゃんは小説を地でゆくような悲劇のヒロインです。
 人の一生は生まれたときに運命が決まっているそうですが、次々彼女ひとりを狙い撃ちしてくる悲運は、本当に人力では避けられない大きな力を感じさせました。
 同じ世の中で不思議なほどの幸運に恵まれて一生を終えるひともいる、なんとも不公平な世の中です。
 喜怒哀楽も一生を通算したらみな同量だというのに、Tちゃんが流した涙はもう10人分くらい、運命の神様はどうやってこの「落ち」つけるのでしょう?

 昔の手術の後遺症でかなり重症のC型肝炎、そのときのコバルト治療で推定骨年齢90歳の骨粗鬆症と念入りです。
 幾重にも絡まった家庭環境に病弱の身を攻め立てられ、明るいO型人間だったのがいつしか陰気なばぁさんへと変わり果てました。
 おっと怒らないで。私もお仲間同年齢のババァなんだから。

 一日の大半を布団の中で、お先真っ暗行く末ばかり想像して落ち込むそんな時間をまずできるだけ短縮すべし。
 よくよく考えてお見舞いの品物でなく自分の美術展のチケットを送りつけました。しかも周りの友人たちの分までおまけつきで。
 だって根はホント、世話好きなんだから。
 ホラ、昔はいつも円陣の真ん中でヒソヒソと、仲間にいろんな知恵吹きこんでいたじゃない
 薔薇いろの頬、きらきら光る瞳、輝いていたね。
 券を配ってみようかという気でも起きたら、一石二鳥の刺激療法になるし我ながらいいアイデアでは。

 ところがしばらく様子を見ても、彼女からは何の音沙汰もありません。
 電話で様子をうかがうのも怖くなってきました。
 少し動けばすぐ骨折で救急車という事態になるかもしれない、若しも転んで十何度目かの緊急入院する羽目になっていたら…
 しまった!短慮だったかも!

 そうこうするうち、トライアングルの一角にいるもう一人の友人から声がかかりました。
 「久しぶりTちゃんからの電話。
 いつも地の底へ引きずり込まれるあの声が、なんとまぁ青空から降り注ぐように晴れやかな大声なのでびっくり仰天、返って力づけられちゃった」
 よかったぁ。

 親代わりに育てた孫の事故死はたしか年末の出来事、それが彼女の悲運の最後となりますように。
 券は配ってくれて、かわりにこちらから出向き再会する約束を、自分勝手をした罰にと引き受けました。
 もう二度と危ない橋は渡らない。
 ようやく安堵の一息ついたあと、さてそれ以降も引き続くTちゃんの健康をなんとか明るく元気づける方策はないかしら?

 いやでも気づくこのいい加減さ、仕事の合間も懲りずちらちら頭をかすめるのはもうどう仕様もありません。
 だから開き直るしかないのです、
 どうぞこれからも見放さないでくださいまし。

今日の話題

2010年05月16日 | 絵と文
 
 町内のちょっとした防災訓練に顔を出しました。
 といっても実技に加わるでもなく、真剣にお話を聞くでもなく、木陰の椅子に陣取って、緑色の新鮮な空気をお腹いっぱい入れ替えただけのこと。
 少し気がひけたけど、いつもどこでも必ず見物人だって必要、と主張される一団があるので、そちらの方に仲間入りしました。

 どうやったら災害から身を守れるか。
 砂袋積みやテント張り、汚水の浄化方法、簡易トイレに担架づくりと汗を流す真面目有志を横目に、当日見物の一群の話題は、なんと「いかに死に際を美しく見せるか」でした。

 何でこんなときこんな話題になるのでしょう?
 不時の災害よりすぐそこにある危機?
 みんなそれぞれ一家言持っているから、訓練そこのけで盛り上がりました。
 キビシイ話の内容に相反して、語る人たちの目がいきいき輝き、聞く者も興味津々
 それだけ差し迫った実状を抱えている人も多いのでしょうし。いつかは必ず当面する難題ですものまぁ自然な流れとしか。


 近頃の地球環境の変化は怖い。
 みな一様に不安を口にするけれど、こんなときのために「みんなでいれば怖くはない」って便利な言葉に依存しましょう。

 さしあたっては家族の昼食の心配が先、ということでにぎやかに今日は解散したのでした。

 
    

子どものころは・・・

2010年04月27日 | 絵と文
 


 現役から離れて、お財布からも離れて、少しさびしいババちゃんたち、一時三人寄れば必ずボヤいていた話題があります。
   いまどきのオヨメちゃんのきついこと
   若いころ鬼のしゅうとめにつかえて、今は逆にオヨメのご機嫌うかがって…いやな時代になったものね。
 そしてそんな気風の娘世代を育てたのは、だれあろう自分自身だったのをちゃんと自覚しているから、
 最後は他愛なく笑い合って終わるのですが、それからまたひと時代たって今歴史は繰り返されているのかも?
  ↓
  ↓
 食糧難の町中に住んでいた子ども時代、農家の友達に招かれたことがありました。
 田んぼの中にそびえる御殿のような三階建の家にも驚いたけど、
 小娘のわがままに笑顔で従う義姉のお嫁さん、まるでお姫様と腰元をみるようでした。
 一家の長は権力絶大なのに、その妻の無力なこと。
 あの義姉さんの娘は、きっと気丈なお嫁さんになってるんじゃないかしら。
  ↓
  ↓
 世の中すべてが縦割り社会、小学校でもそうでした。
 軍隊式スパルタ教育にのっとって、裸足で雪の校庭を二周三周、滑る足裏がぴりぴり針をさすように痛かったなぁ
 若い女教師がなぎなたを持って、ランランと目を光らせて立ち番してるから、サボることもできないし。
 「あのときはゴメンね、私も若かったから。」と後日クラス会に出てきたとき謝ったけど、先生はそれきり姿を見せません。
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 そして今だから白状するけど、
 あの奉安殿なるもの。
 その奥にうっすらとまします人影は確かに人間に見えるのに、アラヒトガミという名の神様だと教えられて、
 通るたび写真に最敬礼、神様の話に触れただけで何をおいても直立不動。
 それはそれはキビしくて、真っ白な子ども心に沁みついた一番の?でした。
 一度だって顔も見ず、話もせず、ましてや一緒に遊んだこともない神様より、バぁちゃんのほうがよっぽど好きだから言うこときく。
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 寒い教室、怖い先生。
 お腹を空かして、田んぼと畑と肥やし運びと軍事教練ばかりの授業時間。
 与えられた環境に黙って従うしかなかったみんな、ほんとはびっくりするほど強かったのです。
 1%の上流家庭と99パーセントの下層階級で成り立っていたあのころに比べれば、どんな逆境にも耐えられそうなのに、
 自由の風が吹いてみんな平等になったとき、一億総中流はもうもとへは戻れない。
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 ・・・これもボヤキ?
 でもかまわない、むしろ誰にでも聞いてもらいたいな
 とりとめもなく昔の耐乏生活を思いめぐらすうち、背筋に一本ピリッと活が入って、ちょっぴりの間にしろまっすぐ立っていれるから、
 私にはとても貴重な時間になっていることを。

赤ちゃんに脱帽

2010年04月17日 | 絵と文
 
 友人から生まれたてホヤホヤの赤ちゃんの写メールが届きました。
 見るたびひとりでに笑顔になり、声が漏れて、どうかすると涙まで湧いてくるので驚きます。
 人間の赤ちゃん。
 いつ見ても可愛いけど、昔はこれほど感動したかしら。
 いつか世の中のけがれにまみれて、きっと純真無垢そのものの姿が神様というより、天使のように映るのでしょう。

 今日も仕事に一頓挫したとき、ふと思い出してその写真に見入りました。
 への字だった口が瞬間にほころんで、たちまち心が柔らかく優しく解きほぐされるのを感じます。
 不思議なオーラを発する小さい体
 どこにその魔力を秘めているのでしょう?



 赤ちゃんの誕生時は、受け継がれてゆく命の神秘に声もなく感動で包まれたのをはっきり覚えています。
 過ぎ去る日々の重さ速さに気づき、改めてわが身の生き方帰し方を考えずにはいれませんでした。
 幼い子の、ひたすら信じ切って見つめてくる澄み切った目や、汚れを知らぬあどけないしぐさ
 思い浮かべるたび切ないものが胸を鷲づかみにしてきます。
 年数を経るごとになお一層鮮やかさを増すこの思い、これだけ胸深く刷り込んでくれた赤ちゃんの威力に脱帽です。。。


 


 すっかりお茶が冷めているのでお湯を沸かしに台所に立ちました。
 今はあの世にお住まいのおじいちゃんと、その生まれ変わりの太郎の写真が仲良く並んで笑っています。
 息子夫婦と次郎までが冷やかし顔をして
 “ほらほら、おセンベイも少しこぼれて、大分こどもに帰っちゃったな” ですって。
 
 ほっといてよ。 

 あったかいお茶を飲みながら、何度でも可愛い写真を見直さなくっちゃ。
 
 軽くお掃除しながら、再度、再々度の暫時休憩となったのでした。 (*/∇\*)♪♪ .