自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

忍法の効き目は?

2012年05月07日 | 絵と文

  ホームページの更新が長いこと滞っています。
  制作の傍ら、せめて表紙の画像だけでも季節にふさわしいものを、と思い立って、久しぶりHPの編集ページを開いたら、サイトの中は空白でデータが何一つ残っていません。全部揃ってどこへ出かけたのでしょう?!
  リカバリしたため消えたソフトをインストールしたときに、表示されるはずの「設定情報を移行する」というダイアログが、みなを引き連れてどこかへお散歩を決め込んでいるらしい。
  呼び戻すためのファイル、ずらり並んだフォルダの中からプログラムされたものを苦労して探し出したまでは良かったけど、これがまた呼べど叫べど無応答ときました。
 ・・・もうホームページは続けなくてよろしいという天の掲示かしら?

 思えば
 触ったら電気にでも触れそうに怖かったマウスを、やっとこさ握りしめる気になったのは、
 描きためた作品でHPとかいうものを作ってみたい、なんて身の程知らずに考え付いたのがそもそもの始まりでした。
  どこかで野望が芽生え、たけのこみたいにまっすぐに伸び、やがては自分の中で凛凛と。
  …というわけにはゆかず。 
  なにしろこのくたびれた頭脳では。

  HTML語知らずでも作れる便利なHP作成ソフトを買い求め、未知の領域まったくの異世界へ元気よく飛び込みました。
 それから半年、涙ぐましくも楽しくも、その両方の気分に浸りきったあの頃は~、今思えば、なんと無茶苦茶元気だったこと。
  とにもかくにもそれらしきものが形を成したあと待ち受けていたのが、思いもかけず意外に素早く冷めちゃったその情熱。
 
  日本画制作は思考・動作の両方に長い時間がかかって、
  電波の飛び交うインターネット上に居を構えるにはちょっとふさわしくないのでは、と思えて来る昨今でした。
  オリジナルがよい、とは自己満足で、初心者の幼稚さばかり目についてきた我がサイト
  これを機にブログだけに絞ろうか、それとも、力を入れて新たにリニューアルしようか、との誘惑にも揺れ動きます。
  自分にとってどちらが有効な時間の使い方なのでしょう?



 庇を貸しただけのはず、それが母屋まで乗っ取られないように。
 連休の期間思い切りよくしまいこんだ絵の道具一式、ためらわずとにかく朝のうちに整えました。
 未成熟なマイHPの進路、その思案も決定も、せめて今描きかけの作品が完成するまでは、棚上げなさい
 と、強い脳内命令があったようです。

 そして今は空白のHPの編集画面に向かい一一できるだけの対策を試み一一くたびれちゃって、大あくび (@◇@;) ウ・・・

 不安定なPCにかけた忍法の効き目、それはPCよりも
 とんでもなく不安定な私自身の心へ、その不安定さを笑ってはね返ってきているのでした!!

竹の子の季節

2012年04月25日 | 絵と文

薫風とともに竹の子の季節が来ました。
泥つきの竹の子に、さっくりと包丁を入れたときのあのさわやかな香り~もうたまらない。


竹の成長力は凄いのなんの。
氷見の山で暮らした1年きりの思い出が、何十年たった今も懐かしい理由の一つになっています。

だだっぴろいだけですいすい風の通り抜ける古い住まいでした。
部屋のいくつかは使わず終いで過ごした1年間、特に裏手にあった小さな物置は、
冒険好きのやんちゃ坊主だった息子さえ恐れをなしたやら近寄らず
もっとも当初は何にもない、ただうす暗いばかりの土間だったのです。

さわさわ~
どこかから漏れるかすかな物音をたどって、何気なくその物置の戸を開けたとき
あんなに驚いたことってありません。
3畳くらいの薄暗い室内が竹林に一変していたのですもの
訳の分からない奇声を発して危うく腰を抜かしかけ、ゾクッとして慌てて戸を閉めました。
次に戸を開けたら、今度はとんでもない怪物くんなどぬっと現れるのでは…

台所の床板を持ち上げ、部屋の重い箪笥さえ傾くほどの勢いでした。
畳を剥いでそっと床下をのぞいてみたら、これはなんとしたことでしょう
この家は床下一面、縦横無尽曲がりくねった竹に占領されていたのです!!
はじめて知った、柔軟でしかもしたたかな竹の力、ただただあきれるばかりでなすすべを知らず。



 地面の底に顔があらはれ…
 するどき青きもの地面に生え
 まっしぐらに竹が生え
 凍れる節々りんりんと…

朔太郎の世界があり、理解も出来たのははるかな後日です。
若かったんですね。
竹の別世界に思いを致すなんてもちろんのこと、
まして竹が「美味しい」なんて夢にも考えず、なので随分損しちゃったことにも気付かず
今思えば無知と怖いもの知らずと同居して
けれどもそれだけを武器に生きて行けた、ホント、古き良き時代? とでもいえるでしょうか。



ようやく初夏の風が吹く戸外を、しっかり窓で隔てました。
小ぶりのタケノコを茹でている、この甘い香り、お腹いっぱい吸いこみたくて。 
さくさく小気味よくタケノコを噛みしめる歯が、今も無事残っていることに感謝しながら。 d(⌒o⌒)b♪~♪



ひとり

2012年04月24日 | 絵と文

愛された記憶はどこか透明で 
   いつでも一人 いつだって一人
 

(俵万智)





記憶に残る愛の形…  
強烈? 
ハテ そんなものあったっけ?

月日が重なり 記憶が薄れゆく分だけ
人間さまは思慮深く 厚みを増してゆけますように
と、勝手ながら 今はひとりが、ご満悦。

水仙の甘い香り

2012年04月19日 | 絵と文

体を動かすたび部屋の中を花活けの水仙の甘い香りも仄かに揺れる。
軽く診察を受けたつもりのPCが、思いがけない重症で病院入りしてしまったあとの寂しさを慰めるように。

PCというしろもの、これさえなければもっと絵に専念できるのに~
という弁解は単なるカッコ付け。
分かっているけど普段そう考えることで私の一日は成り立っているみたい。

形と色で何かを伝えるよりは、手っ取り早く直接文章で表現するほうが~
などとときどき思ってみても、次々あふれて始末に困るほど物思いにふけったのははるか昔のこと
今では奥底の知れないほら穴を覗き込む枯れ木のように途方に暮れて突っ立っているばかり。
少々行く先が見えてきたら、人間ってこんな風に変化するんだ。

PCを修理に出してから、絵のほうが順調にはかどるかと思いきや、明けても暮れても心の隅であの子のことを考えた。
普段は熱中を恐れ後手後手とあとに回して、むしろまま子扱いに近かったのに。
これじゃぁ○○依存症だ××依存症だと笑ってなんていられないよ。

ひとつことしか打ちこめない因果な性分なのに、近ごろは絵筆片手にほんとなんとも気にかかる。
手枷足枷はめたように自重しながら、まずは作品へと対峙するのだが、
対象が2個になったら集中力も2個分!、どころか二分の一に半減してどっちもまるで中途半端。
やっぱり欲張っては返って大損、この算術が身にしみた。
~~でも…
まぁいいじゃないの 楽しみながら描く、今じゃこんなスタンス結構好きなんだから。




・・・あの子がやっと手元に返ってきました。
何事もなかったように収まるところに収まって、私もまた何事もなかったようにパネルに向かいます。
今日も水仙の香りが何ともいえず優しいです。

桜はまだ

2012年03月28日 | 絵と文


今日届いたメールの中に、暫らくぶりEちゃんからのものがあった。
桜が背景ながら、内容は蒼い祈りに満ちている
読み終わってからひらめいた。今度描くもの全体の色調が見えてきた!

心情と直結するだけに作品の色調をどうまとめるか、
ここ数日の間迷い続けていた、ということは、心構えがまだ出来ていなかった証拠。

Eちゃんはあいかわらず誠実に真摯に優しく今日を生きている
あったかくて、奥深く沁み入ってくるこの感じは。
そうか、今朝の夢見が良かったはずね。

ホンワカ温もった部屋の中で、
満タンの冷蔵庫と、食べ過ぎ予防の整腸剤を傍らに
「気の向くまま好きなときに好きなことをしています」
暑いとやら寒いとやら、文句ばかりはわずかに胸へしまいこみ
ときたま様子見に来て下さる民生委員の奥さんには「おかげさまで風邪だけは引きません」
これってう~ん飲んでいる数々のサプリの? 疑っては済まないのかも。

先週は珍しく4回もの会合で外出が続いた。
話しているうちかつての美声?もしわがれ、ひょろひょろ裏返ってしまうし
ときどきは親愛をこめて呼ばれているのに知らん顔でもいるらしい。
それでも背筋は伸ばしているし、歩くスピード速いでしょ
内心恥ずかしいのに、にやり笑って返すふてぶてしさ。

重たい肩の荷やっとおろして大仕事成し遂げたみたいに
足や腰などさすりながら、Eちゃんのメールを二度三度読み返すうち頭は深くうなだれた。
ごめんなさい。被災された多くの人たち。
あの日のこと決して忘れてはいません
この小さな幸福感をせめて宅配で毎日送ってあげたいけど、それはかなわず
涙だけはだれにも負けないけど、辛い記憶の満分の一流し去ることさえ出来ず…

さしあたって私に出来るのは
油断するとすぐに曲がる背筋をしゃんとのばして
今の決心を揺るがさぬよう、心定めて明日からしっかり絵に取り組むこと p(´∇`)q

追想

2012年03月17日 | 絵と文


お嫁に行った姉が遊びに来て楽しそうに母と話し込んでいた。
自分も話の輪に加わりたくてふたりの間に割って入った。多分満面の笑みをもって~
話の腰を折った闖入者をまじまじと眺めてから、二人顔を見合わせ同時に口をそろえて言ったのが「デッカイ顔だね」!
デッカイ顔? (これは?どうやらほめ言葉ではなさそうだ)
傷付くほどの自尊心がまだ育っていなかったのは幸いだったが、出鼻をくじかれ引き下がって5分ばかりはショボンとなった。
私10歳のとき。

こどもの目に姉は繊細に彫り込まれた西洋型美人に見えて少し近寄りがたく、9歳離れたこともあって一緒に遊んだ記憶はない。
私が貧乏所帯のやりくりに頭を悩ます主婦となるまで、姉妹の美味しい味は知らなかったと言える。
ちょっと高貴なその雰囲気に似ず、陽気で庶民的で世話焼きで、だけど余計な口は出さない。
のほほんの末っ子にとっては理想的、大切な大好きな姉だった。

小さいころの記憶は、すぐに忘れ去っても案外心の奥深くに潜んでいるとみえる。
この姉を亡くしたときは追慕の情に明け暮れて、美人薄命なのだと無理やり納得させけりをつけるまで3年もかかってしまった。
思い浮かぶ姉はいつまでも若くて、絶えず心の中を占めてもいたが
その年代を越えたとき、自分は何か別人に生まれ変わったような気分がどこかで生まれた。
鏡を覗き込んでじっくりと右向き左向き、心の中にひとりごちる
(ぜーんぜん、デカいことないよね)
(ちっとばかり、縦が短いのかな?)




以前親しかった絵描き仲間で、陽気なトキメキ美人のUさんが亡くなった話を始めて聞いた。
様子うかがいにたびたび掛ってきた電話の、アルトの声はあんなに元気だったのに。
喜びも悲しみも共にした思い出もいっぱいある
諸行無常。姉よりは相当長いこの世の滞在時間だったにしても、やっぱり美人薄命で済ませるしかないだろう…
Uさんへの追想から連想は次々広がって、姉の笑顔が久しぶり眼前に浮かんだ。

気持ち年をとっていっそう世話焼きのおばさん顔になってみえる…



・・・ま、いいか たまにはいちにちこんな日があっても。

手相

2012年03月09日 | 絵と文


長いこと使いこんで変形してしまった右手を、暇にまかせてじっと見つめたら気がついた。
鶏皮みたいにしぼんだ手の甲に比べて、手のひらを返せば皺ひとつなくいやにてらてらと光っている。
何かのサインではないかしらん?

右手の五本の指のうち、外側の三本が、第一関節の先っぽでみな左向け左をしているのも
小指の外側に目玉みたいなタコができているのも、絵具を皿に溶くときの形そのままで
曲がった中指にはもう何十年も前から大きな鉛筆タコが棲みついているのだから
これは人間の手? と、我ながら恥ずかしい。

それを自覚したのは、お正月休みで帰省した太郎の手を、何かの拍子に観察して以来のことだ。
赤ちゃんのもち肌とも、たおやかな女性のものとも異なる、しっとり肌理の整った長い指が美しく眩しかった。
体育会系の、まっ黒ケの顔によくぞこんな白い細い指が付いたものだ
男の子の手なんぞ想像したこともなかった。この世にはいろんな美しさがあるんだなぁ
いくら心を磨いてもかなわないものがいっぱいある…

そしてつくづくわが手を見たら、
あら、長年の付き合いで馴染んだ手相がいつの間にか変わっている!

無数の糸くずみたいな細かいとぎれとぎれの線が手のひら一面に表れていて、驚いた一時期があった。
複雑怪奇な世の中に対応したらこうなるのか
手相に詳しいと自称する知り合いに見てもらったら、もったいぶって口外は出来ないとおっしゃる
と聞けば余計面白くて無理やり聞き出したのが、曰く、「愛情に泣く」(¬o¬)----☆ 

ん? 
当たるも八卦当たらぬも八卦。



あの糸くずがどこへ消えたのか、今は横に2本、縦と斜めに大きな線が1本ずつくっきり残るだけの
シンプルな子どもの頃の手相に戻っている。
無に還元するまでの道のりを歩き始めて、行程はつつがなくはかどっているとみえる。
これ以上ややこしい線が二度と戻ってなどきませんように~
居室の窓から曇り空を、若い?頭脳で今日もぼんやり見上げているさまは、あまり絵にはならないとは思うけど。

宅配

2012年02月01日 | 絵と文


今年最大の寒波が上空に居座っている。
日中も絶え間なく雪降り続く厳冬の一日。


玄関のベルが鳴った

筆がブルンとぶれて思わず舌打ちが出る
渋りつつ腰を上げて、
玄関に出てみるとおなじみの宅配のおじさんだ。

「今日は美味しいお肉が届きましたよう」

あらま、このひとは。
となじる気も起きなくなる人のよい笑顔につられ
こちらも調子を合わせて破顔してしまう。

「寒いのに、ほんとに、ほんとにご苦労様」



「あ、ハンコさかさまよ」

天地たがえて今や判を押そうとするを押しとどめ、
にっこりにやり
ウインクする見かけによらず視力のいいおじさん。

「はーい、ありがと。
鍵しっかりかけといてね」


と雪の戸外へ飛び出してゆく。


天性なのか年の効なのか
雪の中に薄れてゆく宅配の車をしばらく見送った

あの車の中、あったかいんだろうなぁ…



風もなく音もなく、雪は小止みなく
しんしんと底冷えのする厳冬の一日。


三婆

2011年12月06日 | 絵と文


昔からお天気女のT1ちゃんは、大分くたびれて古くなった今も効能がき通りにまぶしいおひさま連れで現れた。
昔と違うのは颯爽とではなく、見慣れぬ杖に助けられて、とんでもないスローモーションドラマでも見るように。

彼女が会いたいねと言ったとき、立ちどころにことは成り立つ。
もうおしまいかと一時はあきらめかけた友情が、未だに生き生きと現存するのを確かめたら、それだけでも生きているのが楽しくなる。

あれはまだお互い髪の毛も黒く背筋もしゃんと伸びていたころだったけど、T2ちゃんちで泊ったとき、
着替えた3人がそろって同じデザインのパジャマ姿で現れて思わず笑い転げたものだった。
「三婆だぁ!」

チェックとストライプとピンクの無地
相談したように同じシルエット。
小さいころからの遊び友達って、こうなるんだ
何年前のことだったか。

T1ちゃんは小説のヒロインを地でゆくような悲運のひと
体は若いころ術後の輸血とコバルト治療に痛めつけられて、骨密度90歳ときいてからも10年くらいは経っている。
ちょっと動いてもすぐに複雑骨折で病院行きとなるので、楽しみの温泉行きは夢になっていた
それが、この秋調子ややよさそうな声で突然連絡があり、それからとんとんスラスラと話が進んだのだった
会いたいね、からすぐ会おう、ってことに。

顔を合わせたとたん、たちまち懐かしい郷土弁満杯の近況報告が矢継ぎ早
止まることを知らないT1&T2ちゃんの口元を呆れて見つめる
これだったらまだまだ頭は大丈夫。
聞きづらいのかどちらも大声だから、内緒ごとは話せないのに一服するけど。

送迎バスの運転手がニヤリとしている。
幸いほかに誰も同乗していなかったので、文字通り今回「三婆」満喫の温泉行きとはなった。
しかし「三婆」の中身は以前と比べてかなり濃厚になってるなぁ…

多分だれもが持っている似たような経験や想いをいっぱい詰め込んで
帰路に就いた頃から雲行きが怪しくなって、それからじっくり冷たい雨になった。
以来ずっと雨続きだ。

T1ちゃんの元気がこれからも続きますように。
次回三人で会うときも、きっとよく晴れた日となるに違いない。

脳から海馬へ

2011年10月13日 | 絵と文


手持無沙汰に雑然とした周辺を見回したけど、語りかけてくるものは何もない。
とりあえず食堂の椅子に浅く腰をおろして、ぼんやりと戸外を眺めた。
年に数度はあるだろうか、不意に頭も手もストップしてしまうこんなとき。
空に夕陽が燃えている
無重力みたいなふわふわの体が、少しずつ充たされてゆくのを感じてようやくほっとする。

例年のグループ展が近づいた
出品作の準備はどうやら整ったけど、面倒な目録やキャプション作りは資料待ち
こんなときに一日延ばしの雑用をさらりとこなせない集中ぐせがうらめしい。
エンドレスな制作に感じるのは喜びだか苦しみだか判然としなくなってきて
いっとき頭をからっぽにしてリタイヤする必要があるのだろう。



な~に? 今日の戸外の風景を覆うこの空気と色合いは。
空は赤いし太陽は丸いし山の稜線も木々や家々のシルエットもいつもと少しも変わらないのに。
何度も目をこすってみる、頭を振ってみる
絵にするには色を知らない、言い表わす言葉も見当たらない
写真ではなおさらこんな世界を映し撮るなんて出来やしない。

誰も知らない私の世界だ (@△@)?○△■☆♪  

みずみずしい思いが湧いて溢れて止まらなくて、我ながら驚いたのは始めてひとを好きになったとき
粕のように残っていて、うるおい今ひと雫こぼれ落ちでもしたように
滲んで広がり、胸の中がじんわりとほどけてくる・・・




どこかで「家路」のメロデイが流れていた。
明日はいちにちをゆったり過ごそう、知人の美術展や、それから今は思いつかないことなどを。
余力があったら、デパ地下で美味しいものでも探し回るのも楽しいな…

神様のご褒美

2011年08月16日 | 絵と文

 今も全国に幅広い人気を誇るボーカリスト小田和正さんのある夜のライブ
 観客と舞台と一心同体に溶けあった光景を、熱烈なファンのひとりEちゃんが伝えてくれました。

    「一曲だけは歌のあいだの写真撮影OKです!」
    歌手が突然ステージの上で叫んだ時は大きなどよめきが湧きました。
    凄い数のデジカメや携帯電話のフラッシュが、満天の星みたいにキラキラ光ってそれは綺麗だったの。

    今までだったらあり得ないこと。
    「きっとそのあとも、撮り続ける人はいるだろうけど今夜はいいや
    と内心考えていたのに、皆が約束の一曲が終わると一斉にかがんで携帯をしまったのが見えて、
    逆に感動して胸がイッパイになりました」・・・って言ったのよ(^・^)

    東北大学出身で、震災直後は一時コンサートの中止を発表し、葛藤の末、
    「歌うことがいつか役にたつ時がくるかもしれない、笑顔で会える日がくるまで一緒にがんばりましょう
    僕は長生きして日本が復興していく姿をみたい」と三年ぶりのツアーを決行したの。

    写真撮影も、いつもより多いファンサービスのひとつ、
    色んな話を織りこみながら64歳とは思えない声で三時間半も歌いつづけ
    頑張って生きてたら神様はこんな至福の時間をくださるのだなぁ~と感無量でした。



 夜の闇をカメラの無数の星が煌めいて
 はじけそうな心をいやがうえにもときめかせただろうEちゃんの想いが、視覚的にもときと場所を遠く隔てた私にまで容易に伝わりました。
 沈滞した人々の心を奮い立たせてくれるとしたら、音楽ほど手っ取り早く効果的なものは無いような気がします。

 歌は世につれ世は歌につれ・・・ちょっと違う(¬w¬*)?
 ポップ、クラシック、民謡、演歌、ジャンルは異なっても、メロディがあって歌があれば、何か、楽しい
 どんな音楽嫌いのへそ曲がりでも、一生のうちひとつくらいは心和む曲に出会うはず。



 夜中、どこからか変なもの音、じゃないひょっとして人の声が聞こえてきます
 耳を澄ますと、どうやらお盆休みで出かけてきた孫の次郎の部屋かららしい。
 17歳、180センチ超えてもまだ大人に間のある次男坊、
 裏表の区別がつかないほど日焼けしてスポーツに熱中しながら、最近は時たま友達とカラオケになど遠征している様子
 どう首をひねってもあまり歌曲とは結びつかなくて、
 だから流れてくるのはメロデイじゃなくて変なもの音としか形容できません(内緒)

 翌日「夜中に歌うたってた?」と確かめたら、うん。そうだよと澄ました返事です
 本人だけが自分は音痴だって気付いてないのだから、と両親がくすくす笑うのも分かりました。
 夜のしじまに流れてくるしのびやかな歌声は、もう少し神秘的か、もう少しロマンチックであってほしいよ~
 しかし彼も勉強やら遊びやらの合間にきっと、自己陶酔できる大好きな一曲を見つけたのでしょう!!

 和やかな時間が過ぎて、みなが去り静かになった部屋で、何の歌とも知れないあの音?を思い出しているとき、
 久しぶり軽くハミングしている自分に気づきました。
 なるほど。
 二度三度、こみあげてくる笑いのうち、これだって頑張って生きて神様がくれたご褒美だろうと思えてきたのでした。

炎天

2011年07月13日 | 絵と文
 

 暑い!
 たまらずエアコンの温度を1℃だけそっと下げさせてもらいます。
 熱気に囲まれて28℃の設定では、置きものにでもならない限りにじみ出る汗でノーリツ悪いです。
 10坪に満たない日中の居室は言わば私の天下、たれかのご指示通りにゆきたいところだけれど少々無理みたい。


 扇風機さえ無い時代がありました。
 まるまるいちにちを炎天の砂浜と海水に浸り、夜は夜でナイトショウ三本立ての立見席、
 終バスの時間はとっくに終わって、てくてく自宅へ歩いて帰る30分も楽しくて満足のうちに過ごす休日でした
 洋画でみた流線型のマイカーも、食卓に盛られたコンポートの果物も、あれはバーチャルな空間
 それが身の回りで実現するなんて、ないないづくしで育った若者は空想さえできなかったのでした。


 敗戦国日本に扇風機ができ、洗濯機冷蔵庫が作られ、レンジやら炊飯器やらジューサーミキサーパン焼き器
 あちこちで、チンと鳴って、お風呂が沸きましたと宇宙人のような声が聞こえ、
 高度成長とか何とか浮かれてとうとうバンドラの箱まで開けちゃった・・・のですねぇ


 福島の悲劇がいつ収束するかも分からないときに、大事なことそっちのけで。ちょっぴり電気の節約ですか
 原発是か非か? 
 論じること自体そもそもおかしい
 決まってるでしょ。原子力発電などきれいさっぱりお止めなさい。


 と、いうわけに今更ゆかない人間さまの愚かさに、涙しつつ、
 やっぱり快適な部屋に戻して、快適に仕事がはかどるのを勝手にも好もしくありがたく思ったのでございます。
 東北の地で今も汗していらっしゃる人たちに、戦後の日本人の心を重ねて想いながら。

蚊帳の中

2011年07月02日 | 絵と文
 

 省エネのため今年扇風機を寝室に置きました。
 これならちょっと現代風に見えるかもとタワー型の黒い扇風機を買ったのですが、吹いてくる風は生暖かい昭和の風です。
 眠苦しい夏の夜、単調な微風の音に、さっき見たテレビからいつか想いを遡っていました。


 今扇風機さえ飛び越えて、蚊帳が見直されているんですって。
 ある保育所でお昼寝の時間大型の蚊帳をつってから、子どもたちがすぐにすやすや眠りこんでしまったそうです。
 ヘーぇ、蚊帳・・・
 確かに、あの水色のグラデーションで織られた麻布は見るからに涼しげで、
 中に横たわって見上げれば外界はおぼろに霞み、あらゆる敵から守ってくれる砦になって見えたものでした。
 一日の緊張から解放されて安らかに眠れる最高の憩いの場所なのでした。
 保母さんの言葉を借りると、お母さんの胎内にいるような安らぎを、こどもは感じるのでしょう、と。



 蚊帳・・・・、ホタル、うちわ・・・浴衣・・・スイカ ・・・
 昭和前半を回想すると苦しくなる方が多いのですが、反面楽しいこともまた沢山隠れているようでした。
 子どもの頃の平和な思い出ほど、心をうるおしてくれるものはありません。
 蚊帳の中で聞いた空襲警報、光りも音も漏らさぬようひっそりと息さえ殺した夜毎の灯火管制、
 国難といわれる今を100としたら、あの頃はどれくらいの数字がふさわしいのか、そんなことは考えたくありません。


 ベッドにも案外蚊帳は似合いそう
 でも、扇風機さえなかったあの頃のように、戸を開け放して夜風で冷せる時代ではないし
 蚊帳に放したホタルも今は宝石のように貴重に見えるし、やっぱり蚊帳はおもいでのなかにこそ。
 30年くらいも昔、段ボールの箱にしまいこまれたまま、そっくりゴミ捨て場へ直行したのは宿命とはいえ
 化学が幅を利かす現代、魔法のように息を吹き返したのですからその生命力はあっぱれです。
 そしていうなれば母の胎内にいたときの安らぎとは、
 きっとこのようなものだろうとの自覚もないままいつか眠りについていたのでした。
                                         

夢のように

2011年06月30日 | 絵と文


 久しぶり見た夢に思いもかけず懐かしい人が登場しました。
 過去と現在と、現実と架空が入り混じる難解な成り行きに、おぼろな映像をもどかしく絡ませながら、
 喜びと悲しみそして湧き上がる幸せを更にかみしめようと、繰り返し繰り返しゆめうつつ反芻したのでした。    
 


 ナイトのごとく物静かに現れた彼は馬ならぬオートバイに乗った勇士
 暗黙のうち見送ってくれる一群から離れて、後ろに乗り込みました
 それは現在の人たちとの別れを意味しているようでした ?
 新しい世界へ。旅立つ堂々とした彼の陰にすっぽり隠れて幸せと哀しみに襲われました ?



 他人の夢の中身など、好んで聴く人がいるとは思えません。
 誰かに話すときのためにでなく、乱世を平和に生きるために
 意味のない夢物語を、ジャンヌダルクは彼の思い出とともに刻印したかったのです。それとも…   
 A.ha.ha・・
 過去から忽然現れた彼と、果たせなかった夢をひととき実現させたかったのでしょうか。



 それは多分明け方のことだったでしょう。
 すぐに朝が来ると、もうシャボンの泡となって消えかけてゆく儚い記憶でしかないのに
 まるで不思議の国でもさまよい歩いたような体感だけは、ことさら強く心の中に棲みついたのでした。

六月の不思議

2011年06月11日 | 絵と文

嬉しい!一年のうち最も解放感に浸れる六月が来た!
と思ったら緊張がほどけて、ちょっとマバタキしてるうちもう三分の一消えていってしまいます。
今日は家中の小引き出し全部ひっくり返して小物整理にとりかかりました。
これだけはどうしてもと半ば強制的な義務感から、追い立てられたようだった胸の内が
いつのまにか軽やかに穏やかな気分の中で、そのうちじんわり湧きあがる何かに気付いたのです。
エンドレスな制作予定に合わせて捻り出す余暇の時間、今年目新しい楽しみが見つけられるでしょうか。


「忙しい、いそがしい」は、口にするほど行動力が伴わなくなったのをゴマ化そうとする言葉かも(◡‿◡*)
真実休みなくとりとめなく働いているのは頭だけ、気がつくとうち半分は手の方がお休みしている状態ですから。
頭でっかちの傾向が、ここのところますます顕著になってきたみたい
しかも「ナンとかの考え休むに似たり」 …先人の表現がぴったりくるということは?

読むこと描くこと考えること。
楽しく豊かに生きるための三大要素も、少しずつペースが狂ってくるのを止められません。
年月とともに体力知力変化するのは当然なのだから、これも仕方ないことと大目に見たくなるのは
今の「ひと昔」とは5年単位だからねと息子が茶々を入れるので、時間の感覚が麻痺しかけているのかもしれません。


この作品が完成したら~ そのときは。
 押し入れの戸をあけて風を入れて、どっさりはみだしたもろもろを整頓して
 タンスの衣類にも風を通して、ついでに年相応の色合いのものに入れ替えて
 引き出しにたまったわけの分からない小物は老眼鏡をかけなおして片端から選別して
 部屋の隅々まできりきりと拭きまくろう。

 友人の誘いには待ってましたとほいほい乗って
 人並み買い物やらグルメやらにいちにち歩き回って
 ゆっくり温泉で朝寝坊十二分に怠惰を楽しんで
 それから、切符を買ってあてどなく乗り物に乗って
 (そのつもりで)地球の上の風景をぽっかり無心に眺めてみたいな… σ(´ x `;*);o△■☆♪

出来るかできないかはともかく、創作とはまるきり無縁の別世界に遊ぶのが最高のリラックス
けれど、どんなところにも作品に結び付くヒントが転がっているはずとあてのない期待が含むのも本音です。
それを見つけ出せるかどうかは、今のこの頭の限界点。
だから遊びの期間といえども時間はとてもとても貴重でした。

そして、昨日
朝から始めた焦りの中の小物整理に、思いもかけない暖かなものを感じたのです。
驚きでした。大切な時間を勿体なく浪費するようで、なかなか実行できなかった家の雑事、
これは「幸せ」というのでは…
不思議です。 時間が、惜しくありません?!



人間の持つ大切な喜びのひとつを、気づかせてくれたのはきっとあの天災でしょう。
目立たぬ日常の些細な出来事のなかで、静かに深い喜びを味わった一日となったのでした。