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Mさんとはお互い肉身をがんで失った喪失感を共有したことから交流が始まりました。
知りあって日もたたないうち、立て続けの電話や手紙の攻勢にはちょっと辟易したものの
そのいかにもジャーナリストらしい能動性は、ゆるゆるタイプの自分にことさら目新しく映ったのも事実でした。
勤務先の電力会社から原発に出向していたMさんの一人息子は、癌を発病し必死の看護も甲斐なく31歳の若さで他界されました。
生れて間もない可愛い孫とその母は離籍し、幸せだった一家に老夫婦だけが残されて
そして戦時中共に従軍した井伏鱒二の共感を得て、Mさんの著書「原発死」は発刊されました。
“「放射能」と書いて「無常の風」とルビを振りたい”
井伏鱒二の序文のことばです。
Mさんの第一印象は強烈でした。
小柄なのに颯爽と風を切って歩道を渡ってくる白髪容貌魁異のイジョウブ?
それに引き換えあまりに優しいその心根
若しかしたら失意のうち婚家を去った嫁の姿を私の中に見たのかもしれません
それとも記者時代、インタビューは一国の首相から外国使臣、橋の下の靴磨きのおばさんにまで、
というだけあって対応も千変万化切り替えできたのでしょうか。
原発死ではないものの、最愛の姉と引き剥がされた思いがとれなかった私は、
Mさんとお互い強い共感を分かち合いましたが、振り返ってみれば、いやされることばかり多かったような気がして
当時放射能の真の恐ろしさを知っていたなら、もっと深くMさんの悲しみと怒りを理解できただろうと悔やまれます。
今も果てしれぬ放射能汚染による被害は増えつづけて、今日ヒロシマの原爆記念日を迎えました。
そしてMさんの「原発死」は復刊され、増版を重ねていると聞きました。
お盆が近づき久しぶりMさんの墓前に花を供えたいと思いました。