Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

旅日記その15(ナザレ7)

2016年04月10日 | イスラエルツアー2016
さて、ナザレのランドマーク的な建物、それが受胎告知教会だ。

処女マリアが天使ガブリエルから受胎告知を受けた洞窟跡と言われている。

教会の正面玄関。

現在のこの教会堂は、1969年完成のイタリアのアーティストの設計だそう。

最初にこの場所に教会が建てられたのが、356年でコンスタンティヌス帝の母エレナによる。
その後、現在の姿になるまでに、ビザンチン帝国時代、十字軍時代、オスマントルコ時代と再建、再々建を重ねている。

これがその、受胎告知の洞窟跡。教会の一階部分に当たる。

カメラを引くとこんな風。

二階の礼拝堂には各国から寄せられた母子像や絵が飾られている。それぞれお国柄が出ていて面白い。
日本からのものは細川ガラシャ夫人がモデルになっていて、袖の部分だったかな?には真珠が埋め込まれているそうだ。


その他のアート。

床も美しい。

天井のドームを見上げて。


このような「ある特定の場所」を記念したような教会にはカトリック系が多い。
大体どこの教会も、写真撮影はOK。但し男性は「帽子をかぶって」中に入るようにと言う注意があったのが興味深かった。

アートの美しさに息を飲みつつも、既に一世紀の素朴な面影はないと、前回の投稿に書いた意味がお分かり頂けるかと思う。

この後は受胎告知教会の隣りにある聖ヨセフ教会へ移動する。
(つづく)

旅日記その14(ナザレ6)

2016年04月09日 | イスラエルツアー2016
ナザレ村の他の見所。

羊飼いと羊たち。

聖書の世界と羊は切り離せない。しばしば人間は羊に、イエスは良き羊飼いにたとえられる。

こういうところで脈絡もなく我が家の飼い犬ガンボを思い出したりして・・・
元気かなぁ~~(笑)。


それから当時の暮らしの様子も。
羊の毛から糸を紡ぐやり方や、

キリを使う実演など。イエスの家業は大工だが、当時のユダヤで大工と言えば則ち石工。家は石造りだ。

段々畑や・・・

当時の墓。

丸い石を転がして蓋をした。イエスが収められた墓もちょうどこのようであった。

そして、一世紀を再現したというシナゴーグ(会堂)で、私たちは礼拝を捧げた。


ナザレ村は言ってみれば、イスラエル版江戸村。しかし、実際にイエスの足跡を辿った場所などには、後世になって教会が建ち、もはや一世紀の面影はない。もちろんそれらの建造物はそれ自体が素晴らしく、歴史的にも意義のあるものだ。

だが、イエスの時代を再現したこのナザレ村の存在は際立って、訪れる人に霊的な洞察を与えてくれる。

お土産に配られたランプ。

ガイドのダニエルさんは言った。
「このランプの灯りを見て、私たちの働きを覚え、祈って下さい。」

ナザレ村、忘れられない。


さて、ナザレ村はこれでおしまいだが、ここからがいわゆるナザレの観光名所。
というわけで、ナザレ、まだまだ続く・・・
旅日記は二日目のまま。

旅日記その13(ナザレ5)

2016年04月08日 | イスラエルツアー2016
ナザレ村の中で一番強く印象に残ったのは、「オリーブ絞り」だった。
一世紀のオリーブ絞りの様子は、十字架に向かう苦難のしもべイエスの姿とあまりにも見事にリンクする。

石臼の中にオリーブの実を入れて、ロバが木の棒に繋がれてグルグル回ると、実が砕かれてペースト状に。

茶色い汚れのように見えるが、これは実際に挽いた後のオリーブの実だ。

このペースト状のものを、真ん中に穴の空いた輪状の籠に詰める。
その籠を幾つも幾つも積み上げると、それ自体の重量が重りとなり、オリーブオイルが絞れる。そのオイルは籠から滲み出て下に溜まる。

これが一番絞り、エキストラバージンオイルだ。

純度の高い高価なオイルで、エルサレムの神殿の燭台(メノラー)や、祭司や王を任命する際に頭に注ぎかけるための油として使われた。

次にエキストラバージンオイルを絞り終わった後の籠を、このような石の重りで再びプレスする。

まずは一つの石でプレス。

すると二番絞りのオイルが取れる。
この二番絞りには不純物が混じるがまだ充分に質が良い。人間のために、料理や香油、薬用に使う。

三回目には全ての石で重さをかけて絞る。
このオイルには、砕けた種が入って汚れてしまい質が悪い。そこでランプ用のオイルや石鹸となる。

絞り終わったオリーブのカスは冬に暖を取るために使われる。オリーブの実には無駄になる部分が全くない。


・・・さて、ヘブル語で「オリーブを絞る」事を「ガッシュマニム」と言うそうだ。
そして、クリスチャンには耳馴染んだ「ゲッセマネ」をヘブル語で読むと「ガッシュマニム」。
つまりゲッセマネとは「オリーブ絞りの場所」という意味なのだそうだ。

ゲッセマネの園は、イエスが十字架にかかる前の晩、その時がまさに来ようとしている事を知り、苦しみ抜いて祈った場所である。

聖書にはイエスが三度祈られた事、そして、
「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。(ルカによる福音書22章44節 新共同訳)」と書いてある。

オリーブが三度絞られること、三度目にはすべての種が砕けること・・・

あまりの符号ではないだろうか。
イエスは全身全霊をかけて我ら人間の罪の代価を支払うために十字架へ向かわれたのだ・・・

それにしても当時の人々のごく当たり前の営みが、人が神をより深く理解するための標べとなるとは、神のお計らいの緻密さに驚嘆するばかりである。
イスラエルにはこのような標べが、ゴロゴロしている。
(つづく)


※古代のオリーブ絞りの方法は言葉ではイメージしにくいかと思う。"Olive Press"でYouTubeを検索するといくつもビデオが出て来るのでご興味のある方はご覧になって頂きたい。

このビデオは前半が前回投稿した若枝(ナツァール)の話、後半がオリーブ絞りの話だ。
Olive Press-Teaching at the Nazareth Jesus Knew Series


こちらはナザレ村の公式ビデオのようだ。
The Olive Press


モロッコでも同じような手法らしい。オイルが籠から染み出す所など、リアルで分かりやすい。
Olive press traditional berber method - Morocco - part 2

旅日記その12(ナザレ4)

2016年04月07日 | イスラエルツアー2016
気づけば前回の投稿から一週間も経ってしまった。
まぁ、これも想定内だけど、旅の記憶が・・・あの感動が・・・段々と日常の垢にまみれて薄れて行く・・・嗚呼。

さて、ナザレの4回目だが、まだまだ当分ここに留まる事になりそう。

イスラエルと言えば、オリーブ


オリーブの樹には株の根元から若枝が出る事があるそうだ。下の写真はナザレではなくエルサレムのゲッセマネで撮したものだが、分かりやすいのでこちらを載せる。


本当に根元から若い枝が勢いよく・・・

そして、旧約聖書の有名な記述。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。(イザヤ書1章1~2節 新共同訳)」

エッサイと言うのはダビデ王のお父さん。
これは将来、ダビデの家系からイスラエルに生まれると約束されたメシアの預言と言われている。

興味深いのは、ヘブル語で若枝は「ナツァール」と言い、ナザレ(ヘブル語でナツラット)の語源だそう。

新約聖書の福音書の記者の一人マタイは、ヘロデ大王の魔の手を逃れてエジプトへ行ったイエスの一家が、その後ナザレに来て住んだと書いている。

そして、
「『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(マタイの福音書2章23節 新共同訳)」
と記して、自分の同胞にイエスこそ我々が待ち望んだメシアなのだと伝えようとしたのだった。


・・・つくづく不思議な気持ちに包まれる。
私はイエスの時代の約二千年後に生まれて、物語を言わば逆から読んでいるようなものだ。

私の場合は幼稚園がキリスト教だったので、子供の頃に最初から

「イエス様と言う方がいらして、この方が救い主なのよ。」

と教わった。そして後から、

「ほら、この事も、あの事も全部イエス様が生まれる何百年も前から預言されていたんだよ、聖書に書いてあるね。」

と知らされて、へぇ~そうなんだぁ~と納得して行ったのだ。

だが、当時のユダヤ人一般民衆はどうだったんだろう?
先祖代々、民族が受け継いで来た教えによれば、メシアが来れば神の国が到来してローマの圧政から解放されると望みを繋いでいた。
そして、メシアはこういう人で、こんな風に生まれて・・・と、たくさんの預言があってみんなそれを知っていた。

するとある時、イエスというナザレの田舎の大工の息子が現れて、多くの奇跡を行った。
これがメシアなのかと思いきや、えらい先生たちは、
「とんでもない、こいつは神を冒とくしている。」
と言って、ついに十字架にかけて殺してしまった。

そしたら、後からその弟子たちが、
「いや、実はイエスこそメシアだったんだ、聖書に書いてある預言とイエスの出自はピッタリ一致しているじゃないか。」
と言い出した・・・

宗教的主流派は、自分たちの非を認めるわけにはいかないから、イエスの弟子たちを激しく弾圧したが、目からウロコで入信したユダヤ人たちもたくさんいた。

もちろん、そんな事には全く興味のない現世的な人々も多かった事だろうが。


そんな事をあれこれ思い巡らしていると、何だか聖書の世界が、とても身近に感じられる。
(つづく)

旅日記その11(ナザレ3)

2016年03月31日 | イスラエルツアー2016
十字架の展示があった。

キリスト教のシンボルである十字架。
当時十字架刑はローマの極刑として運用されていた。

旧約聖書には
「木にかけられた者は、神に呪われた者だからである。(申命記21章23節 新共同訳)」
と書いてある。

イエスを信じる者たちは、イエスは神であり、救い主であり、来たるべき王であると告白する。
それなのに、神であるイエスが、神の呪いである十字架にかけられる・・・
矛盾を感じるが、聖書は、それは贖罪の死であったと教える。

十字架のむごたらしさは、私たちの罪の深刻さを思わせる。

写真の十字架を見て、非常に小さく感じられたのではないだろうか?
聖画などのイメージで高い木だと思い込んでいた。
しかし、実際の目線はほとんど地に立っている人と同じだったと言われている。

中ほどに打ち付けられている横木は腰掛けである。
磔になった人は両手首と両足に釘を打たれ固定されているが、肺が圧迫され呼吸が苦しくなると、伸び上がってこの腰掛けで休み、また苦しくなるとずり下がり、この動作を繰り返して、長い人は2~3日十字架上で生きながらえたそうである。
苦しみを長引かせるための残酷な刑なのだ・・・

終いにはローマ兵がスネの骨を折る。するともう伸び上がる事が出来ないので、呼吸が出来なくなり、死に至る。

イエスはユダヤの過越祭の期間中、金曜日の午前9時に磔になった。そして午後3時には息絶えた。
死の報告を受けたローマの総督は、異例の早さに驚き、本当に死んだのか確かめるよう命令した。
そこで兵士が槍でイエスの脇腹を突き刺したと、新約聖書に書いてある。

イエスの死が確認出来たので、兵士はイエスのスネを折らなかった。

旧約聖書には
「いけにえの骨を折ってはならない。(民数記9章12節 新共同訳)」
と書いてある。

これはユダヤ人が大切にしている過越祭の際捧げられた、贖罪の子羊についての規定である。

イエスの弟子たちは、自分の同胞であるユダヤ人たちに、実はイエスこそ本物の贖罪の子羊で、過越祭の子羊はそのひな形だったのだと、何とかして伝えたかったんだなぁ~と言う事が、新約聖書を読むと伝わって来る。

当時のユダヤ人たちは、イエスを自分を神とした冒涜者として死刑にし、そして急進的な一派として弟子たちを弾圧した。

現代に至るまで、ユダヤ人にとっての聖書は、私たちにとっての旧約聖書のみ。
イエスは異邦人の神。
そして彼らは今もメシアを待っている。

前回も触れたように、メシアニック・ジューとは新約聖書の証言を信じ、イエスこそメシアだと受け入れたユダヤ人、非常に貴重な存在なのである。
(つづく)