Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

旅日記その19(イスラエルの朝ごはん)

2016年05月24日 | イスラエルツアー2016
イスラエルで食べたホテルの朝ごはんは、大体どこも似たり寄ったりのメニューだった。

た~~くさんの種類のサラダと、


た~~くさんの種類のチーズ、
©Kentaro Momiyama

そして魚。
©Kentaro Momiyama
見た目は生臭そうだが、全然そんな事はなく、食べやすい。
©Kentaro Momiyama
でもちょっとしょっぱいかな。

その他諸々。
©Kentaro Momiyama
©Kentaro Momiyama

このホテルのスペシャルは、生絞りオレンジジュース。これは最高


旅の最中は、まさか後からブログを書くとは思ってなかったので、今ひとつ記録の写真が少ない。それで、ご一緒した写真担当の方が撮られたものを承諾を得て所々拝借している。

ところで、ここでのポイントは「肉がない」と言う事だ。
ユダヤ人は乳製品と肉を同時には取らないのだ。

それは、遥か歴史を遡ってその昔、モーセに導かれてエジプトの奴隷状態から脱出したイスラエルが、荒野で神と結んだ契約に基づいている。

その中にこのような一文が。
「・・・あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。(出エジプト記 23章19節 新共同訳)」

これは、イスラエル人がやがて住む約束の地の先住民族が行っていた異教的な儀式から彼らを守るためであったと考えられる。
しかし、結局イスラエル人は彼らをエジプトから救い出した神を忘れ、神と結んだ契約を破り、偶像崇拝に陥った。
そのため、BC587年、ついにイスラエル人はバビロン捕囚となって国を追われてしまった。

それから数十年が経ち、帰還が許され、一部の民が再びこの地に戻って来た。この時から、このような事が二度と起こってはならないと、イスラエル人はかつて先祖が神と結んだ契約を厳密に学び、厳格に守るようになった。

厳格になり過ぎて、神の本来の意図を越えて、細かい規則を加えて行った。
肉と乳製品を一緒に食べないのは、胃の中で乳と肉が混ざらないようにするためである。

正統派ユダヤ教で戒律を厳しく守る方々は、何時間のインターバルを置いて、と言う事まで厳しく決まっているそうだ。

世俗的な人たちはそれほどではなくても、肉と乳製品とが同じ食卓に乗らないと言うのは、これはもう、民族としての伝統なのだろう。

そう言えば、ガイドの享子さんが面白いエピソードを話してくれた。
エルサレムにマクドナルドが進出した時の事。
厳格な正統派の方々はもちろん大反対。
何故ってチーズバーガーなど言語道断だからだ。
しかしその反対を押し切ってマクドナルドはオープンした。オープン当日、通りを隔てた向かい側では正統派が抗議をしていた。
享子さんは野次馬で見物に行ったそう。

そこへ一人のいわゆる世俗的な人がやって来て、店でチーズバーガーを買い、わざわざ外に持って出て、包みを開き、通りの向こうの正統派に中身をグッと見せつけた。それから、おもむろにそのチーズバーガーを口へ運んだと言うのだ。
正統派はこのパフォーマンスに怒り心頭だったそうだ。



ユダヤ人を物語る興味深いエピソードだ。

旅日記その18(ガリラヤ湖1)

2016年05月23日 | イスラエルツアー2016
前回の投稿から一ヶ月以上も空いてしまった。
毎日毎日気に掛かっていたけれど、なかなか続きを書くモードに心が切り替わらなかった。

ツアーをご一緒させて頂いた中には、熊本の地震でご自分達も被災されながらも、地域の拠点として頑張っておられる牧師ご夫妻がおられる。

たくさんの旅行の写真を改めて見直していると、涙が出て来る。

神様、どうぞ先生方を今日もお支え下さい。


さて、旅日記だが、実はまだ二日目。
テルアビブからカイザリヤへ行き、カルメル山を経て、ナザレ、カナと盛りだくさんなこの一日で時計が止まったままだった。

本日の宿、ガリラヤ湖畔のキブツ・ギノサルのホテルへ。ここで二泊する。

広々とした緑の敷地が美しいホテルだ。


ガリラヤ湖畔まで歩いて行けると言う。
朝焼けが5時半頃から始まり、日の出は6時ちょっと前だと言われれば、少し頑張って早起きしようかと言う気になった。
晴れる事を願って・・・

翌朝、暗いうちに起き出して湖畔への道を急いだ。

まだ墨絵のようなガリラヤ湖。
©Kentaro Momiyama

少しずつ明るくなって行く。


湖畔で静けさに包まれていると、時間の感覚がなくなる。
気がつけば、もう日の出の時間と言われた6時を回っていた。

なぁんだ、今日は曇って日の出は見えないんだね、と帰りかけて、それでも後ろ髪を引かれて振り返ったら、

ガリラヤ湖に朝日が

日の出と、対岸の山々の間から太陽が顔を出すまでには、タイムラグがあったのだった。


これを見た途端、様々なシーンが次々と胸に迫る。

二千年の昔、漁師であったイエスの弟子たちは夜通し網を下ろしながら、何度この朝日を見た事であろうか。

湖のほとりにいた群衆に向かって(もしかしたら、この辺りだったかもしれない)、イエスは舟から教えられた。

ある時は、嵐で逆巻く水を、イエスは言葉で鎮められた。

またある時は夜明け頃、嵐の水面をイエスは歩いて弟子たちの乗る舟に近づかれた。

そして、復活のイエスは、この湖の岸辺で弟子たちのために朝食を整えて待っておられた・・・

何だか懐かしいような気持ちになるから不思議だ。
私にとっては、子供の頃から何度も何度も聞いて来た話の、その舞台だからだろうか?

もちろん、それもあるだろう。
けれど、むしろそれは二千年と言う時を隔てて、イエスと同じ場所に立っていると言う感動だ。

やっぱり、イエスの一番弟子ペテロが書いた事は本当だと思った。

「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。(ペテロの手紙第一 1章7, 8節 新共同訳)」

©Kentaro Momiyama