Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

革命のファンファーレ 〜現代のお金と広告〜

2017年10月09日 | 
こんな事ではいけないのだけれど、
この頃めっきり本を読まなくなってる。

もともと読むスピードが遅いし、
読み出すとハマっちゃって、
他の事が出来なくなるし。

それに加えて、
年齢と共に目が。。。


それでも、この本を読もうかなと思ったのは、
二度、三度と目にしたから。

誰かのメルマガ、
FBでのシェア、

一回目では
「へぇ〜、こんな本があるんだぁ」
程度の認知。

もしかしたら、認知する前にも何度か目にしていたのかも。

で、二度目、三度目と口コミを見るうちに、
何となく、興味が湧いて来た。

革命のファンファーレ 〜現代のお金と広告〜


Kindleでサンプルをダウンロードして、
序文を読むうち、これはもう購入して読まなきゃ、と。

やりたいコトが見つからない
→正解。

肩書きを一つに決める
→リスク

好きなことをして生きていけるほど、世の中は甘くない
→現代には通用しない親世代の常識。


ここまで言われたら、読むっきゃない。


キングコングの西野さんと言えば、
その発信の鋭さゆえに、
叩かれるけれども、
信奉者も多い、、、

その程度の認識しか持っていなかったが、

この方は、

アーティストであり、同時にマーケッターだ。


前の時代は、この二つって完全に分かれてなかった?

例えば、音楽家は音楽のことに専念して、
マーケットの事には頭を使いたくないから、
我が身をエージェントに委ねたわけだ。

それが、
西野さんによれば、

販売の動線までちゃんと引かない作り手は、
もはや育児放棄なんだって!

そして、ネット時代の到来によって、
その動線をアーティスト自身の手によって引く事が
可能になったのだ。


彼が、絵本「えんとつ町のプペル」を制作した過程や
クラウドファンディングをいかに活用したか、
なんていうカラクリも、
全部ありのままに書かれている。

そして完成した絵本
「えんとつ町のプペル」は
こちらのサイトで全ページ無料で公開されている。


大ヒット中の絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開します(キンコン西野)

この物語も思わず涙がにじむ素敵な話なんだけども、
それは、横に置いておくとして、

無料での公開によって、さらに売上が上がったという。

その仕掛けについても全部書かれている。

まぁ、とにかく全編おもしろい。

・批判は即シェア、リツィート
・自分が宣伝するのでなく、他の人に宣伝してもらえるように考える
・一人でも多く、作り手の側に取り込む事

こういう仕掛け作りを常に考えて、行動して、
それを呼吸レベルでやれるようになった人が、
ヒットメーカーなんだそうです。


あぁ、私って、完全に前時代的な発想しか湧いて来ない。
頭ごと再インストールしたい。。。



ちなみに、この記事の画像はAmazonから拝借しているけれど、
これは本の表紙の上部分で、本自体はもっと縦長。

けれど、この正方形に情報が入るようにしたんだそう。

なぜ?

Instagramの写真にうまく収まるように。

なるほど。


「神は細部に宿る」

と言うけれど、
ヒットはこう言う細部の積み重ねの上に出来ている。。。


ふと振り返れば、私がこの本を手に取った道筋も、、、
ちゃんと引かれた動線上だと言う事が分かった(笑)。

自由な人生を手に入れる教科書

2017年03月27日 | 
私が大学を卒業したン十年昔には、まだ携帯電話がなかった。

学芸大の音楽科、同級生の半分くらいは教師になったのではないか。
一般企業に就職する人はクラスの中でも少数派だった。
そんな中、同級生の一人は「まだ新しい会社なんだけど」と、前置きして、
高速移動通信と言う会社に就職すると言った。

自動車電話を作っているんだとか聞いて、
「へぇ〜。そんな時代になったんだぁ〜」と興味深く感じた事を思い出す。

それが、なんと、今のKDDI。

そう言えば、あの頃はまだパソコンと言う代物もなかった。
ワープロが出始めていた時代。
アルバイト先で暇な時間を見つけては、タイピングの練習をしていたものだった。
ブラインドタッチをマスターしたおかげで、後に派遣で働いた時はずい分助かったのだけれど。

当然、インターネットもなかった。

もしも、大学を卒業した頃の私が2017年の今に突然ワープしたら、、、
きっと私、浦島太郎状態でないの?

いわゆるゆでガエル理論で、これらのテクノロジーに一つずつ出会って来たからこそ、私は今でも飛び上がる事なく、何とかついて行けてる(笑)。

だけれど、やっぱり物心ついた頃からネット環境にある世代とは、所詮発想が違うなぁ・・・と言う気がする。
私ってやっぱり固定観念に縛られてるなぁ。

この本を読んでつくづくそう思った。

自由な人生を手に入れる教科書(←ここから無料でダウンロードできます)

労働や時間とお金を引き換えにする時代は終わりを迎えつつあるのかも・・・?と感じさせる一冊。

でも、私たちが生活を営んで行くには確かに誰かの労働が必要なのだけれど、、、
それさえも、かなりの部分がそう遠くない将来、AI(人工知能)に置き換わる、なんて、ラジオを聴いてると普通に言ってる。

あと30年くらいしたら、また、浦島太郎の世界が待っているのかも。。。
ま、それまで生きていないかもしれないけれど、ちょっと覗いてみたい気もするな。

時代が変わって行く、、、ワーク・シフト

2013年11月25日 | 
最近、あまり本も読めないのです。
TVもない我が家、何にそんなに時間を取られるのかな?
って思ったら、、、犯人の一人はネットでした。

スマホが出て以来、その傾向は強まるばかりです。
確かに、パソコンを持たずとも、出先でかなりの事がこなせるようになりました。

スマホで、メールをチェックして、返信できるものにはその場ですぐ返信し、
フェイスブックなどのSNSも気がつけばこまめにチェックしています。
メールの着信も、SNSの更新情報もスマホの画面に都度お知らせが出ますから、
ついつい、都度見てしまうのですね。

その一回一回の所要時間は大した時間ではないにしろ、
しょっ中ですから、合計したらえらくたくさんの時間になるのでは?と思います。

そんな折り、やっと読み切った本「ワーク・シフト」


2025年の世界を想定し、働き方がどう変わっているのかを予想した本です。
まずは、2025年の世界で働く幾人かの職業人の一日のシュミレーションから始まります。

A)グローバル化がますます進み、世界各地とのやり取りの中で仕事をし、
  素早いレスポンスが求められ、文字通り、ほぼ24時間体制で働く女性。
  時間は細切れになり、常に追われています。

B)専門性が非常に高い仕事をしていますが、その仕事はほぼネット上で完結するので、
  誰とも顔と顔を合わせる事なく、生身の人間としゃべる事もなく、
  気がついたら一日中パジャマのまま家にいる、、、しかしずっと働いている、、、と言う孤独な男性。

C)キャリア追求からはすっかり降りてしまい、最低賃金の不安定な職を渡り歩く貧困層。。。

・・・などなど、まずは暗澹たる気持ちになる未来像が示されますが、
著者は、働き方を主体的に考えず、ただただレールに乗って行くとそうなるよ、と警鐘を鳴らします。
けれど、自ら選び取る事を続けるなら、必ず明るい未来が開ける、とも言います。

例えば、、、

D)世界の諸問題を解決しようと、意義のある仕事をする人たちが、
  ネットを使って、文字通り志を同じくする全世界の人と繋がり、
  アイディアや知恵が集まって来る時代。

E)ネットと言うインフラを使って、個人企業家が活躍出来るプラットフォームが整うので、
  世界中の顧客を相手に、高齢になっても自分の強みを生かして働ける時代。

F)自分たちの大切にしている事を守るために、働く時間、場所を主体的に選び、
  そのために収入が目減りする事も納得の上で、その収入に見合ったライフスタイルを構築して行く人たち。

それぞれのモデルの一日は、まるで未来映画を見ているよう。

けれども、著者は1990年代初頭と現在を対比させて、
今から2025年にこのような時代が来ていても不思議ではないでしょう?と。

確かに、1990年代初め、私はまだ携帯を持っていませんでした。
その後初めて持った携帯の画面は小さくて、黒いドット文字が並んでいましたっけ。

そう言えば、ワードプロセッサーなるモノが幅を利かせていました。
今の若い人なんて、きっと見た事もありませんね。

あの頃の私が2013年の現在に突然タイムスリップしたら、
きっと目が点になってるでしょうね。

街行く人がみんな小さな四角いモノを持って、見ながら歩いてる!
電車の中でもみんなが四角いモノから目を離さない!
お金の送金も家のコンピューターで出来る!
パソコンで、ポチってしたら、翌日には商品が配達される!
飛行機だって、空港で番号を入力したら航空券がガーッと出て来て、すぐ乗れる!
実際に紙を郵便で送らなくても、メールにファイルを添付して相手先でプリントしてもらえる!

などなどなど・・・

今では当たり前過ぎる事ですけれど、よく考えたらすごい事ですよね。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、変わって来たからそれなりに順応してるけれど、
はっきり言って、これってすごい事ですよ。
(ワーク・シフトの著者は「ゆでガエル」と言う表現を使ってます。)

昔がよかった、と言う単純な事ではないけれど、
無自覚に流されていると、ホントにいったい何のために生きてるの?
ってなってしまってもおかしくないなぁ、と。

以下は主体的な職業人生を送るために、著者が提案する3つのシフトです。

一つ目は、連続的にキャリアをシフトして行く事。
これって、ある意味ビックリでした。
一つの事をひたすら追求して行く事が是だと信じていましたから。
そう言えば、「複数の違う才能を掛け算した所にその人のユニークなポイントがある」と
表現する人もいますね。
しかし、キャリアの専門性を高めるには、細切れの時間では無理だと言うジレンマがあります。

二つ目は、コミュニティーの力です。
ネットを使った緩く大きなコミュニティー、もう少しコアなコミュニティー、
そして、日々生身で触れ合うコミュニティー、それぞれの構築が大切だ、と。

そして、三つ目は、一番難しいとされていますが、自分が大切だと信じる事を
勇気を持って選び取って行く事だそう。。。

***************

2025年、まだ、生きてるかな?私。多分。
働き方を考えるって、、、きっと私の好きな事なんでしょうね。

湘南・横浜 若者サポートステーションとのご縁も、きっとそんな延長線上にやって来た気がします。
毎月の講座は一回限りの、たった一時間半のヴォイス・トレーニングですけれど、
いつも、あぁ、この子はどんな場所でどんな仕事をすると一番輝くんだろ?って
想像するのが好きです。

とにかく、歯車の一つにでもなりさえすればって時代は終わりましたから。。。

私個人としては、前述のモデルE)とF)のミックスが出来たら最高だなって思います。
断捨離にハマってるのは、きっとF)のライフスタイル構築への憧れなのでしょうね。

そうして、心に引っかかるモノは出来るだけすくい上げたいなって思います。
そんなわけで、かなり脈絡ないよなぁ~と思いつつ、
今日はギターのレッスンを受けました。
明日は声楽のレッスンを受けて来ます。

何がどう繋がって、どこへ行くのか。
それは、まだまだ分かりませんけれど。

・・・ここしばらくの間で唯一読破した本のご紹介と自分なりのアウトプットでした。

そうだね、Facebookの時間を減らしましょう、うん。
これが今日の教訓。

Till We Have Faces

2012年12月09日 | 
C.S.ルイスと言えば「ナルニア」ですが、

でも、、、これは、もっと(?)いいです
オススメ。

「愛はあまりにも若く」(原題:Till We Have Faces)



昔から夫がこれはいいよいいよ、と言っていました。
何故かヤツの蔵書の中に邦訳の単行本があったのですが、
(何ででしょう?日本人の友人にでも勧めようと思ったのかな?)
今まで全く触手が動きませんでした。

・・・が、読み始めてみるとみるみる引き込まれ、
久しぶりに何をする間も惜しんででも、
早く続きを読みたいと思わせる本でした。

ギリシア神話「サイキとキューピッド」の話を下敷きにした小説で、
姉と妹、二人の王女の物語です。

姉は醜く生まれつき、非常に内省的な面を持っています。
妹は世にも稀な美貌を持ち、天真爛漫な非常に良い性質をも兼ね備えています。

姉はこの妹をこの上もなく愛し、
妹もまた、姉を純粋に、一心に慕っています。

けれども、、、



これから読む方のためにあらすじを書く事は控えますが、
心の中の動きをこれほどまでに的確に言い表している事に
恐ろしさすら覚えました。

何故なら、確かにそれは私の心の中にもあるものだからです。

人は様々な動機で様々な事をします。
これこそは自分の内の最も良い源泉から出ているに違いないと、
疑いもしない事柄。

けれどもそこに掛かっている覆いを一枚一枚剥がして行くと
恐ろしい真実(本当の動機)が顔を覗かせます。

人は自分自身すら巧妙に欺いているのです。

そして、その真実に向き合う事は途方もなく恐ろしい事のはずです。
それはあまりにも醜いからです。

けれども、その気づきから救いが始まる事が希望なのです。。。

それぞれ、心に響く所が違うでしょう。
この本を絶賛していた夫の一押しの箇所と
私がゾクッとした所は、やはり違いましたから。

この本はルイスが晩年結婚したジョイ・デイヴィッドマンに
捧げられています。

そして、ルイスはこの話の姉のイメージを、
ジョイの中に見ていたと思われる、、、と
訳者あとがきにありました。

それを聞くと、ちょっと胸がほっこりと温かくなりますね。

姉娘の一人称で書かれたこの物語、
読み終わる頃には、この主人公に限りない愛着を感じている私なのでした。

ラテに感謝!

2010年11月15日 | 
友人から紹介してもらっていた

「ラテに感謝!」

もうずいぶん前に図書館に予約を入れたのですが、
あまりの人気に何十人待ち。
ほとんど忘れた頃に順番が回って来ました。

この友人には、以前にも「優雅なハリネズミ」を紹介してもらいました。
実用書に走りがちな私にとってはとても有用な推薦です。
とにかく面白くて、あっと言う間に読んでしまいました。

そして仕事ってなんだろう?

と、考えました。

自伝的な小説でした。
特権階級に生まれ、良い教育を受け、
当然のようにエリートの道を歩き始める著者。

自由の国アメリカ、アメリカンドリーム。
アメリカにはそんなイメージを持っており、
誰でも努力次第で梯子を上って行ける国、
それがアメリカだと思い込んでいたフシがあります。

そころが、実はそれは歴然とした格差社会であり、
出自によってこれほどの差が生じるのか…と言ったショックがありました。

日本が向かおうとしている格差社会も
多くの警鐘が鳴らされているように、
出自によって、受けられる教育の質が変わり、
それによって得られるチャンスが変わり、
それが選べる仕事の選択肢を決め、
生涯賃金に大きな開きができるのです。

ただ、ここに逆説があり、そのようなある意味
「成功」と呼ばれる仕事が必ずしも人を幸せにするのではない、という事です。

どれだけ大きなお金を動かすか。
どれだけ大きな影響力を世の中に与えるのか。
どれだけ多くの人の上に立つのか。

そのような事と、人の幸せとは、必ずしも比例しないのです。

著者は特権階級から脱落してしまい、
すべてを失い、
かつては考えもしなかった、スターバックスのバリスタとして
働き出します。

しかし、彼はバリスタとして働きながら、
これまで味わった事のない幸福感を感じている自分に
いささか戸惑いを覚えるのでした。


人が、気づきを得るためには、これほど大きな代償を払わなければいけないのか…

けれども、人というのはこんなにも変われるものなんだ。



実はうちの夫は大のスターバックスファン。

世界各国の都市のスタバマグカップを収集しています。
それから1日に何度もスタバへ行きます(家計を考えて!と、私の角が出ます)。
スタバのバリスタたちとの交流を日々楽しんでいる様子。

彼が、タリーズでもなく、エクセルシオールでもなく、
はたまたマックでもなく、わざわざスタバに行くのが、
ちょっと分かった気がした一冊でした(笑)。