Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

雪と犬。

2012年02月29日 | わんこのこと
いやぁ~降りました降りました。
朝起きたらえらく景気よく降っていました。

今日は仕事がない日だったので、雪は歓迎~~

・・・のはずだったのですが、

実は今日は待ちに待った給湯器設置の工事の日だったのです。
二週間ほど前に突然壊れた給湯器。

お湯が出ないと、まぁ、それなりに不便もあるもんですから、
今日からやっとあったか~いシャワーがぁ~と、
期待も大きかったのですが、
さすがにこの雪では屋外の作業は無理。
あと一日我慢する事になりました。

またしても、雪のヤツにはやられました。

さて、我が家のある埼玉県所沢方面はかなり積もりましたよ~。


ここまで積もるのは数年に一度ではないかなぁ。

うちのワンコはいつもヒーターの前の、
暖かい風が出てくる所で丸くなっているので
寒がりなはずなんですが、それでもやっぱり雪は好き。


思い切り庭を駆け回っていました。
し、、、しかし、、、
足が短いのでほとんど雪に埋もれてる。
まるで小さなブルドーザーのよう(笑)。

そして、犬が駆けた後には、こんな風にリズミカルな跡が出来ています。


ジャンプ♪ズボッ。ジャンプ♪ズボッ。

ってな感じですかね。

早起きは三文の。。。

2012年02月16日 | 日記
昨年の暮れから早起きに取り組んでいます。

元々の私は完璧夜型。
20代の頃は、夜10時くらいならこれからまだまだ、
ひと仕事もふた仕事もできる!なんて思っていました。

それが、12年前、起床時間が4時という夫と結婚して、
毎朝朝ご飯が6時という生活が始まりました。
なんと朝ご飯は夫が作ってくれるという厚待遇なのですが、
何しろそれまでは夜中の2時、3時就寝は当たり前~みたいな暮らしだったので、
朝6時のスクランブルエッグはまさに拷問の如し。。。
朝食のテーブルでフォークを握ったまま、
グラングラン船漕いでます~なんてのもザラでした。

が、人間って慣れて来るもんです。
いつの間にか朝5時半でも6時でも、サクサクと胃が動くようになりました。
とは言え、飽くまでも夫が早いからしょうがなく起きる私、、、
というスタンスのままでした。

でも、年齢と共に段々夜の無理がきかなくなって来たんです。
これまでは、締め切りが迫ると、
ついつい夜更かしの力技で何とか乗り切って来た私ですが、
今ではもう、10時になるとまるでゾンビ状態。

クリエイティブな発想も浮かばないし、
無理して起きてやろうとしても、結局すぐ寝落ち。
これならしっかりベッドで寝て休養取って
早起きして仕上げた方がよっぽどよかったじゃんなんて事を
何度も何度も何度も繰り返して、やっと朝型シフトに真剣に取り組み始めました。

まだまだ三歩進んで二歩下がる~みたいな感じでなかなか定着しませんが、
これからの折り返しの人生は、昔の人の助言「早起きは三文の徳」を素直に実行して
進んで行きたいなと思っています。



早起きのお供は、これ
朝活手帳


私って、とことんこういうアプローチが好きだなぁ~と思います(笑)。
実は、この手帳をプロデュースした池田千恵さんの早起きセミナーにも
参加してみたんです。
東京駅から徒歩という会場で朝7時開始!という脅威のセミナー
これに参加したのは昨年末のかな~り忙しかった時で、宴会の翌日。
大丈夫か、自分って感じでしたが、
出席してみてすごくモチベーションが上がりました。
池田さんはとっても可愛らしい方で、
彼女のプロフィールやキャリアメイキングもすごく興味深いです。

そんなわけで、今、朝活やってます。


忍者の如き早業

2012年02月12日 | わんこのこと
我が家に滞在中のMダックス「ラブちゃん」との生活も
2年と8ヶ月になろうとしている。

この間に私は既にすっかりなめられてしまった。
一緒に散歩から帰ると足を拭く前に、いつもヤツは中に上がってしまう。
しかし、夫が家にいる時は、必ず玄関でおとなしく待っている。



この頃、家の中にサッと入るそのスピードが
さらに増して来た気がする。

先日は散歩から帰った犬が、庭で気持ち良さそうに用を足しているので、
では、少しそのままにしておきましょう。
と、庭に置いて家に入った。

しばらくして、中へ入れてやろうかなとドアを開け、

「ラブ~~。ラブちゃ~~ん。」

呼べど暮らせど

「し~ん。。。」

えっ?
まさか庭にいたのに誰かに連れ去られたの!?

犬の誘拐!?

青くなって探していたら、家の中から「ワンっ!」と、ひと声。

あれぇ、おかしいなぁ。
私、家に入れたのすら忘れちゃうほどになっちゃったかぁ。。。
と、少々自分にショックだった。


しかし、その謎は今日解けた。
今日も庭で用足し中のワンコを置いて中に入ろうとドアを開けたら、、、

その瞬間にヤツは既に家の廊下を走っていた。

絶対おかしい!
だって、一瞬前は庭の中央でゆっくりのんびりのポージングで
○△×中だったじゃないの。

動物の身のこなしの速さって、信じられない。
犬との生活はホントに飽きないのだ。

しかし、ラブちゃんとの約束の3年間ももうすぐ終了。
元の飼い主さんの妹の所に帰る日も近い。

臆病な割に好奇心が強く、
遠慮がちに見えて、実は図々しく要求多。
食べ物と見れば見境もなく向かって行く癖に、結構グルメ。
安物のドッグフードには見向きもせず。

楽しい時間をいっぱいくれた、ラブちゃんです。


伊勢佐木町のライブ、終わりました

2012年02月11日 | 日記
今日は午前中洋光台ゴスペルクワイヤのリハ。
そして午後からは伊勢佐木町のCROSS STREETにてル・マージュのライブ。

朝、洋光台に向かう電車の中で、ふと目に止まったのがこの広告です。

「後悔と感謝と」というタイトルと、
「母さんが大嫌いでした」という書き出しの文章に引き寄せられ、
思わず席を立って、近くまで行って読んでしまいました。

そうしたらもういけません。
涙でぐしゅぐしゅになってしまって。

今日はちゃんと化粧していたのに、大変な事になってしまいました。

そんな事も手伝って、ライブでは「母のうた」を
心を込めて歌わせて頂きました。

帰りがけに年配の男の方が「自分の母親を思い出したよ。」と、
CDを買って下さいました。
あぁ、伝わったんだなぁと、嬉しくなりました。

この頃、長い間おざなりにして来たような事などを
大切にしたいな、と何故か強く思うのです。

それは、日々の一見地味な生活であったり、
いつも身近に当たり前にいるはずの人たちとの交流であったり、
何かに追われてするのではない地に足の着いた勉強であったり、と、
外へ出る仕事が多かったり、気の張る本番があったりすると、
ついつい後回しになりがちな事なのですが、
後回しになった事と言うものは、結局常にリストの下の方にあって、
意識的に優先順位を変えない限り、決して日の目を見ないものなんだな、
という事も分ってきました。

こういうのは心境の変化って言うんでしょうかね。
今までにも何度か人生の節目や、
中には自分的には目から鱗のようなパラダイムシフトもありましたが、
今回は、あまり劇的じゃないけれど、
ゆっくりと舵を切って大きく方向転換するような、
そんな風を感じています。

その先に何があるのかな。
向きを変えるまでは分らないけれど、
それでもいつも心のどこかでは、
新しい風景との出会いに心を膨らませている自分がいます。



春の足音は聞こえども、姿はまだ見えず。。。
まだまだ寒いですね。
東京(埼玉)でもこんなに寒いのですから、
被災地はいかに。。。と想像します。
来週の土曜日は七ヶ浜に高奈美香さんとうかがいます。

実家にて

2012年02月09日 | 日記
今年はご縁があって、実家の方で活動している
女声合唱団「コーラスクローバー」と
7月くらいまでご一緒する事になりました。

地域の方々が集まって、かれこれもう30年以上続いているかも。。。
私の小学一年生の時の担任の先生が指導しているんです。
技術の追求と言うよりは、心に染みる歌を味わい深く歌って行きましょう
という趣旨で、そこがいいなと思っています。

今日はその練習日。
どうせ近所に行くのだから、
ついでに実家でご飯でも食べてから練習に行こうかな~と考えました。
少~し日が長くなったのかな。



さすが実家飯は美味い。



鰹をフライパンで周りだけ焼いて、オリーブ油、マスタード、ケチャップを
混ぜ合わせたソースをかけたとか。

実はこれ、全部父が作っています。
母は数年前の病気の後遺症で家事があまり出来ないので、
父が代わって全部。

母が倒れる前は家の事はすべて母に任せきりで、
銀行のATMからお金を引き出した事もなかった父が、
今では一から十まで家の事を仕切っています。

人っていくつになっても
新しい状況に適応する事が出来るもんなんだなぁ・・・と
心底感心し、感動し。
父は淡々とした日々の暮らしを通して、
私に「生きる」という事を教えてくれます。

さて、私も加わって少し賑やかになった晩の食卓では
一杯機嫌の父も饒舌になりました。
テレビの天気予報の地図で霞ヶ浦が出て来ると・・・

「霞ヶ浦と言えば予科練。憧れたなぁ。。。」

聞けば、予科練の試験に合格するため、クラスメート数人と補修を受けていたとか。
その間に終戦になったそうです。

私にしてみれば、
「え~~っ。お父さんが予科練を目指していた、そんな話全然知らなかったよ~!」
てなもんです。

そして父とは年の離れた長兄と、隣家のお兄さんは同じ日に出征して、
隣りのお兄さんは硫黄島で玉砕したとか。。。

数年前に観た映画「硫黄島からの手紙」で実際に戦った人が、
こんなつながりのある所にいらしたとは。。。

村を上げて二人を見送って、伯父さんは国内に配属されて戦地へ行く前に終戦。
そして「元気で帰ってきます。」と挨拶した隣りのお兄さんは
帰らぬ人となりました・・・。

もしも伯父さんが帰らなければ、父は田舎で跡を継いでいたでしょうから、
私は今の私としては、存在しなかったのです。



母の昔話には子供の頃から嫌というほどつき合ってきました。
正直、母親の幼なじみの名前は空で言えるほどです。

けれど、父の歴史は本当に知りません。
私が子供だった頃、思い出すのは毎日遅くに帰って来て、土曜日も仕事。
日曜日は昼寝をしていた父の姿です。

そして、父が一線から退く頃には、今度は私が家を離れ、
日々の事に精一杯になり。。。

もっともっと父から聞いておくべき話があるような気がします。

実家へ行く口実を作ってくれる、
合唱団の仕事に感謝感謝です。