実家の方面で仕事がある時には、
ついでに両親の様子も見に寄る事にしている。
・・・と言うのは口実で、
実はいつも父の美味しいご飯を食べさせてもらっているのだ。
母は9年前に脳出血で倒れて、それ以来家事一切を父が取り仕切る。
おかげ様で日常生活に不自由ない程度に身体は動くが、
記憶や認知的なダメージが残って、やはり家事はおぼつかない。
家事は総合的に瞬間瞬間で頭を使う労働なのだと改めて思う。
母が倒れた時、「母のうた」を作った。
これは何とか形にしないと、と思って、CDにした。
そのCDを持って色んな場所で歌わせて頂いた。
そのうちに私は歌を聴いてもらう事ばかりでなく、
みんなと一緒に歌うのをリードする事もとても好きなのだ、と気づいてゆく。
ある意味これはコーリングかもしれない。
今、地域の皆さんと童謡や唱歌や懐かしの歌謡曲などを一緒に歌う、
と言う事を仕事の一つにしているのも、この流れだ。
母は小さい頃から私にピアノを習わせた。
母の病気によって、私は今の流れに足を踏み入れた。
何だかんだと言って、私の歩く道は母によって大きく影響を受けている。
そうして今、足取りがおぼつかなくなっても、母は頑固に教会に通う。
家族みんなが「頼むから行かないで」とお願いした2月の大雪の日曜日も
決して聞き入れずに出掛けて行った。
出来る事や興味の対象がどんどん減って行く母に、最後に残る信仰の世界。
こうして今も母は私にインパクトを与え続ける。
ところで、実家でご飯を食べながらテレビを見ていると、
富岡製糸工場が世界遺産登録間近のニュースがやっていた。
それを見た父が、中学を出ですぐに勤めた製鉄工場では、
製糸工場で使う機械をよく作ったものだ、と言い出した。
戦後間もない頃の話だ。
それをきっかけに食卓の話題は父の職歴へと移る。
・・・3年勤める間にこれからは自動車の時代だと目覚めて、
つてを頼って新潟の田舎から埼玉の自動車工場で見習い。
その後は自動車修理の業界で、職場自体はいくつも変わっている。
「え?じゃあ、その次はどこへ勤めたの?」
父の自分史を留めておきたい私はすかさず取材モードに。
すると、それまで黙っていた母が突然、
「◯▽※モーターズ」
えっ、お母さん・・・
いつも、あれもこれも忘れたって言ってる癖に
何で突然いきなりそこで、そんなシャープな回答を・・・
人間の記憶のフックって本当に不思議だ。
母の突然の冴えた答えに、父と私は大びっくり。
当の母は「別に。何騒いでるの。」と言わんばかりの素知らぬ顔をして、
歯を磨いている(居間で)。
(ちなみに私も洗面所以外で歯を磨く癖があり、夫には母譲りといつも叱られる・・・)
そんな母を父が面白そうに、嬉しそうに見ていた。
日常の祝福。
こういう瞬間こそ、そう呼ぶのにふさわしいものだろう。
自分が年齢を重ねるにつれ、これこそが神の下さる奇跡なのだと思うようになった。
こういう瞬間を、忘れたくない。
だから今日、私はこれをブログに書き留めておいた。
ついでに両親の様子も見に寄る事にしている。
・・・と言うのは口実で、
実はいつも父の美味しいご飯を食べさせてもらっているのだ。
母は9年前に脳出血で倒れて、それ以来家事一切を父が取り仕切る。
おかげ様で日常生活に不自由ない程度に身体は動くが、
記憶や認知的なダメージが残って、やはり家事はおぼつかない。
家事は総合的に瞬間瞬間で頭を使う労働なのだと改めて思う。
母が倒れた時、「母のうた」を作った。
これは何とか形にしないと、と思って、CDにした。
そのCDを持って色んな場所で歌わせて頂いた。
そのうちに私は歌を聴いてもらう事ばかりでなく、
みんなと一緒に歌うのをリードする事もとても好きなのだ、と気づいてゆく。
ある意味これはコーリングかもしれない。
今、地域の皆さんと童謡や唱歌や懐かしの歌謡曲などを一緒に歌う、
と言う事を仕事の一つにしているのも、この流れだ。
母は小さい頃から私にピアノを習わせた。
母の病気によって、私は今の流れに足を踏み入れた。
何だかんだと言って、私の歩く道は母によって大きく影響を受けている。
そうして今、足取りがおぼつかなくなっても、母は頑固に教会に通う。
家族みんなが「頼むから行かないで」とお願いした2月の大雪の日曜日も
決して聞き入れずに出掛けて行った。
出来る事や興味の対象がどんどん減って行く母に、最後に残る信仰の世界。
こうして今も母は私にインパクトを与え続ける。
ところで、実家でご飯を食べながらテレビを見ていると、
富岡製糸工場が世界遺産登録間近のニュースがやっていた。
それを見た父が、中学を出ですぐに勤めた製鉄工場では、
製糸工場で使う機械をよく作ったものだ、と言い出した。
戦後間もない頃の話だ。
それをきっかけに食卓の話題は父の職歴へと移る。
・・・3年勤める間にこれからは自動車の時代だと目覚めて、
つてを頼って新潟の田舎から埼玉の自動車工場で見習い。
その後は自動車修理の業界で、職場自体はいくつも変わっている。
「え?じゃあ、その次はどこへ勤めたの?」
父の自分史を留めておきたい私はすかさず取材モードに。
すると、それまで黙っていた母が突然、
「◯▽※モーターズ」
えっ、お母さん・・・
いつも、あれもこれも忘れたって言ってる癖に
何で突然いきなりそこで、そんなシャープな回答を・・・
人間の記憶のフックって本当に不思議だ。
母の突然の冴えた答えに、父と私は大びっくり。
当の母は「別に。何騒いでるの。」と言わんばかりの素知らぬ顔をして、
歯を磨いている(居間で)。
(ちなみに私も洗面所以外で歯を磨く癖があり、夫には母譲りといつも叱られる・・・)
そんな母を父が面白そうに、嬉しそうに見ていた。
日常の祝福。
こういう瞬間こそ、そう呼ぶのにふさわしいものだろう。
自分が年齢を重ねるにつれ、これこそが神の下さる奇跡なのだと思うようになった。
こういう瞬間を、忘れたくない。
だから今日、私はこれをブログに書き留めておいた。