Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

旅日記その20(山上の垂訓教会)

2016年07月06日 | イスラエルツアー2016
亀の歩みの旅日記、前回の投稿からまたも一ヶ月以上過ぎてしまったが、この間にも様々な事があった。

この拙い旅日記をマメに見て下さり、地図のイラストがいいね、とコメントを寄せて励まして下さった牧師さんが、突然天に召された。この先生も以前、ご自分のイスラエル旅行を後追いで振り返りながらFacebookに旅日記を投稿しておられた。先生を偲びつつタイムラインを眺めながら、もう一度丁寧に先生の旅日記を読ませて頂こうと思った。

そして、つい先日はこのツアーを主催したBridges for Peace Japanの20周年の記念会が。イスラエルツアーでご一緒した何人かの方々と会場で再会して、嬉しくて、あまり時間はなかったけれどワーワー大騒ぎ。

「イスラエルにいた時と全然顔が違うぅ〜〜。」←そうなんです、私、日によって顔の差が激しいんです。

「早く、同窓会をやりたいですねぇ〜〜。」←本当にそうですね、皆さん、お忙しい方ばかりだけれど。


さて、旅日記に戻って、三日目。朝ごはんをたっぷり頂いて、いざ出発!と思いきや、早々に具合の悪くなる方が・・・
どうやら水が合わなかったよう。
基本的にはイスラエルの水道水は飲めるので、レストランで出されるピッチャーの水も水道水。けれど、心配な人はそれを飲まずにペットボトルの水を飲むようにと予め言われていた。普段は体力に自信があっても旅は特別の環境下なので、大事に大事をとった方が良いようだ。

・・・とは言え、私はホテルの食事でもピッチャーの水をジャンジャンと飲んでいたのだが。
具合の悪くなられた先生は少し休んだら、回復されたようだ。良かった良かった。

乾燥の激しい気候ゆえ、一日につき少なくとも3本以上は500mlのペットボトルの水を摂るように、しかも一度口をつけて8時間以上経ったボトルからは飲まないように、と厳しく注意を受けていた。バスに乗っても降りても、ペットボトルは肌身離さずマストアイテムだ。

この日最初に向かったのは、ガリラヤ湖を見下ろす小高い丘の上に建つ「山上の垂訓教会」。




「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイによる福音書5章3節 新共同訳)」

あまりに有名なこの言葉から始まる山上の垂訓。大群衆がこの小高い丘に群がり、イエスの話を聞いたのだ。

イエスは30歳で公にご自分を表された。今風に言えば発信を始めたと言うべきか。神の国の到来を伝え、たくさんの病人を癒すと言う奇跡を行われた。その噂が口伝えで伝わり、周辺一帯からたくさんの人々がゾロゾロと付いて来るようになったのだった。その群衆に向かってイエスは語られた。

前述の「心の貧しい人々は〜〜」の言葉が英語で彫られて、庭の中に置かれている。


それに続く教え。
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(マタイによる福音書5章4節 新共同訳)」


「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。(マタイによる福音書5章5節 新共同訳)」


「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。(マタイによる福音書5章6節 新共同訳)」


カトリック教会が管理しているが、ここのシスターは日本人の賛美をいつも楽しみにしていて下さると言うので、礼拝堂で皆で歌う事になった。残響が長く、とても美しく響くのだ。



練習もなく、旅のしおりに載っている歌詞だけでぶっつけ本番だが、そこはさすが牧師さん。気づけば自然に三声にハモって、美しい歌声が礼拝堂いっぱいに響き渡った。

愛する 我が主よ
御前に 捧げます
感謝と 我が賛美は
あなたに きよく 慕わしい


まるで天と繋がっているような、至福の時であった。

ところで、この時私たちの他にもツアーのグループが見学していた。
出口の所でドイツからだと言うご婦人に声を掛けられた(英語で)。

「あなたたち、聖歌隊なの?」

「いえ、日本のあちこちから来た旅行者のグループです。」

「え?だって、あなたたち、歌っていたじゃないの!」

そして、美しい歌をありがとうと言って下さった。

日本語の歌詞はもちろん分からなかったと思うけれど、スピリットが伝わったんだと思う。

心に残る出来事だった。

旅日記その19(イスラエルの朝ごはん)

2016年05月24日 | イスラエルツアー2016
イスラエルで食べたホテルの朝ごはんは、大体どこも似たり寄ったりのメニューだった。

た~~くさんの種類のサラダと、


た~~くさんの種類のチーズ、
©Kentaro Momiyama

そして魚。
©Kentaro Momiyama
見た目は生臭そうだが、全然そんな事はなく、食べやすい。
©Kentaro Momiyama
でもちょっとしょっぱいかな。

その他諸々。
©Kentaro Momiyama
©Kentaro Momiyama

このホテルのスペシャルは、生絞りオレンジジュース。これは最高


旅の最中は、まさか後からブログを書くとは思ってなかったので、今ひとつ記録の写真が少ない。それで、ご一緒した写真担当の方が撮られたものを承諾を得て所々拝借している。

ところで、ここでのポイントは「肉がない」と言う事だ。
ユダヤ人は乳製品と肉を同時には取らないのだ。

それは、遥か歴史を遡ってその昔、モーセに導かれてエジプトの奴隷状態から脱出したイスラエルが、荒野で神と結んだ契約に基づいている。

その中にこのような一文が。
「・・・あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。(出エジプト記 23章19節 新共同訳)」

これは、イスラエル人がやがて住む約束の地の先住民族が行っていた異教的な儀式から彼らを守るためであったと考えられる。
しかし、結局イスラエル人は彼らをエジプトから救い出した神を忘れ、神と結んだ契約を破り、偶像崇拝に陥った。
そのため、BC587年、ついにイスラエル人はバビロン捕囚となって国を追われてしまった。

それから数十年が経ち、帰還が許され、一部の民が再びこの地に戻って来た。この時から、このような事が二度と起こってはならないと、イスラエル人はかつて先祖が神と結んだ契約を厳密に学び、厳格に守るようになった。

厳格になり過ぎて、神の本来の意図を越えて、細かい規則を加えて行った。
肉と乳製品を一緒に食べないのは、胃の中で乳と肉が混ざらないようにするためである。

正統派ユダヤ教で戒律を厳しく守る方々は、何時間のインターバルを置いて、と言う事まで厳しく決まっているそうだ。

世俗的な人たちはそれほどではなくても、肉と乳製品とが同じ食卓に乗らないと言うのは、これはもう、民族としての伝統なのだろう。

そう言えば、ガイドの享子さんが面白いエピソードを話してくれた。
エルサレムにマクドナルドが進出した時の事。
厳格な正統派の方々はもちろん大反対。
何故ってチーズバーガーなど言語道断だからだ。
しかしその反対を押し切ってマクドナルドはオープンした。オープン当日、通りを隔てた向かい側では正統派が抗議をしていた。
享子さんは野次馬で見物に行ったそう。

そこへ一人のいわゆる世俗的な人がやって来て、店でチーズバーガーを買い、わざわざ外に持って出て、包みを開き、通りの向こうの正統派に中身をグッと見せつけた。それから、おもむろにそのチーズバーガーを口へ運んだと言うのだ。
正統派はこのパフォーマンスに怒り心頭だったそうだ。



ユダヤ人を物語る興味深いエピソードだ。

旅日記その18(ガリラヤ湖1)

2016年05月23日 | イスラエルツアー2016
前回の投稿から一ヶ月以上も空いてしまった。
毎日毎日気に掛かっていたけれど、なかなか続きを書くモードに心が切り替わらなかった。

ツアーをご一緒させて頂いた中には、熊本の地震でご自分達も被災されながらも、地域の拠点として頑張っておられる牧師ご夫妻がおられる。

たくさんの旅行の写真を改めて見直していると、涙が出て来る。

神様、どうぞ先生方を今日もお支え下さい。


さて、旅日記だが、実はまだ二日目。
テルアビブからカイザリヤへ行き、カルメル山を経て、ナザレ、カナと盛りだくさんなこの一日で時計が止まったままだった。

本日の宿、ガリラヤ湖畔のキブツ・ギノサルのホテルへ。ここで二泊する。

広々とした緑の敷地が美しいホテルだ。


ガリラヤ湖畔まで歩いて行けると言う。
朝焼けが5時半頃から始まり、日の出は6時ちょっと前だと言われれば、少し頑張って早起きしようかと言う気になった。
晴れる事を願って・・・

翌朝、暗いうちに起き出して湖畔への道を急いだ。

まだ墨絵のようなガリラヤ湖。
©Kentaro Momiyama

少しずつ明るくなって行く。


湖畔で静けさに包まれていると、時間の感覚がなくなる。
気がつけば、もう日の出の時間と言われた6時を回っていた。

なぁんだ、今日は曇って日の出は見えないんだね、と帰りかけて、それでも後ろ髪を引かれて振り返ったら、

ガリラヤ湖に朝日が

日の出と、対岸の山々の間から太陽が顔を出すまでには、タイムラグがあったのだった。


これを見た途端、様々なシーンが次々と胸に迫る。

二千年の昔、漁師であったイエスの弟子たちは夜通し網を下ろしながら、何度この朝日を見た事であろうか。

湖のほとりにいた群衆に向かって(もしかしたら、この辺りだったかもしれない)、イエスは舟から教えられた。

ある時は、嵐で逆巻く水を、イエスは言葉で鎮められた。

またある時は夜明け頃、嵐の水面をイエスは歩いて弟子たちの乗る舟に近づかれた。

そして、復活のイエスは、この湖の岸辺で弟子たちのために朝食を整えて待っておられた・・・

何だか懐かしいような気持ちになるから不思議だ。
私にとっては、子供の頃から何度も何度も聞いて来た話の、その舞台だからだろうか?

もちろん、それもあるだろう。
けれど、むしろそれは二千年と言う時を隔てて、イエスと同じ場所に立っていると言う感動だ。

やっぱり、イエスの一番弟子ペテロが書いた事は本当だと思った。

「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。(ペテロの手紙第一 1章7, 8節 新共同訳)」

©Kentaro Momiyama

旅日記その17(カナ)

2016年04月12日 | イスラエルツアー2016
ナザレを後にした私たちは、カナへ向かう。

現在はアラブ人の町だそうだが、カナと言えばイエスが最初の奇跡を行われた場所として有名だ。

イエスは弟子たちと共にカナで結婚式に出ておられた。イエスの母マリアは婚礼の宴のお手伝いをしていた。
すると、ぶどう酒がなくなってしまった。当時、宴は何日も続いたが、その途中でぶどう酒を切らすと言うのは、花婿の恥となる事だったそう。マリアは心配して、イエスに何とかしてほしいと持ちかけた。
イエスは一旦は
「私の時はまだ来ていない。」
と言って応じなかったが、結局、水をぶどう酒にすると言う奇跡を行われた。

イエスは召使いに、六つの水瓶いっぱいに水を満たして、宴の世話人の所へ持って行くように言われた。召使いが言われたままにすると、なんと、水は極上のワインに変わっていたと言う。

水を汲んだ召使いは、このワインの出どころを知っていたが、世話人は知らなかったので、こんな上質のワインを宴の後半まで取っておくなんて素晴らしいと花婿を讃えた、と聖書に書いてある。

私などはこのストーリーの後日談が気になる。宴の舞台裏では実はワインがなくなり危機一髪だったんだとか、イエスが助けてくれて信じがたい出来事が!!とか、そんな経緯を新郎新婦は知らされてイエスにそれはそれは感謝したのかしら?云々・・・

しかし、聖書にはそういう人間的な興味を満たすような事は書いてない。
ただ、イエスのこの最初の奇跡を間近で目撃した弟子たちが、この出来事によってイエスを信じた、と書いてある。

まぁ、もちろん後にはこのように福音書として新約聖書に収められているのだから、それは周知の事実となったのであろうが。

そんな訳で、この町の通りで見かけたモノ。

ワインの入った水瓶、うーん、でも四つしかないなぁなどと思いながら歩いていると。

バーン

いきなりの存在感。

ワインのお店の看板・・・
この看板の写真を撮ったのはツアーの一行の中で私だけでしょう、きっと。

ダニエル。
家で犬と留守番してる夫です。
アハハ、ゴメンねぇ、私ばっかりこんないい思いしちゃって・・・

ところで、カナでのメインはワイン選び・・・ではなく、ここ、婚礼教会。

前述の奇跡が行われた場所として建てられた、カトリック、フランシスコ修道会の教会(ギリシャ正教会の教会堂もすぐ近くにある)。

中ではちょうどミサが行われていた。


ここではちょっと素敵なサプライズが用意されていたが、今後訪れる方々のために書かないでおこう。


・・・さて、盛りだくさんな一日の行程が終わった。
朝、テルアビブのホテルを出発して、カイザリヤ→カルメル山→ナザレ→カナと見て来た。

この後は、ガリラヤ湖畔のキブツ系ホテルへ行き、晩ご飯
そしてベッドに倒れ込むだけだ。

旅日記その16(ナザレ8)

2016年04月11日 | イスラエルツアー2016
受胎告知教会があまりに規模が大きかったせいか、隣りの聖ヨセフ教会はちょっと地味な印象。

イエスの一家が住んでいたという場所、マリアの夫ヨセフ(マリアは聖霊によりイエスを身ごもったと聖書に書いてある。従って、あえてこう記す。)の仕事場でもあり、イエスが家業である大工仕事の手ほどきを受けたと言われる場所だ。

しかし、ここでまた写真を前に「え~~っと。これなんでしたっけ?」現象が・・・

それで、ネットに上がっている色んな写真やら説明やらで答え合わせをした結果、どうやらこれはヨセフの仕事場跡らしいと判明。


それからこっちは、ブドウ酒とかの貯蔵庫らしい。


でもって、これが受胎告知教会と聖ヨセフ教会の間に発掘されたというヨセフの穴蔵・・・つまりお家。下部分がそれだ。

一般の貧しい人々はこんな質素な洞窟に住んでいた。

これらはすべて地下にある。要は石造りなので、前の時代の建物を完全に取り払うのでなく、瓦礫の上に建てる事になるので次第にカサが上がって行く。

それにしても肝心の礼拝堂の写真が一枚もないではないか。
・・・こうして見ると、何を撮ったのか、何を覚えているのか(忘れたのか)を振り返る事によって、自分の関心が一体どこにあったかを知る事ができる。脳っていうものは無意識のうちに取捨選択してるもんなんだ。

結局私は、聖書の時代が実際はどんな風であったのかを知り、そこからメッセージを受け取りたかったんだという事が見えて来た。
だから、イエスが住んでいたのが本当にこの洞窟だったのかどうかは、私にとってはそんなに大きな問題でない。
何しろ私たちは行かなかったが、聖ガブリエル教会というのもあって、ギリシャ正教によればそっちの方が受胎告知の場所だとされてるそうだし。

イエスは貧しさを知っておられたという事、故に私たちの悩み、苦しみを遠くから眺めておられる神ではなく、共に痛み、共に泣き、とりなしていて下さる方であるという事。
それが、私が受け取ったメッセージだ。

新約聖書の言葉が思い出される。
「この大祭司(イエス)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ人への手紙4章15~16節 新共同訳)」

さて、ドライバーのアリさんが待つツアーバスへ戻る途中、ザクロを絞った生ジュースを飲んだ。

大きい方のカップで3ドルくらいだったか。とっても美味しかった♪
トイレを借りる目的も含まれていた。水が貴重な国なので、トイレが有料の場合がある。

ナザレはかつてはクリスチャンの割合が高かった。私の記憶違いでなければ、アラブ人のアラさんもミッションスクールで教育を受けたそうな・・・
現在はイスラム教、キリスト教、ユダヤ教が混在、全体としてはイスラム・・・というネット情報。

ナザレはゆっくり回れば丸一日使っても充分なくらい、まだまだ見所はある。
イエスが30歳で宣教活動を始めた後、故郷へ戻って聖書の巻物を朗読したシナゴーク(会堂)とか、故郷の人々には受け入れられず突き落とされそうになった崖とか、メギドの丘(ハルマゲドン)などなど。
どこを見て、どこを諦めるか。それらのチョイスはツアーの企画側に委ねられている訳だ。だって我々ツーリストは何にも分からないのだから!
つまり、企画側の意図により、ツアーはそれぞれ全く違ったドラマになるという事。

しかし、私は今回のB.F.P.ジャパンのツアーに心から満足している。後から振り返っても、偏りのない内容だったと思う。イスラエルは初めてと言う我々のため、出来るだけ多くのものを紹介しようとして下さる反面、限りある体力気力の事までよく気遣って、バランスを取るのが大変だったのではないかな・・・

私たちはこの辺でナザレを後にして、次へ向かうとしよう。
(つづく)