Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

居間 de ジム

2018年01月25日 | 日記
秋に乳ガンの手術をして、日本の医療のすごさに本当に驚いたけれど、
それぞれの分野の専門性が進むと、現場での知見は部署を超えてはなかなか共有されない、という事もわかった。

私はたまたま全摘→乳房再建という道筋を歩んでいるので、
乳腺外科と形成外科の両方にお世話になった。

形成外科からは術後もう早々と腕を上げる事やストレッチなどが推奨された。
ところが、乳腺外科の先生は「腕はあまり動かさずに大事にね」
とおっしゃる。

そういう時に全てを飲み込んで「はい」と言えないのが私の性格で、

「あの、形成では、どんどん動かすようにって言われたんですけど」

思わず、そう言ってしまった。

そしたら、乳腺の先生はちょっと恥ずかしそうに、

「あっ。動かしてください」

っておっしゃった。


私はこの先生が大好き。
ガンを初期の初期で見つけて頂いたのも、この先生のエコーを読み解く鋭い目があったからだと心から感謝している。

そして、患者の進言にご自分の言った事引っ込める謙虚さも大好きだ。


私よりも先に乳ガンの手術をした友人が複数人いるけれど、
彼らは乳房を温存したので、形成外科にはお世話にならなかった。

それで、乳腺外科で言われた通り、術後腕を動かさずに大事にしていたら、
酷い肩の痛みに悩むようになってしまって、腕を上げるのもままならないと言うのだ。

もちろん、みんな病院も違う。

きっと学会ではこんな事までは共有されていないんだろうなぁ、と思う。
でも、患者のQOLという観点から見れば、大切な情報だ。



それはそうと、術後は活動量をかなり減らしてのんびりさせてもらったせいか、
気がつけば、人生最高体重を大幅に更新してしまった。
しかも、自転車をこぐスピードがかなり落ちてる。


このまま坂をスルスルと下っていくのは、、、マジでやばい!!!


そこで、形成外科の先生から、
「もう何をしてもいいですよ。うつ伏せになっても、走っても、飛んでもいいです。」

と、お墨付きをもらったのを機に運動を習慣にする事にした。


かつては、ジムに入会してみたり、市の体育館に通ってみたりと一応試みてはみたものの、単発で終わるばかり。
エクササイズはなかなか私の生活の一部にはならない。

今回は自宅で出来る方法を採用した。

夫がBEACHBODY社のプログラムを購入して、ダンベルやらチューブやら、あれこれ揃えて我が家の居間は既にジムと化しているので、ちょうどいい。

私にも出来そうなプログラムは一回30分間のビデオのクラス。
有酸素運動、ダンベル、上半身、下半身、ピラティス、ヨガなど、毎日違う内容で7日間で一回りする。



よくありがちだけど、元気なインストラクターが真ん中でリードして、5、6人のメンバーがいっぺんに飛んだり跳ねたりしているパターン。
その中に一人だけぽっちゃりした女性がいて、彼女は少し簡易バージョンの動き。

私はもちろん簡易バージョンの彼女に倣って動くくらいでちょうどいい(笑)。

"Hate me today, love me tomorrow."

これがインストラクターの口癖。


その他、彼女の口からは様々な名言が飛び出す。

「過ぎた事も、先の事も考えちゃだめ!今、この動きにだけ集中して!」
「今、もうやめようかな?って考えたでしょ。ダメよ!ゴールを思い出して!」
「(片足で立ちながら)体のバランスを取って!人生は全てバランスよ。毎日の忙しさの中でもあなたの体はバランスを見つけ出すはず。」

などなどなど。

12月の半ばから始めてかれこれ二ヶ月近く。
毎日欠かさずって言うのは流石に無理だけれど、今も続いているのはきっと、このインストラクターの魅力に負うところが大きいな!


さて、気になる成果の方。

人生最高体重の更新は上げ止まったけれど、下りはせず。
ただ、脚の力が増して、自転車をこぐのは少し速くなった。

また、元からの首や肩の凝りはなくならないけれど、友人たちのような酷い痛みというものには無縁だ。

一番びっくりしたのは、昨日ヨガのプログラムをやった時。
今まで出来なかったポーズが、出来るようになっていた事。

いくつになっても、体って投資した分は応えてくれるらしい。

今日からは五回り目に入る。
今更6パックのお腹はいらないけれど、うっすらとした縦線は欲しい。。。

少しずつ望みが高くなる私であった。

年金が。。。

2018年01月17日 | 日記
今朝のyahoo!ニュースより。

年金開始70歳以降も可 高齢者就業は32年に67% 大綱案の全容判明

というニュース。

うーーん。
どんどんこっちの流れに。

現在は、年金の受給開始は、原則65歳、
でも60~70歳の間で自由に選べるらしい。
65歳前に前倒しでもらうと、受給額が目減りするとか。

新しい案だと、受給開始を70歳以降にも自由に設定でき、
その分月々の頂ける額が多くなるんだって。

どっちが得なんでしょうねぇ〜〜?

ラジオではコメンテーターの方が、
先延ばしした間の物価の上昇率が予測できないから、
どちらがより多くもらえるか計算できないって。

そりゃそうだ。
年金は物価が上がったからと言って増える訳ではなく、
定額なんだから。

それに、こんなに行き当たりばったりで、
しょっ中仕組みが見直されるんじゃ、
70歳以降は上乗せだよって言う約束すら、信用できない。

無理して先延ばししたって、その時になれば
チャラにされるかも。

そもそも、70歳超えてどれだけ長く生きるのか、
自分自身だって、分からない。


年金の総受給額=月々の受給額×受給年月数


でも、受給年月数の所が変動するんだからね。
月々の受給額だって、、、信用できないわけだし。。。

結局、得とか損とか、自分個人の視点にだけ立ってたら、
受給開始年齢を決めるのは博打みたいなもんです。

でも、国全体のことを考えたら、
元気なら、可能な限り長く働いて、
受給も遅らせて、財政に負担を掛けないようにしましょう、、、

ってことになるんでしょうか。

一人一人が先送りで浮かせた分は微々たるものだとしても、
そう言う人たちがそれなりのボリュームを持つ層になれば、
かなり財政の負担が減るはずです。

でも、、、そうやって、みんなが我慢した分が、
裏で無駄遣いされてたら、また腹も立つし。。。(笑)



個人的は、価値観や気が合う仲間同士のルームシェア、ハウスシェアなんで言うものが
止むに止まれず進んで行くんじゃないかなぁって思います。

そして、それに期待もしていたりして。

その時、教会というコミュニティーはすごく大きな役割を果たすようになるのでは、
と思います。


今日、心に浮かぶ聖書の話。

 「ある金持ちの畑が豊作であった。

 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。
 『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
 
 そして言った。
 『こうしよう。あの倉を取りこわして、
 もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

 そして、自分のたましいにこう言おう。
 「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。
 さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』

 しかし神は彼に言われた。
 『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
 そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

 自分のためにたくわえても、
 神の前に富まない者はこのとおりです。」

 (ルカによる福音書12章16〜21節)



あーでもない、こーでもないって、
近視眼的にあれこれ心配したくなる時に、

あ〜。そうだよ。
私たちの命は主なる神様の御手のうちに。

そう、思い出させてくれます。

ところで、
「神の前に富む」とは
どういう生き方なんでしょうね。

The year of Productivity

2018年01月06日 | 日記
世の中はもう忙しく動き出していますね。

私は今頃去年の振り返りと、今年の展望などを思い巡らすために近所のマクドナルドへ来ています。

昨年は今後の自分の働き方などを考えて、模索する年だったのですが、
年の前半には愛犬ガンボの急な発病と死、

その後、今度は自分に乳ガンが発覚して、
年の後半は入院だの手術だの、そんなことに追われたまま
これと言った成果も出せずに終わってしまいました。

でも、幸い本当に初期のガンだったので、手術で全て終わり。
その後の治療はなしです。

なので、手術の傷が治るにつれ、元気になって来ました。

それにしても、現代医療の進歩の速さすごさを身をもって体験しています。
今は乳房再建というプロセスなので形成外科の先生にお世話になっていますが、
私よりうーんと若い、カッコイイ女医さんたちが眩しいです。

半年後くらいに、もう一度手術をして、今の仮胸からインプラントに置き換えるそうです。


ところで、我が家は元々夫が糖尿持ち。
彼のことでは病院とのお付き合いもしばしばでしたが、
それが、まさか自分がこんな大ごとになるとは、
思ってもみませんでした。



自分だけは大丈夫。


・・・そんなことってあり得ないですね。

そして、もう一つ考えたこと。

神様の目には、
あるいは、永遠の視点から見たら、

なにが一番大切なんだろう?

っていうこと。

もちろん、自分の足でしっかり立って生きていかなくてはいけません。
お金を稼ぐことは大切。
仕事やキャリアも大切。

けれどもふと思う。
本当に価値があることって、
朽ちないものって、一体なんだろう?


こんな聖書の言葉が思い出されました。

「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、
 イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、
 私たちを新しく生まれさせて、
 生ける望みを持つようにしてくださいました。
 また、朽ちることも汚れることも、
 消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。
 これはあなたがたのために、
 天にたくわえられているのです。」
 (ペテロの手紙第一 1:3-4)



【朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産】

聖書って面白いことが書いてあるなぁと思います。

誰だってほしいですよね。
そんな資産があるなら。

聖書によれば、それはある、と。
イエス・キリストというお方によって得ることができるのだ、と。

けれど、それを得るためのアプローチが、
本当に逆説的なんですよね。

いわゆる運が良くなる、とか

今時流行りのそういうのとは真逆の方向。

なかなか進みづらいですよね(笑)。

そして、我々生まれながらの人間は、
罪のために目が見えず、
本当に価値のあるモノではなく、
ついついジャンクを追いかけてしまう、、、

そんなことも聖書からは読み取れます。

願わくは、日々の勤めを果たしながらも、
本当に価値あるモノに私たちの目がいつも開かれていますように。


この年末年始は例年に増して、
親御さんの介護という話を、友人たちから聞くようになりました。

人生のフェーズが変わって来たなぁ。。。

そう感じます。

それでもあえて、
今年のスローガンはこう言いましょう。



生産的な一年にしたいです。