Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

9月前半のまとめ日記。

2011年09月23日 | 日記
気温が上がったり下がったり。
皆さん、体調を崩されたりしていませんか?

私は仙台から帰った翌週、つまり先週の月曜日から
風邪を引いてしまいました。

仙台の旅は駆け足でしたが盛りだくさんで、とても全部は書き切れませんが、
遅ればせながら、少しでも記しておきたいと思います。

9/7の深夜に高速バスに乗って仙台へ。

9/8は一日中、萩原ゆたかさん、高奈美香さんと一緒にリハーサル。
私とゆたかちゃん、私と美香さん、という組み合わせでは今までも一緒に演奏していましたが、
この三人の組み合わせは今回初。
一日でいっぱい詰め込み過ぎてパンク寸前。
頭の中の血が沸騰してる感じでした(笑)。

9/9のシーサイドバイブルチャペルでのコンサート。



現在は「しゃんて」という喫茶店を使って礼拝しています。
美味しいコーヒー(ラテもあるんですよ!)とお菓子が無料で振る舞われ、
近所の方々もいらっしゃり、アットホームなホッとするひととき。

コンサートのあと、牧師夫妻の案内で津波で流された教会跡に足を運びました。



もちろん、瓦礫は既に片付けられていますが、
これが住宅地の中にあった教会だとは、とても想像ができません。

この十字架は、元は教会の門の所に据えられていたそうです。
上の白い十字架の部分は飛ばされてなくなっており、後からもう一度つけられました。
けれども、ほとんどの建物が根こそぎ持って行かれた中で、
この十字架の台座と茶色の柱が倒れて残っているのを見つけた人たちが
どんな思いを抱いたか、、、考えると胸が熱くなります。

遠くに見える建物は小学校。



震災の日、二階建ての学校の屋上に約600人の児童や大人が避難して夜を過ごしました。
屋上に上った子供たちは津波が壁のように迫って来るのを見たそうです。
けれども津波は、手前にある、教会を含む住宅地一角を飲み込んで水が散り、
この屋上は辛うじて助かった、と。

シーサイドバイブルチャペルの牧師をしておられる内藤先生ご一家。



この十字架は復興の一つのシンボルとなって行くでしょう。
飛行機雲が空高く長い尾を描いて行きました。



翌9/10は、仙台で定禅寺ストリートジャズフェスティバルが行われ、
街中の至る所から色んなジャンルの音楽の生演奏が聴こえて来て、
まさにお祭り!

私たちはル・マージュというユニットで出ました。
割り当てられた演奏場所は、なんとJR仙台駅の3階。
新幹線の乗り場です。
そこから下を見下ろす感じで。



これって結構すごいシチュエーションじゃないですかぁ?(笑)
下は在来線の改札です!

ステージ上はこんな感じ。



40分のステージ、あっという間でしたが、えらくコーフンしましたぁ(笑)。

終わってから、ちょっと気取って記念撮影。



楽しい時間をありがとう!

この後、高速バスに乗って帰って来ました。

あまりに色々あったせいかもしれませんが、
この翌々日から、久々の本格的な風邪。
薬でごまかしつつ、仕事など出ておりまして、
声はびみょーに掠れ、咳も少々。

こんな感じで9月後半に突入しました。

夏の終わり

2011年09月04日 | 日記
暑さも微妙にやわらいで来たでしょうか?
確実に夏が終わって行くのが感じられますね。

季節の変わり目と言うのは、いつもちょっと哀しい。
秋に突入してしまえば、それなりに充実して
「天高く馬肥ゆる秋」ですが。

さて、夏はちょっと許容量いっぱいか、それをちょっと超える感じでした。
でも、後悔はありません。

石巻を訪ねる事ができた事は本当によかった。

そして、ライブイベントを主催できた事も。

今週はまた、仙台を訪ねます。
9/10のお昼頃、仙台ジャズフェスに萩原ゆたかさん、高奈美香さんと出ます。
私たちが演奏する所は仙台駅の構内です。

その前日9/9は東仙台のシーサイドチャペルで三人でアフタヌーンコンサート。
シーサイドチャペルは、現在喫茶店「しゃんて」を使っています。


また、駆け足な感じですが、頑張れるうちは頑張りましょう。
走れる期間は限られているのですから。

便利ゆえの落とし穴

2011年09月03日 | 日記
この頃とみにiPhoneをなくす回数が増えているのです。
今の所なくなっても、その都度戻って来るのでありがたいのですが、
いつか本当になくしてしまうのではないかと不安がよぎります。

なぜこんなになくすのでしょう?
単に年のせい・・・?

周りの先輩たちに
「とうとうあなたもね、ウェルカム!」って迎えられる今日この頃です。

でも、私としては他にも要因があるんじゃないか?と考えるわけです。
そこで気がついたのが携帯の多機能化。
それゆえになくすリスクが増えているんじゃないか、と。

例えば私はiPhoneを時計代わりにも使っています。
そうすると、何かと言うと出して見る事になる。

指導する時なんかはピアノの譜面立ての所に置いて
時間を見ながらやります。
で、立ったり座ったりあーだこーだと熱くなってやってるうちに、
コロッと頭の中からiPhoneの事が消えてしまう。

また、iPhoneはパソコンのメールアカウントも使えるので、
iPhoneで処理するメールの分量がやたらと増えたりします。
それから、最近はtwitterやfacebookもほとんどiPhoneでのチェックですから、
何かと出して手に持つ回数が増える。
そうすると、ついつい「ながら」になって置いてしまう。。。

そういう事も関係してるんじゃないかなぁ~?

情報がいつでもそばにある、携帯できる。
とっても便利ですけれど、それゆえの落とし穴かなぁ。

世の中が回るスピードもどんどん速くなっていますね。
多分、私の頭のCPUがそのスピードについて行けなくなってるのかもしれませんね。

最近頻繁に起こる、iPhoneプチ紛失についての考察でした☆